公園の少年
はぁ…はぁ…
息は乱れ、額には汗が滲んでいる。家から逃げるようにひたすら走った。辺りはもう暗い夜の海。突然込み上げてくる不安と心悲しさに襲われて、目頭が熱くなる。
家、飛び出してきたのはいいけど、この後どうしようかな。いつまでもこのまま、ってわけにはいかないし…。かといって、今帰っていつも通りに過ごせる自信はない。
「…………」私は歩道にしゃがみこんで顔を埋めた。
キィ…
「…っ!?」その音を聞いて私は物凄いスピードで立ち上がり、音のする方を見た。音は少し遠くから聞こえてくるようだ。正直怖いと思った。けれど、気が付くと私の体は引き寄せられるように音のする方へと向かっていた。
少し歩くと、公園が見えてきた。大きさは中くらいで、遊具は色褪せたすべり台と、二つあるブランコだけだ。あとはところどころ剥げている芝生。夜だから暗いけれど、月がとても綺麗に光っていて明るかった。
キィ、と鳴っているのはどうやらブランコのようだ。そこはちょうど木の陰になっていて、よく目を凝らさないと見えない。私は公園の敷地内に足を踏み入れ、一歩ずつ音に近づいていく。ブランコまであと四十メートルをきったとき、声が聞こえた。
「……そんなに慎重に来なくても大丈夫だよ…?」
辺りが静かな分、その声はやけに響いた。
え、声?人なの?それにしても綺麗な声…じゃなくて!え、え、なになになに!?怖い人、ではなさそう。でも、何か…聞いたことのある声というか、見たことある…?
私は音もなく立ち尽くし、柄にもなく一人でびっくりしていた。
「……あの…誰、ですか?…人、ですよね…?」
私がしどろもどろに話しかけると、ふふっと優しく笑いながら「まさか、後から来た人に誰?って聞かれるとは思わなかったよ。」と言った。私は確かに…と心の中で申し訳なく感じた。
「…俺は竜翔。ちゃんと人だよ。」
そう言った彼の顔には小さな柔らかい笑みがあった。
…なんだろう……この感じ…。前にどこかで見たことある気がする。どこで見たんだろう。私は普段できるだけ自室から出ないようにしているから接点はないはずなのに…。
「君は?」
不意にそう聞かれて「私?」と間抜けな声が出てしまった。彼はまたもや笑いながら「そうそう、君」と答えた。
「私は流凪。えと…私も、ちゃんと人、です。」
彼は「ちゃんと人だね」と言って笑った。私もつられて笑う。普段笑わないからぎこちないかもしれないが、今はちゃんと笑えてる、と思う。大笑いというわけでは全くなかったけど、二人で笑っていたら、不安も怖さもどこかへ消えていた。
キィ…キィ…
笑いが落ち着いてから彼は小さくブランコを漕ぎ出した。
「………あの…」
「ん〜?」
「……私、家から逃げてきたんです。」
「…え、襲われてんの?」彼は急に真剣な眼差しで見つめてきた。
「あ、いや、そうじゃなくて……」ここまで言って、言葉が出てこなくなってしまった。そんな私を見て「ねぇ、ブランコ好き?」と彼が聞いてきた。「え、ブランコ…?」力のない声で言った。「そそ、ブランコ。」彼に言われて、思い返す。ブランコは理玖が生まれる前、まだ、お母さんが私を見てくれていたときに数回だけ乗ったことがあるくらい。あのときは、ただ純粋にお母さんと遊ぶのが好きだった…。
「……小さい時に何回か乗ったくらいで、好きかどうか分からない…です。」
うつむき気味に話す私をじっと見てから「ここ座って」彼は彼の座っているブランコの横に付いている、もう一つのブランコを軽く叩いて言った。
私は言われた通りもう一つのブランコに座った。そこは少しひんやりしていて、月光のさしている公園内を一望できた。心做しか、さっき見ていた公園よりも綺麗に見える。
「綺麗…。」気が付いたら出ていたその言葉に、自分でも驚いた。私のこの一言を聞いて、彼は「でしょ」と嬉しそうに微笑む。そして、地面ばかり見ていた私に「上も見てみて」そう言った。
その景色に、私は目を見張った。そこにあったのは、光が溢れてしまいそうなほど輝く一等星、静かに白く光る満月、それらをまとめる無数の星。それぞれが自分だけの光を帯びている。
