第5話 妙手

*** 自動筆記録 所属:資源部 名義:スズメ ***


 合同調査開始二日目。

 昨日のサザンカは職場の机に飾りましたが、今日そこに座ることはありませんでした。


「午前中いっぱい、まさかの肉体労働……」


「はいはい、口を動かさなくていいから、体を動かしてね。関係者外秘の巻物の整理は終わったから、その辺の箱、指定の場所まで荷台で運搬して」


「はーい。でも、ヤギさん、ほぼ人力で巻物を運ぶって……効率化できないんですか?」


「仕方ないでしょう。資源部の場合、同じ建物内で通信で膨大な統計情報を読み込むより、丸太ほどある巻物を運搬して直に読み込む方が早いんだから」


「そういうものですか……」


「スズくん、午後は実地調査とやらで馬車で遠出だったよね? 運び終わったら、もう玄関の方に馬車が来てると思うから、戻らずにそっちに行っていいよ」


「はーい。そのまま、いってきまーす」


 ようやく運搬の仕事を終えて、玄関口に行くと、二輪馬車が待機しているのが見えました。

 馬が一頭、上部を頭からお尻まで金属的に輝く製の装置で覆われています。

なよ竹を組み合わせると、空想世界とつなぎ、動物を植物のように光合成で稼働させることができるのです。。

 前面を解放した天井付きの座席に、既に、弟さんが乗っています。

 衣服に付いたフードを被らず、キャスケット帽を被っており、不審者感が少なめです。


「スズ、早く乗って!」


「はーい」


 座席に乗り込み、二人並ぶように座ります。

 弟さんが制御盤を操作すると、馬車が動き始めました。

 安全運転のための注意事項を案内する音声が再生されて、予め設定された目的地、シオミ創業者の屋敷に出発しました。

 曇り空ですが、暑くも寒くもない移動には向いた天気です。

 植物技術の恩恵を受けた馬は空想世界で早駆けでもしているのか、結構な速度を出して走っていますが、座席に優れた衝撃吸収の性質があるようで、馬車の乗り心地は文句なしです。


「棚田が見える」


「もう稲は刈り取られてますけど、きれいな風景ですね」


 海進によって山際に耕作地が追いやられた結果と思われる、美しい階段状の田園の風景が延々と続いていました。

 地産地消が当たり前の今、収穫量をあげるためなのでしょう、海のギリギリまで棚田が広がっているのが見えます。


(……小さな島国でこれなら、話に聞くつ国はどうなっているのでしょう?)


