中嶋ラモーンズ・幻覚6
安保 拓
中嶋ラモーンズ・幻覚6
財布の中には一万二千円と小銭が入っていた。場外馬券売り場までは、少し歩くことになる。レース予想なんてする競馬新聞も買わない。ただ荒れそうな新馬戦を買うだけだ。胃に入れた瓶ビールが、キーンと冷えてくる。負けたらまた彼女との喧嘩と落胆の声が待っている。雪はブリザードから晴天へと変わった。少しでも勝ったら場外馬券売り場の二階で、生ビールでも呑もうと考えて歩き続けている時に、メールの返信が来た。
「私もさっき、職場の人とランチに行ったよ。今度、一緒に行こ。ちょい安くて美味しいからさ。」
そうこうしてるうちに、場外馬券売り場に到着すると、館内は人で溢れていて、みんな必死に、
オッズモニターや競馬新聞にかぶりつき、投票用紙に鉛筆でマークを素早く入れていた。各々の予想は、絶対当たると信じて馬券を買っているのだが、丁度、レースの払い戻しが確定していたので、当選払い戻し機械の方向に目をやると、ほとんど当選馬券を換える人は居なかった。
「万馬券が出た、荒れたレースだったんだな。」
リプレイされたレースが、場外馬券売り場の中継モニターに映し出された。中嶋は、馬場状態やタイムの意味が何年経っても分からない。ジョッキーで選ぶのか、お馬さんの血統で選ぶのか、武豊だけ買っていれば良いのか、競馬のレースは難解で、大体、八割が人気馬券で収まってしまうらしい。そう有名な競馬雑誌に書いてあったからだ。だから競馬をやる人は、競馬をギャンブルとは言わずロマンと言っているが、中嶋にすれば仕事である。だから仕事である以上、利益を上げなければならないのだが、新聞の予想通りに買うほど穴馬が一着に来るので、荒れそうな新馬戦しかやらなくなった。もともと種銭も少ないし、一点に何万とも賭けたことがないチマチマスタイルだから大金を手にしたことも無い。どうにも中途半端な馬券しか当たらず家路にすることも多いが、冬は農家のアルバイトが無いので、土曜日の競馬を仕事と言って横手市まで出掛ける理由にしている。中嶋は日本中の馬券師が注目する中継モニターから眼を外すと、早々と二階の食堂へ上がり生ビールを頼んだ。そして今日は、何かが有りそうな気がして、近くのコンビニエンスストアにお金をおろしに行き軍資金を増やそうか考えてみた。しかし何も無いと決断して生ビールを食堂のおばちゃんから受け取ると、一口泡をスッと呑んだのだった。
「今日は、バースデー馬券も有りかな?いやいや単勝十倍以上全部買いだ。いやいや三連単か?」
突然だが、彼女との出会いは立川市の精神病院だった。俺はその頃、頭が破裂するほど可笑しい体験をして精神病院に強制的に入院させられたのだが、とにかく入院病棟全体が気が狂っているような感覚で、落ち着きを取り戻すのに苦労していた。そんなときに話しかけてくれたのが、将来お嫁さんになる彼女だった。
「こんにちは、絵を書いているんですか?」
「いや、落書きです。絵の勉強もしたことないし、暇なので絵を書いているのですが…。」
彼女は、興味津々そうに、こちらを除いてきた。
下手な絵を面白そうに見るので、少し恥ずかしい気持ちになりながら、鉛筆をカリカリと走らせていた。
もちろんこの時は、彼女と結婚するなんて微塵にも思っていなかったが、たまたま四人部屋の病室が一緒の一人にこう言われたことを覚えている。
「お前、将来あのガリガリなヤツと結婚するぞ。
私は、何でも視える病気だからな。アハハー?」
その当時は、俺は二十代で、そのおじさんは五十代くらいだろうか。肝臓を患い末期のガンだと言っていた。背は低く浅黒い顔をしていた。二回ほど、病院を勝手に抜け出して病院の近くにあるお寿司屋さんのテイクアウトの寿司を、病院食以外食べてはいけないのに、早く食え、早く食えと言われながら、そのお寿司屋さん前で病院着のまましゃがみ込みながら二人で、イカ、マグロと食べていた記憶がある。そのおじさんは、冗談で言ったのかも知れないが、俺は初めて未来が視える人に見えた。おじさんにいろいろ聞きたかったが、ある日、俺は勝手に病院を抜け出して、その処置として鉄の扉の個室に無理矢理入れられた。鉄の扉の個室は三畳程で、便器がむき出しで設置されており、コンクリートの壁に窓は鉄格子だった。独房以外の何でもない部屋に閉じ込められた。そこからの記憶を鮮明に覚えている。看護師が見廻りに来ない。俺は喉が乾き鉄の壁叩き大声をだす。看護師が暴れてると思い鬼の形相で鉄の扉を開ける。やっとのことで水を貰う。この繰り返しを八週間続けた。
