第10話 私が貼られた恐ろしいレッテル
その日の夕方、かの日本人から電話がありました。
数日後にこの会社を訪れる日本のお客さんのことでした。
私は彼に「もっと慎重になれよ」という気持ちで、少し細かく日本人の応対について話をしました。
すると彼は「なーに、日本人なんて、適当におだてて(ボストンの)ロブスターでも食わせてやれば、イチコロだよ。」なんてはしゃいでいる。
対日本の窓口は自分一人になって、すっかりご機嫌というか有頂天です。
この瞬間、普段は迷わない私も2・3秒迷いました。
「この人は、完全に舞い上がっている。自分の車が(一週間に2回も)駐車場から消えるどころか、あの映画のように、自分も家族も消されるかもしれない。(映画だけの話ではない?)「彼ら」には、警察も政治家も国家も手が出せない。」ということを全く理解していないのか、と。
といって、もし私が今日会ったユダヤ人の話をこの日本人にしたら、この人、その話を会社中に言いふらすであろうことは間違いない。そうなれば、ユダヤ人の立場は悪くなり、下手をすれば、とばっちりで私も消されてしまう ? なんていう心配・妄想が頭の中を高速で駆けめぐる。
なんとか、この日本人に、遠回しに、彼に迫った危険を知らせることができないものか、と。
で、無念無想の境地に至った私が執った手段は「かのユダヤ人になり切る」ことでした。さっき会ったばかりのユダヤ人が怒濤のようにわめき散らした罵声を、そっくりそのまま(日本語にして)彼にぶつけたのです。
その数十秒間、畳50畳くらいの会社全体が氷河期のように凍り付きました。 私の声は応援団並みかそれ以上ですから、同僚の日本人も、別の部屋の社長も副社長も日本語のわからないアメリカ人の秘書たちも、全員が私の怒号に仰天したことでしょう。
その日は、誰も私に話しかける人はいませんでした。
日本では、24時間働く(牛丼の吉野家的)会社員、No.1セールスマン、トップ・ビジネスマンとしての尊敬を込めた「き○がい」だったのですが、このアメリカで苦節2年有半、遂に、ホンマもんの「き○がい」というラベルを貼られたのです。
かの日本人は、その後、日本からのお客さんを交えて一度会いましたが、かなり謙虚になっていました。もちろん、私に対する恐怖(暴力団・き○がい)からでしょう。そして、今度は私のことを、アメリカの会社の同僚や日本から来たお客さんに話すでしょう。 平栗雅人の人生、一貫の終わりです。
一瞬(3秒間)のいえ、自分の頭と心と行動で行なった決断です。信じられないかもしれませんが「運命はどう転ぶのか」という興味も、コンマ01秒くらいの間にあったのです。
私が電話をしている斜め前には、いつもの通り同僚の日本人が仕事をしているし、横、数メートルには、時計のように正確、定時きっかり退社の秘書が、デートに備えて爪を磨いたりなんかしている。 その長閑(のど)なオフィスに、突如、ハルマゲドンのように大きな雷を落とそう(自分で自分を殺そう)というのですから、さしもの鈍感人間である私も、更にコンマ01秒躊躇しました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます