第8話 手間取る

*** 自動筆記録 所属:調査部特殊調査室 名義:リュウガ ***


 転移先は、演者はいないが一人芝居『サロメ(サルメ)』用に設定された劇場だ。

 劇場の待合室のソファに座るシオミの当主との会話を記録する。


「空想世界でお目にかかり、謝罪をする機会をいただき、恐れ入ります。しばし、遠方にいるもので。この度は部下の見込み違いから、殺傷事件に巻き込まれたようで、大変ご迷惑をおかけしました。心よりお詫びを。大変申し訳ございません」


「心にもないことを言わなくていい。それに、君の手合いが防具を身につけさせ、暗示をかけたおかげで、どこかで助かると信じていたからこそ、今、生きていると察しはついている。謝罪を求めるどころか、礼をしたい」


「それはまた。お気遣いありがとうございます。それで、空想世界がお嫌いなのにも関わらず、こちらの要求に応じてくださったのですね。できれば、あなたがご存知のことについて質問し、記録させてください。ちなみに、規則部が要求した自動筆記での調査は断ったそうですね?」


「ああ、私は自動筆記録で、意図しない心の声が記録されることを恐れている。自己保身のためではない。知る必要ない言葉を目にして、真実に迫ろうとする者を増やしたくないのだ。この世がどんなに割れやすい薄氷の上にあるのかなんぞ、私だって知りたくなかった……」


「そうですか。では、こちらで記録を。まず、答えやすそうな質問をしましょうか。お子さんを身籠った女性だと情報提供しなかったのは、調査に非協力的な姿勢と思われますけど、どうして言わなかったんでしょう?」


「あいつは性別を誤魔化ごまかすことで得た役柄の広さで勝負しているダンサーだ。それを一時的な雲隠れの解決のために捨てるのは惜しかった。何より、まさか、顔が判別できない程度で、調査部が見逃すとは思わなかったのだ」


「これは手厳しい。病院内にやけどあとのある右手の方がいないかを調査したようですが、彼女が逃げ切るために右腕を切り落とす覚悟をするとは、なかなかに想定しにくいですからね」


「あいつを識別したいのなら、足先を見るべきだった。幼い頃から記録にある限りの踊りをこなしてきた関係で、あいつの足はボロボロだ。一部の爪はなく、肌が変色している部分もある」


 平然と言い放つ。

 さすが演劇の悪魔に魂を売った、と評判の男だ。

 演劇のためなら、娘の足がどうなろうと構わないらしい。


「なるほど、プロのご意見だ。ちなみに、娘さんに産婦人科の手術を指示し、彼女は堕胎を指示されたと思って、今回の事件の動機につながっているようです。実際、そういう意図でした?」


「バカを言うな。子どもを堕ろすなど、我らの信仰する神が許さない。それでも、どうしても堕胎させたいという場合、薬を飲ませて終わらせているだろう」


 胎内の子どもの大きさによって取れる選択肢は異なるが、彼は本気でその方法が有効だと信じているようだ。


「大変失礼いたしました。そういえば敬虔けいけんな信徒でしたね。では、早めに産ませて節管ふしかんの培養液の中で安全に育てさせるつもりだったんですね」


「そうだ。だが、あいつの手から取り上げ、縁を切らせ、国に預けるつもりだった。ジェンダーレスを売りにするあいつの演劇人生に、子は不要だ」


「あー、それは、彼女の意に反するので、遅かれ早かれ、衝突してそうですね。ちなみに、彼女は自分を捨て子で、シオミの創業者一族と遺伝子上のつながりないと思ってるようなんですが、その認識であってます?」


「……何が聞きたい?」


「いえね、あなたとジゼルの間に生まれたとされた子って、男の子だと暴露されて報道されたじゃないですか。なのに、ツバメは女性。どういうことなんですかね」


「今回の事件に、それが何か関係しているのか?」


「うーん、関係してるっちゃ、してます。彼女、自身の出生の秘密を告白した手紙が届いたようで、それと同じ体裁の手紙の指示を信じて従って、操られるように失踪劇を演じた感じでして。お心あたり、あります?」


