第2話 大学日本拳法の面と仮面

大学日本拳法でも、私は「素の拳法」が好きです。

これは「好み」の問題であって、善悪・正否はありません。

(私から見て)小賢しいテクニックとか、格好つけて「拳法をやっているフリをする」姿、つまりは「仮面をつけた拳法」を見るよりも、ストレートにガンガン攻める、素の心の方が「見応えがある」「何度でもビデオで見たくなる」。


大学時代、わが部の在日韓国人コーチは「練習をやっているフリ」を非常に嫌いました。

ご自身が大学時代の日本拳法部で、(特に1・2年生の頃)「死に物狂い・超真剣勝負」でしごかれ、私生活に於いても、日本で小・中と真剣勝負のストリートファイトに明け暮れ、高校生時代には韓国で3年間「在日・卑怯者」というレッテルを貼られ、何度も殺されそうになった方です。

(韓国人は在日韓国人を殺しても罪にならず、むしろ賞賛される。在日韓国人は、日本で学生か社会人(正式に働く)にならなければ韓国で兵役義務があるらしいのですが、もし在日韓国人が韓国の軍隊に入ったら、間違いなく虐待(されて死ぬ)、という時代のことです)。


公私ともに真剣勝負の世界で生きてこられたこの方は、ですから、苦しそうな顔をして練習やってます、という仮面をかぶった学生を、容赦なく殴り飛ばしていました。


日本拳法では面を着用しますが、面は仮面ではありません。その役目は、防御用のプロテクターです。思いっきり、相手の顔面をぶん殴る(とは、自分もぶん殴られるということ)真剣勝負を味わうために着用する面です。

大学日本拳法とは、18歳から22歳という青春期、子供と大人の端境期に、高野悦子さんが大切にした(仮面をかぶらない・フリをしない)素の心を守る為の精神的な強さ、を身につけるスポーツ(武道)である(と、私は思っています)。どんなに殴られようとも、試合で無様に負けようとも、自分のストレートな拳法(心)を貫くことに価値があるのだと。


東京のある大学の女性OBの方は、大学時代でもそういう素直な拳法で活躍され部員を引っ張り、卒業2年後には、ある大会で優勝されたということを知りました。社会人になれば、飯を食う為に様々な仮面をかぶらねばならない。そんな生活のなかで、(その試合の映像を見たわけではありませんが)あくまで大学日本拳法の素の心を貫くその姿・姿勢には、感銘を受けます。


大部分の人が大人になるにつれて、素の心が麻痺し、仮面をかぶることや人からレッテルを貼られることに対して気にしなくなる、のが殆どでしょう。私も(自分で仮面をつけることはしませんが)どんなレッテルを貼られても気にしないように、いつのまにかなってしまったようです。

しかし、高野悦子さんの場合、かなり純真無垢で、私なんぞとは比べようもないくらい知性的であったが故に、知識で考え・突き詰めてしまった。頭で解く問題ではないのに、知識と教養という、ある意味で人間が作り出した虚像に惑わされてしまった。「もし」と言うのは軽率・無意味かもしれませんが、高野悦子さんが、立命館大学で日本拳法をやられていたら、上記女性OGのように、素の心で人生を生き抜く力を得たかもしれません。


大学日本拳法というのは、単に肉体を酷使する・精神力を鍛えるといったスポーツ(武道)ではなく、思いっきり・真剣にぶん殴り合う戦いですから、物理的に超痛い、重くて息苦しい面・重くて動きにくい胴をつけるから超苦しい、練習でも試合でも、ゲーム感覚で負けたというよりも、ぶちのめされたという屈辱感がある(精神的な敗北感が大きい)。

相手に殴られる身体と心の痛みが大きいし、殴った時の爽快感も大きいのです。しかし、たとえ勝っても、血反吐を吐いて苦しむケンカの相手のことを思えば、楽しい気持ちになれない。まあ、面をつけているので、いくら相手を殴っても、プロボクシングほどの生々しい痛みは感じませんが。


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