「いいでしょ、ここ。お気に入り。」そう言う彼の瞳は限りなく輝いていた。それこそ、夜空の満天の星のように。
しばらくの間、二人で星を眺めた。このときだけは、家のことや学校のこと全てを考えないでいられた。
「……俺ね、つまらないってだけで立ち尽くしてる奴らに一泡吹かせてみたいんだよね。」
急に言われたので、最初は何を言ってるのかよく分からなかった。そして、少し戸惑っている私を見て「あ、別に深い意味はないよ」と笑って付け足した。
「………いいですね、それ。」
「でしょ。…というか、タメでいいよ。同じくらいだよね、多分。」
正直、人とこんなに話すとは思わなかった。普段はとにかく人を避けてるから。なぜか親しみのある彼は、とても話しやすかった。
「…じゃあ…竜翔、さんはなんでここにいたの?」
私の問いに「竜翔でいいよ」と訂正しながら、う〜ん…と首を傾げていた。
少し経ってから、彼は口を開いた。
「…そうだなぁ…なんでだっけな〜……あ、でも最初に来たのは、じいちゃん家に住むようになるって決まってからで、その場の空気が嫌で逃げてきたんだったかなぁ…。」
「……逃げてきた…」そうつぶやく私に「そう。逃げてきたんだよね。かっこ悪いしょ。」と彼は言った。
「……そんなこと、ない。…………私も家の空気が嫌で逃げてきたから。慣れっこだからって気を緩めてて、ふとした一言で…ちょっと…。」
私は意を決して、彼に言った。すると彼は、
「そっかぁ……。俺さ、いつか自分の羽で羽ばたけるって信じてるんだ。あの星みたいに俺だけの光がちゃんとあるって…あの彗星に届くかもしれないって。……まぁ、まだまだ先のことかもだけどね。」
そう言った。
彼とは年もそう離れていないように見えるのに、前を向いてしっかり自分の一歩で歩いている。
「すごいね。」気付くと声が出ていた。
意外にも彼は驚いた顔をして、その後、ふにゃっとした笑顔で照れくさそうにしていた。
私達はしばらくお互いのことについて話すことになった。
彼も高校二年生だったこと。犬派であること。ピーマンが苦手なこと。数学が嫌いなこと。訳あって今はこの公園の近くのおじいちゃん家に住んでいること。おじいちゃんは割と厳しい人であること。
彼は色々なことを教えてくれた。私が言いづらそうにしていると、すぐに話題を変えてくれたりと、彼との会話は嫌なものを感じさせない楽しい会話だった。
ヒュゥゥ
頬に冷たい風が当たったと同時に、私はとても大事なことを思い出してしまった。
家、飛び出してきたんだった…。あ…どうしよう、鍵もない…。
急に青ざめた私を見て彼は「もしかして、やばい…?」と、聞いてきた。私は正直に、飛び出してきたため、オートロックなのに鍵を持ってき忘れたことを伝えた。
彼は、一度私の家を見て、入れなさそうだったら家に来ていいよと言ってくれた。正直、とても気が重く、少しだけさっきの息苦しさを感じたが彼の優しい気遣いに感謝しながら、私は彼と一緒に家へ向かうことにした。
カチャ…
………………開かない。やっぱり開かないよね…。どうしよう…。
そう悩んでいたら、彼が静かに「開かない?」と聞いてきた。どうしようかと彼の方を向いたとき、ゴトッと音がした。玄関の植木鉢にぶつかってしまっていたのだ。音を立ててばれてないかと思って植木鉢を見ていると、植木鉢の影に何かがあった。私はしゃがんでそれを取る。
「……鍵だ…。」
それの正体は鍵だった。どうして鍵が植木鉢の影にあるのかはわからなかったが、確かなのはこれで家に入れるということだ。
「家、入れる…。」息を吐くようにつぶやいた私の声を聞いて、彼は「良かった」と小さく微笑んだ。
「ほら、入んないの?」
彼にそっと言われた。私はできるだけ明るく「ありがとう」と言った。
彼は『夜明け前午前三時、何かあったら思い出して』そう言い放って歩き出した。
夜の光に溶けていく彼の背中は、なぜか少し寂しい感じがした。
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