「俺は、ついに基地外扱いになったんだ。俺の心はここにある。ただ喉が乾き水が欲しいだけだ。
あのおじさんは元気かな?彼女はどうしてるの。」
中嶋は、場外馬券売り場の二階にある食堂で、ビールを呑みながら精神病院での独房生活の事を思い出していた。入院初日、軽い運動をしてうる覚えの日にちと曜日を確認して、頭の中は、悪いことはしていないのに、入ったことのない刑務所より待遇が悪いと感じていた。お水を一杯貰うのに、最低30分は叫ばなければいけなかったのが辛かった。そもそも俺はおかしい?おかしくない?の繰り返しで、汚いマットレスの上でもがいていた。入院前に、兄弟からこう告げられた。心配そうな顔をしながら意味不明なことを言う。
「もうこの病院は、いつ退院できるかわからないよ。お前は、そういう診察の診立てだから…。」
その言葉が、頭の中をぐるぐる回る。俺が何をしたっていうんだ。とにかくこの独房に居ると、頭がおかしくなる。おかしくなるのか?おかしいのか?わからなくなってくる。首をつる紐も見当たらない。窓はすりガラスの鉄格子。鉄の扉は重い。過去に入っていた人が扉を叩いた手の跡が、生なましく残っている。たまたま様子を見に来た看護師に、今日はここには入ってから何日目か聞くと、まだ二日目だと冷淡に言って鉄の扉を閉められた。
良く過去にこだわるな。未来を見ろとかドラマの台詞で言うが、過去に燻ぶった煙りは、未来を覆い尽くすこともある。簡単言えば、今、ビールを呑みながらまた燻ぶったこの思考を止めることができない。その中で、平穏無事に競馬予想をしてるが、そろそろ自分の心の状態も予想しなければと携帯電話のメールを確認する。そしてじっと文章の足元を見ると、今夜は荒れそうな気がした。生ビールを半分まで呑むと、彼女に好きだよとだけメールした。もう嘘は突き通せないところまで来ている。場外馬券売り場の二階で、生ビールを呑み干すと捨てられている新聞を拾い、4レースの新馬戦をやることにした。12頭のうちの10倍以上の払い戻しがある馬券を千五百円ちょっとずつ。単勝60倍の馬が怪しい。怪しいのは俺の心なのに。
「荒れそうな気がした。気がするだけか?負けたらまた彼女になんて言おう。これで本当に最後。必ず職業安定所には行くから。当たれ当たれ…。」
中嶋ラモーンズ・幻覚6 安保 拓 @taku1998
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。中嶋ラモーンズ・幻覚6の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
中嶋ラモーンズ・幻覚11/安保 拓
★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 1話
中嶋ラモーンズ・幻覚10/安保 拓
★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 1話
中嶋ラモーンズ・幻覚9/安保 拓
★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 1話
中嶋ラモーンズ・幻覚8/安保 拓
★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 1話
中嶋ラモーンズ・幻覚7/安保 拓
★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 1話
中嶋ラモーンズ・幻覚5/安保 拓
★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 1話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます