6.虚無感

R side


「ハァッ、ハァハァッハァ………嘘、だ」



◇◇◇



「問2が間違っています。…幼児でさえ分かる問題が分からない貴方に、殿下を支えることなど不可能でしょうに」

「……申し訳、ありません」



「婚約者を辞退なされてはいかがですか。大体、男であるにもかかわらず、殿下と添い遂げようとすることが、烏滸がましいとは思いませんか」

「申し訳、ありませ…」

「思い上がらないで下さい。殿下が、レティシア様を婚約者に望む訳がありません」

「それはッ、」



 “ 愛されてなどいないんです ”



 物理的に傷付けられた訳じゃない。けれど、心は、ズタズタに切り裂かれ、壊れていった。


 暗闇に一人取り残され、音が遠ざかっていく。出口がない迷路に閉じ込められたようで、肺が、心臓が圧迫され、息が苦しい。






 ……たすけて、




◇◇◇◇◇




「……シア!!!」



 ……なに、いってるんだろう

 怒って、るかな…



 必死な声は、時々震えていた。

 淡い光が、闇を呑み込んでいく。



 ……来てくれる訳がない

 僕は愛想を尽かされて……、



 頭では、理解していた。けれど、心が、それを否定する。今、隣に居る彼は幻想でない、……現実だ、と。


「で、んか……、」

「大丈夫、俺を信じろ」


 嵐がおさまった。


 途端に、酸素が流れ込む。体内に残っている魔力が僅かであることに気づき、魔力暴走だと悟った。



 刹那、息を呑んだ。


「……嘘だ、」

「殿下!!!」


 視線をらせば、殿下が、ぐったりとした様子で倒れ込んでいる。護衛が、気を失った彼を抱え、走り去っていった。


 頭が真っ白になった。


「レティシア様!!!」

「ス、スレンダ……僕、」

「大丈夫です、大丈夫ですよ」


 付き添ってくれていたスレンダが、優しく抱き締めてくれた。




◇◇◇◇◇




 気づけば、言葉を失っていた僕は、邸宅に戻っていた。


 朧げな記憶だけれど、指導係が、壁際でほくそ笑んでいた姿だけは、脳裏に焼き付き、離れなかった。




◇◇◇◇◇




ガチャッ


「兄様!!殿下は…」


 翌日、兄に聞かされた話によれば、殿下は、魔力が枯渇し、気を失っただけで、命に別状はないという。

 だが、目を覚ます気配はなく、時折、何かに怯えて、表情を強張らせている、と。



 ……僕のせいだ、

 僕が、魔力を制御できなかったから…

 僕が、殿下を…、好きな、人を……



「…僕が、……僕が!!うわぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 呼吸が苦しい。黒い何かに呑まれていく気がした。



  “ オマエガワルイ ”

  “ オマエハアクヤクダ ”



 途切れることなく、囁き続ける悪声あくせいに、感情が抑えられない。


「落ち着け!!レティッ!!」

「やだ…やだやだやだやだやだやだやだ!!」


 ぐっと顔を歪ませ、兄が呟く姿を最後に、意識は薄れていった。




◇◇◇◇◇




 意識が戻った時、僕は、ベッドで横になっていた。兄が、取り乱す僕に、睡眠魔法をかけてくれたらしい。


 傍で仕えてくれていたスレンダには、


『レティシア様は悪くありません。ご自分を責めないで下さい』


 と涙を浮かべられたが、素直に頷くことはできなかった。妃教育に耐えられなかった僕が招いたことだ。



◇◇◇◇◇



 それ以来、部屋を出ることはなかった。誰かに会うことを避けたかった。引きこもりだ。

 兄と母が定期的に部屋を訪れてくれるが、すべて断った。食事は、スレンダが運んでくれる。生活に困ることは、何一つない。


 優しい声色に、扉の向こう側で、心配そうに眉をひそめる姿を想像しては、壊れた心に鞭を打って、強がった。


 ……僕は大切な人を傷付けるから




◇◇◇◇◇




 二週間が経った。相変わらず、僕は籠城ろうじょうし続けている。


「ん、」



 喉、渇いたな

 水…は、取りに行かなきゃ



 外は真っ暗で、月明かりに照らされていた。


 侍女達が、交代で夜勤務に就いてくれているけれど、誰かに頼むにしては、水一杯では気が引けて、自分で貰いに行くことにした。



 人間心理だろうか。物音に過剰に反応し、こそこそと移動する。



 ……皆、寝たかな



 廊下に飾られている柱時計を確認すれば、針は午後一時を過ぎ、真夜中を知らせていた。


「お帰り--い。-----------それで、---は何と」



 ……母様、



 母が、誰かと話している。相手は、父だった。

 普段は、夕食前に帰宅する父だが、今日は、日を跨いで帰ってきたらしい。


 何かに引き寄せられる様に壁一枚を隔て、その声に、聞き耳を立てていた。


「婚約は、一時保留という形になった。翌月、再度婚約者を選定すると」

「殿下は…」

「先程、目を覚まされた。明日、ルークと共に面会に行ってくる。…レティは、」

「いえ、」



 保留…

 そっか…、そうだよ、ね。



 薄々、思ってはいたけれど、“ もしかすれば… ”なんて願っていた。

 今となっては、僕は危険人物だ。魔力は、時に凶器となり得る。民に称えられ、次期国王として有望な殿下には、デメリットでしかない。


「……ぅッ、ぅぅ…」


 喉が渇いていたことも忘れて、泣き続けた。




◇◇◇◇◇




コンコンッ


「レティ、入るぞ」


ガチャッ


「明日、王宮にて夜会が開かれ、」

「……行かない」

「公爵家として行かない訳にはいかない」

「……けど、」

「スレンダ」

「承知致しました」


 それは、1週間前に言っていた“ 婚約者選定を兼ねた ”夜会を指していた。


 僕が、魔力を暴走させたことは、既に皆が知っている事実だ。夜会に行けば、噂やゴシップに敏感な貴族に白い目で見られ、標的にされる。

 六歳とはいえ、公爵家次男として、それ相応に育てられてはいる。それ故、容易に想像できた。それに…、


「……殿下に合わす顔がない」


 駆け巡る思考に思い悩んでいると、すっかり夜は明け、澄んだ空気が広がり始めていた。


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