 この疑問に明確な答えを出せる人はいません。

 空想世界には、国民向けの区域の他に、どこの外つ国とも自由に交流できる区域があります。

ただし、まともに利用されていたのは昔のことで、今は隙あらば殺傷されるような無法地帯となっており、事実上、閉鎖されているため『開かれた禁足地』と呼ばれています。

 空想世界で殺されれば、人は死ぬからです。

 正確には『死んだ』と強く信じる事象が躯体くたいに起こった場合に『病は気から』の理論で、心肺停止状態になり、早急に適切な蘇生処置が行われないと死に至ります。

 そのため、節管ふしかんの先には救急救命の行える病院とつながっていて、万一のときに節管ふしかんの内部殻を切り離し、近くの病院に緊急搬送できるようになっています。


「目的地付近です」


 いつの間にか目的地が間近に来ていたようで、音声案内が再生されて我に帰ります。

 敷地を取り囲む壁の道沿いに、枝垂れ柳が点在しています。

 シオミの象徴の印章が柳を模しているのは、この街路樹に由来するのだとか。

 目的の敷地内に入ると、警備兼門番の方が迎えてくれました。


「連絡があったお役人のお二人だね」


「あ、はい」


「ここで降りてもらえれば、お帰りまでこちら、預かっておきますよ」


「ありがとうございます!」


 言われるまま降りて、馬車を預けました。

 門番の方は、老いた男性でした。

 親切なおじいさんは、敷地内の地図を指差しして、調査部の本隊がいる詰め所の場所を教えてくれました。

 お礼を言って、向かいます。


「お年寄りだった」


「きっと長く、物理世界で生活してらっしゃるんでしょうね。ある程度の年齢の方が節管ふしかんに入らずに物理世界の生活を続けると、肉体に老化現象が戻るそうなので」


 詰め所の近くまで来ると、長身で筋骨隆々の武官と思われる方が、分室長の弟さんに親しげに話しかけてきました。


「お? お前が来たのか。『特殊調査分室のやつが来たら状況を共有しろ』ってお達しだったから、コマイヌが来ると思ってたぞ」


「ヤマ、久しぶり」


「お前一人か? コマイヌはどうした?」


 ちょうど、弟さんの陰に隠れて死角に入っていました。

 前に出て、挨拶します。


「こんにちは。今日はよろしくお願いします」


「えっ。えっと……どなた?」


「資源部のスズだよ」


「お、おう」


 弟さんの紹介が簡潔すぎて、面食らってます。


「まあ、いいや。よろしくな。俺は鯉の種類、山に吹く黄金と書いて、ヤマブキオウゴン。育て親がつけてくれた名前だから気に入っているけど、呼ぶのには長いから、ヤマとか、ゴンとか、適当に呼んでくれ」


 眩しいほどの金髪に、緑っぽい目の方でした。

 それは物理世界では非常に珍しい特徴で、まずお目にかかれません。この国の在来人種の標準的な姿が黒髪に茶色の瞳で、交配すると、その特性がけんせい遺伝子として優先されるためです。

 外つ国と交流がない今、金髪であるということは、親同士が金髪になり得る遺伝子を保持し、潜性せんせい遺伝子の組み合わせが発現したことになります。

 科学的根拠のない説なのですが、遺伝子がかつて遺伝子と呼ばれた影響なのか『潜性遺伝子が発現した子どもは劣っている』と信じられているため、幼い頃に髪色などで不遇な目にあっただろうことは容易に想像できました。


(……にも関わらず、髪色を喧伝するような名前を誇り、堂々としている姿。きっと、その強さは、育ての親御さんとのよい巡り合わせによるものなのでしょう)


自分のことのように、少し嬉しくなりました。


「私たち、例の人の失踪事件について、実地調査を行うために参りました。話せば長いうえに、開示権限なくて話せない事柄も多いんですが……」


 ツバメの失踪した事実は伏せるよう、箝口令かんこうれいが敷かれているため、敷地内では『例の人』と言葉を濁して会話します。


「あー、そういうのよくあるから、気にしないで。聞かないし。ただ俺、概要しか知らないことばかりだけど、その辺は許してくれ。何せ、三日前に、長期の遠征調査から戻ったばかりでさ。昨日、こっちを手伝えーって言われて、この辺一帯の一ヶ月分の監視カメラの映像の調査分析、さっきようやく終えたばかりなんだよ」


「ということは失踪前後と、その後の映像をご覧になったんですか? この広い敷地内の?」


「いや、全部はさすがに見てない。旧式の映像をひたすら変換して、問題がないかを自動で判定できるように組んで、問題がありそうなのだけを分析した。おかげで例の人の失踪前、最後の姿は特定できたけど、見る?」


「お願いします」


 詰め所に入り、映像が見られる旧式の機材であふれた部屋に案内されます。


「はい、再生開始」


 動き出した映像は、夜間で足元に誘導灯が光る長い廊下に、幽霊のような大きすぎる白いワンピースを着た一人の人物が駆けていく後ろ姿が一瞬、映っていました。


「はい、再生終了」


「え? これだけですか? 一瞬すぎるし、不鮮明……」


「旧式の監視カメラ映像なんだから、そんなもんです」


「ヤマ。ここはどこ?」


「患者がいる入院病棟と医療研究所を結ぶ一階の連絡通路。研究所は機密情報、病院内は個人情報にうるさくて、そもそも監視カメラが設置されてない。何らかの記録用に回してるものはあるだろうが、失踪を伏せた状態では、提出を要求できない」