「……ツバメが拾い子なのは事実だ。礼拝堂で私が拾った」


「だとすると、あなたとジゼルの間の子は、どこ行ったんです? あ、そういえば、ご当主の妹さん夫婦のお子さん、男の子でしたね」


 男は長いため息を吐いた。


「……もう察しているようだから言うが、妹の子がそれだ。妹の配偶者とジゼルが、遺伝上の親にあたる。妹はテロに遭って下半身をダメにし、子を産めず、私は自分の性質上、ジゼルと子を成したいと思わなかった。自分の家族を失い、精神不安定なジゼルが家族を欲しがり、妹とその配偶者が提案して実行、その後、ジゼルが死んだのだ」


「なるほど、甥っ子さんが実はジゼルの子で、ジゼルの子と見せていた娘さんはそうでなかったんですね」


「何で立場を交換をしたかは聞くな。妹には、ジゼルの面影を見て辛いからだと話して説得したが実際、そういう面はあるが、子より甥っ子にした方が守りやすいからだ」


「娘さんは守らなくてよいので?」


「……何事も優先順位はある」


「それ、月を眺めるのがお役目の方々と何か関係します?」


「貴様……何を知っている? 私に何を言わせようとしている?」


 シオミの当主は顔面蒼白で、脂汗を流している。


「若き日の私は何も知らなかったし、今も大して知らない。ただ、私がジゼルを連れ出したことから、彼女もあわせた一家族が全員命を落としたことを糾弾したいやつ、命で贖わせたいと考えているやつがいることは知っている」


「えーと、その件は深く聞かないので、代わりに若き日の武勇伝を聞かせてくれますか? ジゼルになる前の女性と出会ったお話を伺いたいですね」


「……いいだろう。私は若い頃シオミの演劇分野の担当として、上流の方の屋敷に招かれては舞台演出をしていた。まだ母と妹がテロに遭う前で、それほど反安楽死派は過激な行動はとっていなかった。たまたま、劇が終わり、招かれた先の庭で月を眺めながら散歩していると、くるくる踊りながら歌う少女がいた。圧倒的な華やかさがあり、目を奪われて、私は駆け寄って跪いて、ぜひうちのダンサーになってくれと懇願した。それが出会いだ」


「具体的に、どのようなセリフで口説いたんです?」


「何故、そんなことが知りたい」


「んー、本件とは直接関係しないですけど、別件の解決のヒントになるかもしれないので、是非」


「昔のことでよくは覚えてないが……『私のために踊ってください』だったか」


「若いなあ。意外と俺様感あるセリフですね。その言葉を受けて、ジゼルさんは死ぬその日まで踊り続けた、と」


「そうだ。なぜそれを知っている? 同じような月の夜、不眠に苦しむあいつは眠り薬で朦朧もうろうとなりながらも歌い踊り、そして水の中に倒れ、眠るように死んだ。もう生きている者の中では、私しか知らないはずだ」


「ただの当て推量ですので、警戒しないでください。あと、ジゼルさんの亡くなった場所に、石の彫像を置いて、すすり泣くような声を演出してますが、狙いは話題性ですか?」


「話題性が一番だが……あの場所を誰にも踏み荒らされたくなかった」


「なるほど。噂で人を遠ざけ、守ろうと。あなたなりに、彼女を愛していて、彼女も彼女なりにあなたを愛していた。それゆえの悲劇ですね」


「私が全面的に悪かったのだ。彼女とその一族のお役目を知っていたら、彼女を連れ出すことはしなかった」


「あー、そのお言葉で思い当たったんですが、向こうさんは、手に入れたかったのかもしれないですね」


「何を?」


「本当にジゼルの血を引く子、ですよ。でもまあ、生まれたのは男の子ですから、きっと今後は無理に取りに来ないと思われますし、その点は不幸中の幸いですね」


「どういうことだ……?」


「あれ? 拾った女の赤子を、わざわざ自身とジゼルの子に見せかけ、とりかへばやを仕掛けたのは、故意ではなかったんですね。申し訳ない、買い被っていました。意味、お聞きになりたいです?」


