stellar

朝ノ夜

私の日常

「……!!」

 そこは息をするのも忘れてしまうほどの眩い彗星の光がいつまでも輝いていた。彗星はゆっくりと、そして確実に進んでいた。世の中の全ての色がモノクロにくすんで見えてしまうような、世界の全てを凝縮したような、とにかく眩い景色だった。この景色を表すことができる言葉はきっとこの世の中にはない。

 そこには私以外にも誰かがいた。彗星に向かって、とても明るい笑顔で何かを叫んでいる少年。彗星に向かって、ゆっくりと歩く少女。少し頼りないけれど、どこまでも強い意志を感じる背中の青年。誰なのかは全くわからない。そんな彼らを見て何を思ったのか、気が付くと私は眩い彗星の光をじっと見つめ、届きもしない手を必死に伸ばしていた。


「………っ」天井に向けていた手を強く握りしめた。

 重たい瞼を開いたときに入ってきたのは、さっきの眩い彗星の光景とはうってかわり、無機質な白い天井だ。また今日もいつもと何も変わらないのだと思うと、すごく、嫌になる。できることなら、現実なんて全て捨てて、夢の中の、彗星が輝くあの場所にいたい。できるだけ多くあの彗星の光に触れていたい。そう、願わずにはいられなかった。だが、どんなに願っても時間は止まってくれない。私は鉛のように重たい頭を上げ、言うことを聞かない体を精一杯に動かした。三十秒ほどかかって、ようやく冷たい足が床に触れた。下を向いてため息を一つ。ここから動くのにも十秒くらいかかってしまった。できるだけ音を立てないように、勉強机に掛かっていたリュックをそっと外し、机の上に置いた。そのまま静かにドアを開けて、階段を降りていった。

 一階には、誰もいない。今日は朝から嫌な思いをしなくてにすむ、と少しだけほっとした。

ガチャ

「…!!」音がした途端に私は息を殺し、下を向いて動きを止めた。

バタン

玄関で鍵を取る音が聞こえたかと思うと、すぐになくった。忘れていた鍵を取りにきたのかもしれない。

 音が出てしまいそうなほど激しく動く心臓に手を当てて、その場に力無く座り込んだ。

 私は家族が苦手なのだ。父、母、私、弟の四人家族。だけど、家族の中で私はいないようなもの。私が、お父さんとお母さんの期待に応えられなかったから…。

 うつむいて唇をぎゅっと噛み締めたところで、はっと我に返った。

「学校…行かなきゃ…」

急いで自分の部屋に戻り、制服に着替えてリュックを背負った。私はそのまま勢いよく家を飛び出した。

 オートロックで閉まった鍵の音を聞いて、また少し、思うところがあった。

 学校までは徒歩で十五分かかる。もうすぐ秋に入るため少し肌寒い。途中で幼稚園の横を通ったとき、無邪気に、楽しそうに遊ぶ子供たちを、少しだけ、羨ましいと思ってしまった。


 ガラララと、先生が勢いよく校門を開ける。いつものように玄関で靴を履き替え、階段を登って、教室に入る。教室にはまだ誰もいない。教室の端にある自分の席につき、本を読んでいた。教室は時間が経つにつれ、騒がしくなっていき「見て昨日このコスメ買ったんだ〜」「やば、課題やってねぇ」「昨日のご飯がさぁ」などと、聞きたくもない話が耳に入ってくる。先生が入ってきて、ようやく少し落ち着いた。

 ホームルーム中、先生が「三者懇談の日程ある人出して」と言っていた。…今回もきっと、来てはくれないのだろう。

 ホームルームが終わってガヤガヤしてるとき、先生に呼ばれた。

「星沢の家、また来てもらえなさそうか?」

やっぱり…こう、なるよね…。

「……はい。」

「…そうか、まぁこっちでも少し話せるように色々やってみるから、星沢も何かあったらすぐ教えてくれ。」

「……のに…」

「ん?」

いえ、と何もなかったかのようにその場から逃げた。

 何をしても変わらないんだから、先生ももう何もしなくていいのに。今更、何かしても絶対に変わらない。お母さんもお父さんも弟さえいればそれでいい。…期待を裏切った私に、構う暇はない。

