第14話 仮面をかぶった少年

私がある寺に勤務し始めた4月、上役の坊主(その寺には総長以下3人の部長坊主がいた)の一人から「この子供の面倒を見てくれ」と頼まれました。


その寺での私の仕事とは、つるっぱげ頭に作務衣という格好で、毎日の寺内の掃除、毎週土曜日の座禅会での座禅指導、たまの葬式の補助(2・3人で葬式をやる時)でした。 その子供(仮にA君と呼ぶ)というのは中学生くらいで、いわゆる「問題児」なんだそうですが、確かにいつでも無表情。自分の喜怒哀楽を顔や身体で表明するとか、人に対しどういう対応・応対をすべきか、といったことが(コンピューターで言えば)プログラミングされていない。(在日)韓国人に多いタイプです。


誰がなにを聞いても話しかけても「うつろな答え・曖昧な応対」ばかり。

「なんでこんな子供を受け入れたのか。ウチのような大寺で一人を受け入れたら、日本中の問題児や精神的な障害児が、際限なく押し寄せてくるではないか」と、食堂で茶を飲みながら怒るある坊主に、寺の賄いのオバチャン(坊主の食事を準備したり・片付けをする)は、ネチっこい・色っぽい目でこう言いました。「A君を連れてきたお母さんが凄い美人だったから、○○部長が独断で決めちゃったのよ。」と。


天下の○○寺なんていっても、そんなたわいもない理由で物事が決まってしまう、というのが世の中なのです。



で、私は自分の経験から彼に日記を書かせたのです。

高野悦子さんの「二十歳の原点」ではありませんが、人は(日記に)書くという行為によって、正直に自分の心を吐露することができる。高野悦子さんは、毎日の生活で演じている「高野悦子という仮面」をはずし、真実の「高野悦子」と日記の中で、毎日対話をしていたのです。


A君の場合、彼の(無表情でロボットのようなぎこちない)態度とは、自分で作り上げた仮面であり、幻影であって、本物のA君ではないと、私は感じたのです。


彼に対し、毎日彼の日記を私が読む、という条件で日記を書かせました。

日記は、事務所の私の机の上に置いてあります。彼は、毎日寺が閉まる30分前に私の机に座り、今日一日の出来事を日記に書きました。


興味深いのは、初めはただ出来事を記述するだけであったのが、次第に感想(自分の心)を書き出すようになってきたことです。

5月の連休中はA君もおやすみ、ということで寺には来ないというので、この日記だけは家に持ち帰り連休中も毎日書くように、そして、連休明けに机に戻すように指示しました。


連休明け、私は驚きました。

それまで2週間の間、寺内掃除の合間や昼飯時に聞いていた彼の家庭事情と全く違うのです。

彼が口頭で私に述べていたのは「僕は毎日、お母さんに虐められている。お母さんはテレビもラジオもゲームも無い・窓のない狭い部屋に僕を閉じ込めている。」ということでした。

ところが、連休中での日記で彼が述べているのは「今日は天気がいいので、窓の外をぼんやり眺めていた。一日中、テレビを観たりビデオでミッキーマウスを見て楽しかった。」なんてことが書き連ねてある。


その日の朝、この日記を読んだ私はすぐに「彼」を理解しました。

朝礼が終わり、掃除になった時、私は本堂横の書院で彼にこのことを詰問しました。要は、話が違うではないかということです。


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私の考えでは、こういう「ガキ」は、徹底的に扱く(③きびしく訓練する。「新入社員をしごく」)しかない。少しでも甘やかすと、どんどんつけあがる。

これは高校時代、ある在日韓国人がよく口にした言葉ですが「癖になる」と。同じ、在日っぽいこの子供もまた、変に甘やかすよりも、ガンガンしごいた方がいい、と私は思いました。精神的に締め上げる、ということです。警察官が小林多喜二を警察署で虐待死させたのとはちがいます。 「精神的にボコボコに殴る蹴る」ことしか、救いの道はない。


「戸塚ヨットスクール」という教育施設が、ヨットの航海訓練における危険と、そこに発生する恐怖心によって問題児を何人も更生させたという事実は、それを証明しています。

戸塚ヨットスクールの場合、これが一般的に普及すると、精神病院や向精神薬を作る製薬メーカーの商売が消えてしまう、ということで、マスコミや警察とグルになって戸塚ヨットスクールを潰し、その主宰である戸塚宏は刑務所に入れられてしまいました。(石原慎太郎は彼の理解者であり、後援者でした。)


しかし、私は大学日本拳法での(ボコボコにぶん殴る・ぶん殴られる)経験から、そういう肉体的・精神的ダメージが、逆療法・毒を以て毒を制す的な効果があると確信していました。商社時代にも、周囲から、き○がい・凶暴・バカ・世間知らずと、陰口を言われて疎外されていた新入社員を、私流の大学日本拳法的スパルタ教育で更生させたことがあるのです。

(運命共同体の会社ではないので、この少年を育てようとは思いませんでしたが。)


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私は彼の胸元をつかんで壁に押しつけ思いっきり顔を近づけて彼に凄みました。


「オイ、オレを舐めるな。オレは○○部長のような世間知らずのバカ坊主じゃない。その辺の寺で坊主づらした「そんじょそこらのクソ坊主ども」とはわけが違うんだ。いい加減、正直にやらねえと、ただでは済まねえぞ !」なんて。


漫画やテレビドラマのチンピラのセリフですが、仕方がない。

他にもっと手の込んだ手は考えればいくらでもあるでしょうが、こんなつまらないガキ一人の為にそんな時間はもったいない。

手っ取り早く、このガキとの関係を無くしてしまいたかった。このガキとは「無関係という関係」にしたかったのです。

こういうガキといると、その内、寺の中にクビを切り取られた猫の死骸が発見されるとか、仏像に落書き、なんてことが起きるのは間違いないのですから。そんな時、こっちが疑われでもしたらかなわない。

なにしろ、この少年は、朝の寺務所の朝礼から、夕方、寺の門が閉まるまで、寺の中をくまなく徘徊することを赦されているのです。私以外にも、寺の仕事を手伝う人について賽銭箱の中身を回収したり、観光客が入れないところにも出入りしているのですから。


さて、その時A君は恐ろしい目で虚空を見ながら「グォー」という声にもならない獣のような声(のどを締め付けていたわけではない)を発しました。


続く  


2023年11月13日

  V.1.1

  2023年11月14日

  V.2.1

2023年11月15日

V.3.1

平栗雅人

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