「見た感じ、研究所から病棟の方に走っていってますかね?」


 その辺に転がっていた病院の間取り図面を見ながら、質問します。

 この時点で、弟さんは会話から離脱し、周囲の巻物を読み進めていました。


「その認識で間違いない。というか、俺は詳しくなかったんだけど、この人、すごい有名な役者さんなんだろ? いや、この走り、どう見ても女性の動きに見えるから、役者ってすげえなと」


「そうですね」


 ツバメ女性説は口止めされているので、気のない返事をします。


「そもそもの疑問ですけど、この方、何で夜間に研究所にいたんでしょう? 経歴的に医療製薬分野は無関係と思うんですが……」


「ああ、手術の予定があったらしい。格好も、後ろからだとわからないが、手術用の前開きの寝巻きだ。担当医には、手術の内容は言えないって拒否された。だが、その医者は専門分野がやたら多いやつで、眼科、皮膚科、形成外科、あと産婦人科もあったかな? とにかく、そんな何でも屋。大方、お得意の美容整形手術だろうって。こいつ、今は別の病院に出張してるから、直接、話は聞けないぞ」


「うーん、そうすると、手術が嫌になって逃げ出したってことになりますか……ちなみに、当然、病棟内はくまなく捜索されたんですよね?」


「失踪発覚した翌日の朝、病棟の立入調査してる。研究所の方も。調査部の本隊所属を二十人くらいかき集めて手分けして全部屋を見て回ってるが、何もなし。人間の探査装置を引っ張り出して回しているから、実はどこかに隠れんぼしてるって線もない。『地面に埋まってる節管ふしかんの管の中にいるんじゃないか』とかアホなこと言ってたやつがいて、配管工が詰まりを探すみたいに地面に装置を押し当てて探して、何もなかったらしいから」


「個人情報保護の厳しい病院って、患者の顔や声などの特徴が認識できないように処理してますよね? 事情を説明できない中の調査だと、きっと顔は見えないままだったでしょうし、患者になりすましてる、とかはありませんか?」


「さすがに調査部のやつら、そこまでバカじゃない。例の人は、右手に特徴的なやけどの傷跡があるって話だったから、全員の右手を見て判断してたそうだ」


「なるほど、失礼いたしました。他に、敷地内で例の人が映ってた映像はないんでしょうか? もし屋外に自分の意思で出たなら、ひとつくらい映っていてもよさそうですけど」


「不思議なことに一切、映っていない。ただ、どれも旧式の監視カメラだから、映像を部分的に削除、とかが考えられるが……」


「が?」


「門番の人には会ったよな? それは『その人の良さそうなたちが例の人の家出に』っていう筋書きになるんだよ。ほら、空想世界で劇を毎日やってる件、あれもどこから通信しているかを調べたら、何度やっても敷地内を指すだけで、使っている節管ふしかんが特定できない。総合して、調査部のお偉いさんは、自作自演の茶番だと疑って、手を引こうとしてる」


「……何となく、状況がわかりました。あとは、例の人を最後に目撃した方と、その状況がどんな感じか知りたいですね」


「あー、それは、そいつが今読んでる調書を読んでくれ。その方が早い」


 弟さんに調書の巻物を渡してもらい、拝見します。

 要約すると、最後にツバメと会ったのは、患者の手術を終えたばかりの医師で、ツバメの演劇には全て通う熱狂的なファンでした。

 医師本人はツバメと会話した訳ではないから、と頑なに『自分はツバメを最後に目撃した人物だ』と主張している、と書いてあることから察するに、この方にだけは失踪の事実を伝えたうえで、調書をとったようです。

 手術を終えた手術室。看護師が運搬用の備品を取りにいった際、手術台で寝る患者と、医師本人だけになった時間があったようです。


「長時間の手術を終えて、疲労で一人で壁際の椅子に腰掛けて休憩していると、いきなり手術室にツバメが飛び込んできました。驚いて『手術室は立入禁止ですよ』と声をかけましたが、聞く耳を持たず、ツバメは手術台に寝る患者に口付けすると、来たときと同じように部屋を飛び出していってしまいました。そのキスの瞬間は衝撃的で、今も目に焼きついて離れません。ちょうど三日前、劇場で見たサロメの終幕を思い出しました」