「……もう失礼する」


「はい。ご協力ありがとうございました」


 男がかき消え、会話は終了した。

 さて、もう一人とは会話できるだろうか。

 演者がいるときに観客は上れない仕様の舞台袖に侵入し、銀のお盆を手に待合室に戻る。

 ガイドの人形の兜を外し、頭部を据える。

 半開きの虚な目が一度閉じられ、しっかり開くと、目に光のある表情を取り戻す。


「おはようございます、ミチカゼさん。お話を伺ってもよろしいでしょうか?」


「ええ、どうぞ。あなた方の介入のおかげで、最悪の事態は避けられて、感謝していますから。何をお知りになりたいんです? できる限りをお話しましょう」


 男は微笑んだ。


「そうですね、まず、あなたが行ったと思われる『自我喪失』の患者を増やした企みについて、です。あなたがこの世の人でなくなった以上、何の罪にも問えませんけども、それは自覚的に行ったと考えてよろしいですか?」


「自覚的……とは不思議なことをおっしゃいますね。無論、僕が僕の意思でやりました。僕が父の後を継いで、この統括の仕事に着いた際に『自我喪失』となり得る成分の組み合わせに気づいたので、一時的に非推奨としました。しかし、彼女が一人芝居を再開し、狙いがすぐにわかり、彼女を止めないといけないと、誰かに異常事態に気づいてもらえるよう、その非推奨設定を推奨と書き換えました。罪深い行いとわかってましたので、夢うつつであることを求める人に対してだけですが……」


「そうですか。ちなみに、それ以外で人を害するような非正規処理は行っていませんね?」


「神に誓って行っていません。故意に誰かを傷つけることは神の教えに反します。私の意に沿うものではありません」


「それは何より。誠実な回答をいただけて安心しました」


 なるほど、神罰かと思った。

 この敬虔な信徒がシオミの統括の生体パーツとなった一週間後、緊急搬送されれば助かっただろう人物が節管ふしかんの中で事切れているのが発見されている。

 その人物は、ツバメに酸をかけた男だった。

 節管ふしかんの緊急搬送は、肉体の状況だけでなく、自動筆記を使って中にいる人物の空想世界での活動を観測し、その必要性の判定している関係でシオミが最終統括をしている。

 おそらく『神は罪人を罰するだろう』という信仰心が、無意識の非正規処理となり、搬送処理の妨害をしたのだろう。

 生体パーツとなった者が、親しかった人物に執着するのはよくあり、仕様のひとつとも言える。

 だが、無意識で行った例はなく、なよ竹と彼の親和性が極めて高いのが要因だろう。

 彼の清廉な人格を見るに、自覚させると自壊しかねないために、対応が難しい。

 抜本的対策として節管ふしかんの緊急搬送の処理を国有化するのが望ましいが、時間がかかる。

 役人向けに自動筆記の統括をシオミから切り離した際にも、一年はかかっている。

 暫定の処置として、暴走させかねない弱点について、さらに情報収集の必要があった。


「あとは……そうですね、この頭部を乗せると、あなたとお話できる仕様、いつから仕込まれていたんでしょう?」


「元々、父が病のために安楽死して、頭部だけでシオミの統括をするとなった時に、僕が母と一緒に、父と会話できる場を設けようと思い、このガイドの人形の中に統括の躯体くたいを置けるように設定していました。僕も同じ立場になったときに、この人形を使って彼女と会おうと思っていたのですが……彼女が、僕の首だけをお盆に呼び出してしまったことで躯体くたいが機能停止してしまったようで、一切動かせず、ずっとお盆のうえから虚ろに、舞台で踊る彼女を見つめるだけになってしまったんです」


「なるほど。ちなみに、どうして、ツバメさんに詳しく話さなかったのか、伺っていいですか? 話をしていれば、すれ違いも起こらなかったように思いますが」


「……そんなの。言ったら、止められるからですよ。父が母の死の悲しみから機能不全になったときにシオミを守り、彼女を守るには、これしかなかった」


「もしや、中核の生体パーツの候補に、ツバメさんの名前があった、とか?」


「はい。何故かはわかりませんが、規則部のお役人がツーちゃんの方が生体パーツとして安定するはず、と強くこだわって。当主の伯父さんも賛同しそうになってて……冗談じゃないですよ。ツーちゃんには踊るための肉体が必要です。だから、僕が立候補して身代わりになったんです」