 改めて感じてしまった何とも言えない感情に押し潰されそうになりながら、なんとか午前の授業を受けた。

「はい、じゃあ今日の授業はここまで」

 先生のその声を聞いた瞬間、「よっし、終わった〜!!」「今日あっちでお弁当食べよ!」「弁当食べ終わったらあれやろうぜ!」などと、急に騒がしくなった。

 お弁当を持ってきていない私は、百ニ十円のおにぎりを購買で買った。私はいつも、今は使われていない教室で食べている。ここは静かだし、人も滅多に来ない。それに、空気も澄んでいて学校とは思えないほど、居心地がいい。そのため、私はいつも、昼休みの終わる十分前までこの教室にいる。今日も同じように十分前になってから教室に向かった。


 …最悪だ。私の机の周りに女子たちが集まっている。どうするべきか考えていると、その人たちの話が聞こえてきてしまった。

「ねぇ、ここの席誰だっけ?」

「え〜知らないよ。」

「てか、時々いるよね、存在感幽霊の人。」

「あ〜いるいる。それで、席占領してたらなんか見てくるし。」

「そうそう!ちょっとだけなんだし、別にいいだろってな。」

「分かる〜!」

彼女たちはゲラゲラと笑いながら話していた。

「…………」

 何度も深呼吸をして、授業が始まる一分前にすっと教室に入った。


サァァァ…

色づいた木々が風に揺られて音を立てている。

 今日の学校は本当に最悪だった。朝から何とも言えない感情に押し潰されそうになったし、聞きたくもない話を聞いてしまったし…。

「…………はぁ…」思わずため息が出る。いつから、こうなったんだっけ…。自然と、呆れと悲しみと諦めの混ざった顔になってしまった。

 ふと気が付くと、もう家の前に立っていた。お母さんの車だ…家にいる、のかな。家、入りたくないな…。といっても、家以外に行き場はないから、家に入るしか私に選択肢はない。

 一度深呼吸をしてから、ドアをできるだけ静かに開けると、お母さんの声が聞こえた。

「すごいじゃない!またテストで全教科百点満点なんて!さすが理玖ね。お父さんにも報告しなくちゃ。」

リビングにはお母さんと弟の理玖がいた。この現場を見るのは初めてじゃないとはいえ、多少は傷付く。私は、褒められるどころか、理玖が生まれてからは、ほとんどまともに相手をしてもらったことがない。私が…期待を裏切ったから…。

 気付かれないうちに急いで階段を上がり、自分の部屋に入った。私はしばらく部屋のドアの前でうずくまっていた。


 気が付けばもう部屋は真っ暗で下からは楽しそうな話し声が聞こえる。

お腹…空いたな…。仕方ない、か…。下行こう。

…カチャ

階段を降りて、リビングのドアを開けた。できるだけ、音を立てないように。できるだけ、顔を見せないように。こんな私でも、衣食住はちゃんと確保してもらってるんだから、少しでも迷惑をかけないようにしなきゃ。

 キッチンに行くと、昨日の残りの夜ご飯があった。お母さんとお父さんと弟はテーブルで楽しそうに会話している。みんな私には無反応。いつものことだ。いつものことだけど、たまに思うことがある。本当にみんなに私は見えていないんじゃないか、私はいてもいなくても気付かれないのではないか、と。

 置いてあるご飯が、なぜかとても遠くにあるように感じてしまう。目の前にあるのに、どこか、遠くにあるような、そんな感じ。どうしてなのかは、よく分からないけれど。

 私はキッチンに座りこみ、一口、一口、少しずつ食べていった。多いとも少ないとも言えない量だから、食べるのに時間はかからない。

 いつものように、三人が楽しそうに食卓を囲んでいる間に、音を立てないように、少し急いで食べる。食べ終わったら、静かにお皿を洗って、キッチンペーパーで綺麗に拭いて、何もなかったかのように元の場所に戻す。

 早く、部屋に…。そう思ったとき。

『本当に理玖がいてくれて良かった!!』

お母さんの嬉しそうな声が何倍にもなって脳内に響き渡った。

 心臓はドクンドクンと激しく脈打ち、とてつもない目眩に襲われ、吐き気がした。なぜ急にそうなったのかはまるでわからない。慣れていることなのに。あのお母さんの嬉しそうな声が、ずっと染み付いて離れず、気持ち悪かった。私はついにそれに耐えられず、家を飛び出した。

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