第9話 ユダヤ人の怒りの凄さ

数日後、彼と連絡を取り、ランチを一緒することになりました。

郊外のレストランで、時間帯が早かったせいか、客席はガラガラでした。

彼の話では、この日本人がこの話を会社中に触れ回った所為で、ユダヤ人は自主退社したらしい。


彼は非常に温厚で、気が利き、英語の下手な私のような者に対しては「ヒーラ・グーリ・サーン」なんてゆっくりと話してくれる。相手の英語のレベルに合わせて、単語も使い分け、本当に相手が理解しているかを確認しながら順序立てて話をしてくれる。ハバードやMITの教授とか(全部とは言えないのでしょうが)、頭の良いアメリカ人ほど、子供でも理解できるように、レベルダウンして話してくれるものなのです。


最初の30分くらいは、和やかに話をしていました。

ところが、そんな温厚で紳士的で冷静な彼が、かの日本人のことを話している内に、気持ちが激高してきたのか、どんどん言葉や語調が荒くなってくる。

それまでの柔らかな笑顔が消え、鬼のように顔を真っ赤にし、口角泡をとばしながら、激しい口調でかの日本人を罵る姿は、それまでの2年間で一度も見ていない姿でした。おそらく、陰口をたたいていた、かの日本人も、今まで数年間彼と付き合った私の前任の駐在員も知らない姿でしょう。

「ビッチ」「キル」なんて、20分くらいの間に何十回使ったかわからないほどです。 彼は独り言のように、こんなようなことを言いました。「フフ、一週間の間に二回も車が盗まれるなんて、いい気味だ。」

そして、「殺してやる」とか、「ぶっ殺す」という感じで「キル+○○○」なんて言葉を、怒鳴るようにして何十回も連発していました。


私は英語の勉強のつもりで、町のビデオショップで映画のビデオ(AVではない。アメリカのAVとは馬の交尾みたいで、色気やムード・情緒が全然ない。)を何本か借りましたが、唯一記憶に残っているのは「Once Upon a Time in America」というユダヤ人・マフィアの(実)話でした。恐ろしい映画です。


まあ、題名通り「昔話」なのかもしれませんが、アメリカという国は当時、ユダヤ人に支配されていた。政治家・警察・新聞やテレビといった主要マスコミは、すべて彼らの思うがまま。それを描いたレオーネの傑作です。 この映画だけは、英語もよくわからないままに、何回も見ていたのです。 映画の中で、主人公のMAXというユダヤ人が、もう一人の主人公Noodleに対して怒鳴り散らす場面がありますが、私はそれを思い浮かべました。


私は「かの日本人が殺される」という危惧を抱きました。 もし、あの場にかの日本人がいたら、その場で彼にナイフで刺されていたかもしれない、首を絞められていたかもしれない、そんな妄想が浮かぶほど、激しい怒り方だったのです。

日本では子供の頃、ケンカでそういう怒りの場面は何度も見たことがありますが、アメリカで初めて(で最後)でした。


ランチの後、車の中で私は「まずい話を聞いてしまった。」と、イヤな予感がしたのです。

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