 どうも彼は当初、容疑者扱いされたようで、何度も同じ供述をとった記録が残っています。


「その口付けされた患者さんって誰なんでしょう?」


「患者と手術内容は、個人情報で言えないと回答拒否。シオミのご当主にも開示をかけ合ってはみたが『国の規則に反すると、病院を運営できなくなる可能性あるから、我が子に関する調査であっても閲覧許可は出せない』と断られた」


「この医師に質問したい」


 弟さんが意欲を見せます。


「そいつなら、今日、敷地内で見かけたから、話を聞いてみるといいよ。入れ替わり立ち替わり話を聞きにいったから、うんざりした顔をしながらも同じ話をしてくれると思うぞ」


「ありがとうございます。あ、こちらの調書、お借りしてもいいですか?」


「ああ、構わない。人に見られないように注意して、後でこっちに戻してくれれば」


「では、そろそろ……」


「ヤマ。気になったこと、ある?」


 会話を終えようという時に、弟さんが参加してきます。


「は? 俺の気になったこと?」


「うん」


「いや、俺、この件については完全に出遅れてるから……だが、そうだな、あえて言えば、例の人が失踪する一週間前、ここの庭園に訪れているやつだな。監視カメラ映像に数秒、映ってた。この件と関係あるかはわからんけど」


「有名な人なんですか? 自動判定で検知したってことですもんね」


「おう、なかなか鋭いな。有名人だよ。なよ竹技術の元締めの社長。いや、そろそろ四十歳になるって言って、もう一線引いて会長になってたんだったか」


 フシミは、節管ふしかんはちかづきのような物理世界の製品から躯体くたいのような空想世界のサービスまで、空想世界を実現する全てを提供する総合グループで、そのトップの言動の影響力は絶大です。


「あれ、でもフシミって、大陸に近い、西の海の方にある会社ですよ? 会長を仕事で遠方に行かせるって考えづらいですし、こんな遠くまで、お忍びで旅行……?」


「ごめん、俺も気になっただけで、意図はまだわからないんだ。ただ、雨の日に傘差しているとはいえ、数ある監視カメラに一切顔を映さず、一箇所に一瞬だけ映ってるってのが意味深だなと思う。だけど、ここの洋風庭園、わりと評判らしいから『単に見てみたかった』とかも充分あり得る。あとは『ジゼルに会いに来た』とか。ファンなのか、映像には、ジゼルが死んだ場所に花を供えてると思われる姿が映っていた」


 ヤマさんは、実際の映像を見せてくれます。

 浅い川の流れの中に、横たわる石の彫像が置かれています。

 そこに、小さな花を一輪、投げ入れる男性が映ります。

 雨の日で傘を差して薄暗く、表情は目視では読み取れません。

 水に流されて花はすぐに画面外に消えますが、男性はしばらく石の彫像を見つめ、元来た道を去ってしまいました。


「解説しておくと、ツバメの母親で女優のジゼルは、十八年ほど前に事故か自死か、ここの庭園を流れる浅い川の中で溺死した遺体となって発見された。その死に様が彼女が最後の舞台で演じるはずだった『ハムレット』のオフィーリアの死に様と同じっていう噂が一人歩きしたものだから、有名な同名の絵画の構図を元に、川の中にジゼルの石の彫像を設置したらしい。指示した本人のシオミのご当主が言うから間違いないぞ」


「これ、横たわる彫像じゃなくて、水面に沈んでいく場面を再現してるんですか?」


「そう。すげえ悪趣味だよな。ちなみに、水流が少なく、彫像の顔が空気に触れているときは、ジゼルの鼻歌が流れる仕掛けがある。庭園を捜索してた同僚が『女のすすり泣く声がする』ってビビって騒いだせいで、ご当主に教えてもらったことだが。秘密の演出らしくて、関係者以外に言うなと口止めされた。口外はするなよ」


