幼い日の記憶

『流凪、お勉強の時間よ。今日は国語と算数ね。お勉強が終わったら英語教室に行くわよ。』

『お母さん、流凪お人形で遊びたい。あ、それにね!こないだ幼稚園でお絵かきしたやつ上手だねって褒められたの!』

『流凪。』

『それとね、それとね!幼稚園でお散歩したときにね!流凪、困ってるおばあちゃんをね!』

『流凪。』

『困ってたから助けたの!流凪すごいでしょ!』

『流凪!!』

『…っ…おかあさ…』

『流凪、あなたは普通の子とは違うの。わかる?あなたは大きくなったらお父さんのお仕事を継ぐのでしょう?だから、今のうちからたくさんお勉強して、立派にならないといけないのよ。お医者さんは大変だからね。普通の子のように遊んでばかりではだめなの。流凪が悪い子だとお父さんもお母さんも悲しいのよ。…だからわかってくれる?』

『………うん…。』

『ふふっ。良かったわ、わかってくれて。流凪は良い子だものね。お母さん嬉しい。』

『…………』

『さ、椅子に座って。今日はドリルの八十六ページを開いて………』


『……流凪はどうだ?順調か?』

『えぇ。……ただ…最近は勉強よりも遊びたい気持ちが強いらしいの…。まぁでも、勉強も集中しているし、すでに中学生の問題もすらすらとけているわ。……少しくらい、ご褒美をあげてもいいんじゃないかしら。』

『…そうだな。……だが、俺の後を継ぐのなら高校在籍中に医大の入学試験に上位で合格するレベルでなければならない。流凪はできるのか?』

『…それは……』

『手遅れになってからでは遅い。小学校も国内で最もレベルの高いところに行くのだからしっかり知識を蓄えさせなければ。それこそ、優秀な家庭教師を雇おう。君も、もうすぐ二人目が産まれるだろう。君には二人目の子のレベルを見てもらう。……もしも二人目の方が後継ぎにふさわしいのなら、今流凪にやっている全てを二人目の子に変更する。』

『………えぇ。……わかっているわ…。』

お父さんとお母さん、難しいお話してる…。もしかして………流凪のせい……?


『………流凪、今日から習い事もお勉強もなしになったわ。』

『……え?』

『小学校はもう変えられないけど…中学生からは好きなところで好きなことをしていいのよ。……だから…これからは私達に必要最低限しか関わらないで。』

『…おかあ…さん…?』

『…っ、もうご飯もお風呂も勉強も全部流凪だけでやって。…家でもいないように……。とにかく理玖に関わらないでちょうだい。』

『……どうして…?私、頑張ってるのに…』

『流凪。』

『…っ』

『お前はもういいんだ。お前よりも理玖の方が優れていて、これからは理玖が後継ぎとして生活する。だからお前はもういい。』

『………もう……いらないってこと…?』

『…っそんな…』

『そうだ。』

あ…冷たい目……。お父さん…本当にもう…私のことはどうでもいいんだ…。………あんなに…頑張ったのに…。友達も遊びも楽しみも全部捨てて頑張ったのに…。


あぁ……お父さんにとって…お母さんにとって…私はもう……必要ないんだ…。


バサッ!!

「はぁ…はぁ………夢………」

なんて目覚めの悪い。…久しぶりに昔の夢を見たな…。

「…学校………」

あ…今日はないんだった……。

冷たい右手で顔を押さえながらベットを出た。

今日は土曜日だからお父さんとお母さんは仕事で夜までいないし、理玖も一日中塾や習い事に行ってるから家には私一人だ。

ふぅ…と息を吐く。

 よく考えたら久しぶりのゆっくりできる時間で、緊張の糸が解けたようにどっと疲れがきた。

今日どうしよう…。勉強は…したくないな…。

でも、他にすることもないし…。

 私がぼーっと考え事をしていると、ふいに外から物音が聞こえた。

気になった私は窓から外を見る。

「……!?」

その光景を見た私は絶句した。

すごく身なりの良い…と思う…女の子が家の生け垣に突っ込んでいる。

私は少し固まったあと、すぐに階段を降り家のドアを勢いよく開けた。

ドアを閉めかけたときに、前の失敗を思い出して慌てて足を挟んだ。

その状態のまま生け垣を見た。やっぱりいる。女の子が。生け垣に突っ込んでいる。

「……な…」何この状況…!?どうするべき…?助ける…?で、でもやばい人だったら…?でも、助けないとじゃない…?危ない人…?大丈夫な人…?えぇ、でも家の生け垣に…えぇっ…もう、どうすればいいの…!?