「あー、なるほど。事情がよくわかりました」


 国の認定安楽死施設を持つシオミは、規則部との関係が深い。

 もし異常事態を知らせるのであれば、規則部であればすぐに連絡できただろう。

 身内である当主なら、尚更だ。

 候補で揉めた経緯から、規則部も当主も信用できず、遠回しに助けを求めたのだ。

 人を尊び、生体パーツを忌避する資源部が気づいて、絡んでくるように。


「……それに」


 男が目を伏して言い淀む。


「僕のハーモニクス手術の終了直後、彼女が手術室に来るなんて、想定外でした」


「ああ、おっしゃるとおり。第三者の介入がなければ、きっと、何事もなく、このように劇場の待合室でお二人は再会できたでしょうからね」


「はい。だから、手術後、まだ麻酔で意識がぼーっとしている時でしたから、彼女が駆け寄ってきた時には、内心驚きました。でも、僕は頭だけになっているから、肺がないから声も出せず、腕がないから抱きしめることもできず……ただ、涙する彼女を虚ろに見ているしかできませんでした」


「おおよその事情が分かりましたが、最後に、あなたとツバメさんとの馴れ初めを伺ってもいいですか?」


 男がぽかんと口を開ける。


「構いませんけど……何か、本件と関係あるのですか?」


「いやー、単純に興味本位です。ダメですかね? たぶんですけど、あなた、この機会を逃したら、他人に恋人の惚気のろけ話とかできないでしょう?」


「あはは、そうですね。そもそも、彼女が万全に踊り続けるため、僕は誰にも二人の関係を打ち明けていませんでしたから。これが初めてで、最後の経験かもしれません」


 男に対し、手を差し出し、先を促す。


「そうですね、馴れ初め……うーん、僕が彼女を初めて意識した話でもしましょうか。僕は病弱で国営の学校に行かず、比較的のんびりとした環境で育てられましたけど、ツーちゃんは通学という形で、朝は学校、帰ったら踊りの稽古と、分刻みの予定表で動いていました。あ、ちなみに、このときはツバメって呼び名ではないですが、ツーちゃんで揃えますね。毎日、勉強と踊りをこなしてすごいな、と尊敬する反面、話しかけると無視されたり、喧嘩腰で食ってかかられたりで。何より、僕自身、ツーちゃんを男の子だと信じていて、意識することもなく、仲良くできなかったんです」


「ははは、彼女も、幼少期、あなたのことは認めつつも嫌っていたようですから、その時から気は合ったのかもしれないですよ」


「そう言ってもらえると嬉しいですね。それで、ある日、確か、僕らが十歳ぐらいのときです。僕は、ツーちゃんが礼拝堂の図書室から本を借りっぱなしだと気づきました。返却期限の規則を守ってないことを母に愚痴ると『初公演で大変だったから返し忘れているのでしょう』と僕たちが喧嘩しないよう、秘密裏に本を返却するように助言されました。ツーちゃんの自室に入って本を探していたところ、普段より早く帰宅してたらしく、入ってきたんです。僕は咄嗟に、長いカーテンに包まって隠れました。そして、彼女が男物の着物を脱いで、踊りの稽古着に着替える場面を目撃しました。医療系の父の教育により、女性の身体の特徴は知っていましたし、もう既に胸が膨らみ始めていたので、すぐに女の子なのだとわかりました。以降、ツーちゃんを意識し始めて……まあ、そこから数年、ただ一方的に僕が好きだっただけで、こんなの、馴れ初めなんて言えないかもしれませんけど」


「いやいや『古今東西、人に惚れて好きになるのは横顔』と言いますから、可愛らしい馴れ初めだと思いますよ。ちなみに、彼女があなたを意識したのは、いつだと思います?」


「え? それならツーちゃん本人に聞いた方が早い気がしますけど……ああ、そういうことじゃないんですね。たぶん、ツーちゃんが右手を汚されて担ぎ込まれた日の夜、ですね。それまでは、まともにツーちゃんが僕の目を見ることはありませんでしたから。彼女が感情を僕にぶつけて、僕がそれを受け止めた時、初めて彼女と目が合いました」


