第4話 会社員時代に貼られたレッテル

私は(僧堂に入る10年前)大学卒業後のサラリーマン生活時代の5年間、「エエッ!あの平栗が ?」と、中高大の仲間から貼られたレッテルとは全くちがう、超真面目な社会人としての(フリではない)素のままの戦いをしていました。


仮面をかぶるのではなく、嘘や見栄、格好をつけることなく、すべて素のままで生きていたのです(爾来、同じですが)。 朝6時に起床してから深夜2・3時に寝るまで、戦いの連続。仮面をかぶらないので、いつでも真剣勝負。

なにしろ、土曜日に新車でデートをしても、仕事のことが気にかかり、夕食後8時にさよならをしてそのまま会社へ行き、結局月曜の朝3時まで資料作り・海外へのFAX送信なんてことをしてたので、ちょっと余裕のできた入社三年目からお付き合いをした数人の女性と、最高2回(平均1回)のデートで、すべてお終い。

仕事をすればするほど、苦労・心配が増えるのですが、それを一つ一つ解決していく心地よさ・快感に、女の子との楽しみなんて些細なこと、という感じでした。


入社5年目は(新製品のマーケティングを担当した為)、休日なし・盆も正月もなしで1年間休みなし、毎月の残業は200数十時間。「乗車率300%の地獄のラッシュアワー」なんて、日本拳法の練習に比べれば、準備運動ていどのキツさにしか感じませんでした。

学生時代の友人との付き合いは一切絶ち、家族とも一切話をしない、会社の同僚とも会社以外で付き合いなし。精神的な面だけで見れば、都会の仙人です。しかし、売り上げと利益では、全社で断トツ・No.1でした。


ある時など、財務の課長と部長から個室に呼ばれ、「同じ1億の商品を売っているのに、平栗君と、課長以下他の営業マンとでは、利益が4倍もちがう理由」について詰問されました。ここまで違うと、公正取引委員会(だか税務署)から監査が入ったとき困る、ということでした。

私の答えは「私は値引きをしないからです。相手の購買部の人と(笑顔で)戦っているからです。」でした。


そんなことで、会社の人たちからは「き○がい」「仕事バカ」「変人」という尊敬の念を込めて(いると自分で勝手に思い込む)「ぐりちゃん」と呼ばれ、悪戦苦闘・疾風怒濤のサラリーマン・ライフを、しかしながら、大いに楽しんでいたのです。


そんな私でしたので、「池の鯉に餌をやる」ということを誇り・自慢にし、優越感に浸る禅宗坊主のことを、もっと知りたくなったのかもしれません。どういう精神構造をしているのか、と。結局、僧堂は4年間いることとなり、鎌倉の観光寺院に1年、東京の寺で半年間住職をやったのです。


大学日本拳法部時代の仲間からは「いい加減、真剣味のない奴」というレッテルを貼られていた私ですが、そして、確かにそれは真実であったのかもしれませんが、「たった数日で人間の人生は変わる」(映画「三銃士」1948年で、銃士の一人ポルトスが言う)もの。 三銃士の仲間のひとりアラミスは剣で大暴れすると、翌日には、今までの罪を償いたい、なんて言って僧院に入ってしまいます。そして、ダルタニヤンに危機が迫ると、再び銃士に戻ります。


仮面をつけない私は、いくらでも周囲の人からレッテルを貼られますが、日本の国産OS TRONに於ける「実身と仮身」の関係と同じで、たった一つの実身に、いくらでも人の考えた・感じた仮身というレッテルが貼られてもいいのです。


結局、職業としての坊主は辞めましたが、どうせなら実験をしてやろうと、つるっ禿げに作務衣という格好(仮面)は、その後も2年ほど続けていました。 大徳寺の雲水時代、休暇期間中に、こっそり南米へ旅行していた(地下鉄サリン事件の時、私はチリのビーニャ・デル・マルという港町にいた)ので、この時点でまだ「南米への線」はつながっていたのです。


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