「……承知しました」


「ヤマ。当主に会える?」


「ああ、会えるぞ。頼まれなくても会わせるつもりだったから、話を通してある。定例の報告会があるから、一時間でここまで戻って来い」


「えっと節管ふしかんはちかづきも、ここには見当たりませんけど……」


「ご当主への報告会は物理世界で行う。空想世界が大層苦手だそうでな。基本、敷地内の屋敷に篭っているし、物理世界でしか人と会わない。まあ、その半生を見れば、殺されるってのは誇大妄想でも何でもないが、それにしたって、尋常じゃないくらい警戒している。怯えていると言ってもいい。反安楽死過激派が我が子を誘拐して何か企んでいる、と信じてるのかもな」


 ヤマさんに御礼を言って一旦別れて、問題の医師に面会するため、お勤め先だという敷地内の病院に向かいます。


 病院の前に、銅像がありました。


「王子の銅像だ」


「ツバメの初主演作品『幸福な王子』がモチーフのようですね。人気俳優ツバメの顔をした王子の足元に、鳥の燕が止まっていますし」


 病院に入ると、聞いていたとおり、顔や声に認識阻害がかかり、弟さんの顔もわからない状態になります。

 看護師などの病院関係者は問題なく見えますが、次第に絶えず動くモザイクの点滅処理のような事象を見ていると三半規管が段々参ってきて気持ち悪くなりました。


「スズ、元気?」


「……元気じゃないです。ちょっと、先に外に出てていいですか?」


「うん」


 外に出て、深く呼吸しました。

 まだ目がチカチカしています。


(ただ待っているのも、時間がもったいないかな……)


 病院と研究所を結ぶ連絡通路を、外から観察してみようと思い立ちました。

 そこには表玄関から見えないように入れるガラス戸の職員用出入口があり、近くにつばめの巣が見えました。

 見上げていると、中年の女性職員の方が出てきて、声をかけられます。


「こんにちは、お嬢さん。つばめの巣が気になります?」


「あ、はい。すみません、ここに立っているとお邪魔でしたか?」


「あー、いえ。見ていただいて大丈夫ですよ。鳥がお好きでご覧になってるのかなと思って。今年も来てくれて、春には可愛いひながいたんですけどね、もう巣立っちゃったんですよ。残念でしたね」


「あ、そうなんですね」


「この病院、俳優のツバメくんが象徴的存在でしょう? 鳥のつばめに好かれるのは縁起がよいって言って、みんな喜んでいるんですよ。病棟の窓辺にまで燕が来たーって入院している子どもたちが騒いだり……」


 中身のない会話がしばらく続き、気付きました。

 どうやら彼女は『想定外の妊娠をして病院に相談に来たものの、つわりの吐き気で病院の外に出た要配慮対象』という想定で、この病院に親しみを感じてもらおうと話しているようです。


「あのー、実は私、ここにはお仕事の関係で、人を探しに来てまして……」


「あらっ、そうなんですか? やだわ、勘違いしちゃった。ごめんなさい、こんなおばさんの会話に付き合わせてしまって。この病院、お若い人が体や心に困ったことが起きたときによく利用されるんだけど、今のあなたみたいに、一度玄関から入っても『やっぱり恥ずかしい』とか、個人情報を保護するための認識阻害のせいで『人の顔が見えなくて怖い』とかで、外に出てしまう方が多いものだから、追いかけて会話するのが癖になっちゃってて」


「それはまた……お仕事とはいえ、大変ですね」


「そうなの。大変といえば、つい、この前なんて、病棟内に季節外れの燕が迷い込んできてしまって。うちの病院にしてみれば、燕は神の遣いくらいに思ってるもんだから、どうやって逃がそうかとてんやわんやで」


 おばさまのお話を切り上げて、弟さんと合流しました。


「医師、お昼の休憩中」


「そうですか……間が悪かったですね」


「『食堂に行っているようですね。お昼休憩が終わる頃、今から三十分後にまたいらしてください』だって」


 発言者の声真似までして教えてくれました。

 物理世界主体に仕事している医師の方の中には、学生と同じように食事を摂取する習慣のある方もいるようです。


「三十分くらいなら、せっかくですし、お庭を見て回りましょうか」


 秋薔薇が美しく咲き誇る、洋風庭園を散歩することにしました。

 手入れの行き届いた薔薇の生垣を進むと、川にぶつかります。


「川にあるジゼルの彫像、見たい」


「……いいですけど。ちょっと見たらすぐ、可及的速やかに離脱しましょうね」


「うん」


 川を下るように進むと、段々、背の低い低木から高い木々が目立つようになり、鬱蒼うっそyとした林に変わっていきます。曇った天気のせいもありますが、薄暗く、足を木の根にとられそうになって、体勢を崩しました。