「あなたの覚悟を感じた、と彼女は言ってましたよ。一言一句、覚えてましたし」

「えーっ、そうなんですか? 実は泣き続ける彼女を慰めようと必死だったので、僕自身は自分の言ったことをよく覚えてないのです、お恥ずかしいことに……彼女の感情的な言葉を聞いて、雷に打たれたような衝撃を受けまして。彼女の言葉を復唱するような感じで、僕が叶えるから、大丈夫、何とかする、とか言った気がしますけど」


「実際、あなたが何とかしたことで、彼女も心を開いて振り向いてくれたわけですね」


「そうですね。その時には、既に彼女は学校を卒業してましたから、基本、敷地内にいて、踊りの稽古のとき以外は、手をつないでよく庭園を散歩していました。空想世界で同じような行動をすると、熱愛発覚とか騒がれてしまうらしいですが、物理世界は人も少ないですし、周囲から僕たちは男友達と思われていたみたいで、騒がれることはありませんでした」


「あの、ちょっと下世話な話で、こういう聞き方になるのは大変申し訳ないですが……あなた、彼女をはらませるおつもりありました? まだ母子へのリスクが考えられる年齢ですよね?」


「ああ、いえ、おっしゃりたいことは何となくわかります。正直、よくわかりません。お互い節管ふしかんを毎日仕事で使っていましたから、まず子ができると思ってませんでしたし……あ、ご存知と思いますが、なよ竹の培養液には避妊効果がありますので。でも、二人とも成人してますし、ゆくゆくは神の思し召すままに、とは思っていました。ただ、もし僕の安楽死の前に彼女が身籠っていると知ったとしても、きっと僕の行動は変わらなかったでしょう。それでも、絶望の中、彼女の手に生きる希望をひとつ残せたのだとしたら、子どもがそこにいてくれてよかったと心から思います」


「確かに。手術室で対面した際に『ロミオとジュリエット』のような恋人たちの死という悲劇を回避できたのは、お腹の子のおかげだと言えるでしょうね。あ、ご存知でしょうが、一応お伝えしておくと、お子さんと一緒に彼女はお元気だそうで、処遇が決まり次第、あなたと再会できる見込みです」


「ええ、楽しみです」


「確認したいことは以上です、ありがとうございます。あと、最後に何か、やってほしいこと、知りたいことなどの要求はありますか?」


「要求……」


 男の出す声が低くなる。


「そうですね、ツーちゃんから切除された右手、手術後に外部に持ち出されてしまって。どうにか取り戻すことはできませんか」


「あー、その件ですね……こちらも下手人を察してはいるんですが、今時点で持ち出しの狙いが不明なもので、できるとも何とも言えないですね。努力はしてみます」


「……そうですか。惚気みたいな話ですけど、ツーちゃんは僕を情熱的に愛してくれましたし、体も許してくれましたが、シルクの長い右手袋と胸当てと靴下は絶対に外しませんでした。彼女の肉体は彼女自身と、彼女が許した者だけのものです。僕が許されなかったツーちゃんの右手を……他の者が所有し、愛でるなんて……絶対に、あってはならないっ!」


 男は冷静を装っていたが、最後、怒りを爆発させた。

 極めて好ましくない兆候。

 人間は、感情の処理を肉体全体を使って行う。

 緊張と不安でお腹が痛くなる、など最たる例だ。

 そのため、生体パーツとして頭部だけになった者は、感情的になりやすい。

 彼の父が機能しなくなったのも、感情処理が追いつかず、悲しみに支配されたことにある。

 何よりシオミを統括する中核の怒りは、神の怒りになり得る。

 罪人を無意識下に罰したように、暴走する危険性が既にそこにあった。


「……ええ、そうですね。権利を侵害され、憤慨ふんがいされるのも当然かと思います。もう少しお時間をいただければ、こちらで取り戻す算段をつけましょう」


「ありがとうございます……失礼、取り乱してしまいました」


 幸い、感情的になるとまずい、という自覚はあるようだ。


「いえ。ご存知でしょうが、あまり感情を募らせないように……できるだけ早く、ツバメさんと会えるよう、関係各所を急がせますから」


「ええ、承知しています。お気遣いに感謝します」


「では。お時間いただきまして。この辺で失礼いたします」


「はい。あなたに神のご加護を」


 人の身から外れ、神に近い男は穏やかに笑った。


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