ガサゴソ…

「……!!」動いた…!…けど……なんか……。何も変わってなくない!?

「えぇっ…とぉ……………大丈夫ですか…?」

「………」

「…あのぉ…?…何か…手伝いましょうか…?」

「…お…」

…!喋った!!喋れるんだ!!…って違う!手伝ったほうがいいのかな!?

「……お腹……」

「お腹?」

そう聞いたところで、どこからともなく、ぐぅぅぅぅっという大きな音が聞こえた。

まさか…お腹って……。

「……お腹空いた……」

…ですよね〜!!!あんなに盛大に音鳴らしてればわかるよ!ってそれよりどうしてこんなに身なりの良い子がこんなところに?なんで生け垣に突っ込んでるの??え、どういうこと…?

 私の頭の中が、驚きよりも疑問だらけになったとき、彼女は急にごそっと生け垣から抜け出てきた。

「………あの…申し訳ないのですが…お食事を頂いても…?」

「……え!?あ!はい!!」


 ……この変な状況で割とまともなご飯を出せたのすごいな…。私、もしかして才能ある…?…って、今の状況で考えることじゃないか。まぁでも、こんなことを考えられるくらいには落ち着きを取り戻してきたってことなのかな。

 その子を家に入れて、頭を捻って作ったご飯を出しながら考える。

 そしてやっぱりこの子はきっと上流階級の人間だ。口調もそうだけど、食べ方や座り方という一つ一つの仕草全てが、誰が見ても〝美しい〟と思う程に洗練されている。この地区は、所謂エリートと呼ばれるような人たちが多いけれど、その人たちとは比べ物にもならない〝本物〟だ。本能がそう告げている。

 でもこの子どこかで…?

見たことがある。そう思ったときと同時にその子が箸を丁寧に置いて手を合わせてから口を開いた。

「……度重ね失礼いたしました。私は、鶴星華乃羽と申します。この度は助けていただき、誠にありがとうございました。」

「え、あ、星沢流凪です。……えっと…大丈夫ですか…?」

「うっ…それは…お恥ずかしいところをお見せしました…」

彼女が恥ずかしそうに俯く。可愛いな、ふいにそう思う。

「…あの、もしよかったら、どうして…あんなことになってたのか、教えてくれませんか?」

「はい…。えっと、どこから話せば良いのか……」

彼女が考え込む。どうしてこうも絵になるのだろうか。本当にモデルとかもやっていそうだ。しかし、かっこいい系というよりは…可愛らしい感じだ。とても妹のような感じが抜けきらない。しばらく考えた後、彼女は話を始めた。

「……その…私、一昨日で十五になりまして……今までとても大切にして頂いていて、本当に感謝しかないのですが…その日は、自分でもおかしいと思う程の不安と、私の知らない場所への好奇心が溢れてきてしまって…皆さんに隠れて、家を出てきてしまったのです。」

〝箱入り娘の家出〟ってことかな…?でもどうして生け垣に突っ込むことになったんだろう。それで…私はどうすればいいの……?

「そ、そうだったんだね。………えっと…この後どうする?」

いやいやいや!この後どうする?だったらなんか、変な感じじゃん!もっとちゃんと社交辞令とか覚えたほうが良かった…。っていや、そうじゃないでしょ!この子を送り届けるのが先?それともその不安と好奇心をどうにかしてあげるのが先?これくらいの子と関わったことないから分かんないよ…!

「……帰ったほうが、いい…ですよね…。ごめんなさい、急にこんな話してしまって、迷惑ばかりで…」

少し困っていた私を見て、彼女は申し訳無さそうに俯いてしまった。

…違う。そうじゃない。今はきっと、帰らせるべきじゃない。不意にそう思った。後悔は後でする。そうだ。今は、今は少しだけでも、この子の力になりたい。

「ねえ、もう少しだけここにいる?」気が付くと言葉が出てきていた。

「……!いいのですか!?」その子の顔がぱぁっと輝く。

そして私はもちろん、と出来るだけの笑顔でそう答えた。

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stellar 朝ノ夜 @asanoyolu

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