「う、わっ」


「スズ!」


 ブオンと音を立てて保護殻ほごかくが起動し、自分は帯のベルトから出現した半透明の球体に包み込まれました。

 つまり、地面にひっくり返ったのは自分ではなく、私を支えようと腕を掴んで弾き飛ばされた弟さんです。

 保護殻ほごかくから音声が再生されます。


保護殻ほごかくの起動を確認、担当者におつなぎします。えー、こちら、警戒度最大の設定時に、暗がりで強く腕を掴まれたことにより、起動しております。救援は必要でしょうか? 沈黙または発声に異常が見られた場合は肯定とみなし、直ちに現場に急行いたします」


「大丈夫です! お手数おかけしてすみません!」


「……はい、ありがとうございます。声紋による保護対象者の照合を完了、状況の脅威度判定もグリーンです。保護殻ほごかくは格納されます。ご協力ありがとうございました」


 保護殻ほごかくが元の背の位置に折りたたまれはじめると、地面に座り込んでいる状態で解放されました。

 弟さんは既に立ち上がって、折りたたまれていく様を興味深そうに見ています。


「あの、大丈夫でした? ケガしてません?」


「うん。でも、少し痛かった」


「そうですよね、ごめんなさい……」


 上司に言われて保護殻ほごかくの警戒度最大に設定したまま、忘れていました。

 普通の接触くらいは許容する、今の状況で妥当な警戒度まで引き下げます。

 立ちあがろうとした時、急に、女性のすすり泣くような声が聞こえ、身がすくみます。


「近い」


 弟さんが走り出し、一瞬で姿が見えなくなります。


「待って! 置いていかないで!」


 戻ってきてくれました。

 多分、恐怖で泣きそうな声だったからでしょう。


「スズ、元気?」


「……元気じゃないので、手を引いてもらえますか」


 急な走り出しの防止を狙って手を差し出すと、素直に手を引いて、立ち上がらせてくれた後、つないだまま歩き出してくれました。

 更に川沿いを進むと、監視カメラ映像でも見たジゼルの彫像が、水中に横たわっていました。


「ツバメはお母さん似なんですかね……彫像とそっくり」


「スズ、これ」


 つないでない方の手に、小さな花が一輪ありました。


「これ……フシミの会長が投げ入れていた花ですね。どこにあったんです?」


 辺りを見渡すと、川から離れた少し日の当たる場所に、黄色と紫のパンジーが咲いていました。

 弟さんは拾った花を川に投げ入れ、流れていく様子をじっと見つめていました。

 鼻歌が聞こえたり、途切れたりするのが聞こえます。水の流れる音もあわせると、すすり泣きのように思ってしまうのが自然です。


「……鼻歌っていう話ですけど、途切れ途切れだから、すすり泣いてるようにしか聞こえないですよね」


「そういう演出かも」


「何か、怪談めいた噂で話題にしようって感じ、好きじゃないです……あ、そろそろ、病院の方に戻りましょう。結構、遠くまで来てしまいました」


「うん」


 しばらく道が悪いので、手を引いてもらっていたところ、そのまま弟さんがいきなり走り出しました。


「何? 何かありました?」


「人」


「庭園なんですから、人いますって!」


「違う。庭師が泣いてた」


「はい〜〜?」


 引きずられるように道ならぬ道を横切るもので、服が小枝と葉っぱだらけ。ようやく果樹園のような場所に来て、止まりました。

 泣いていた(と弟さんが主張する)庭師のおじいさんはいらっしゃいましたが、ちょうどハシゴから降りて、笑顔で話しかけてきました。


「お手てつないで二人、仲がよくて結構だねえ」


 恥ずかしくて、ぱっと手を離します。


「どうして泣いてたの?」


「んあ?」


 おじいさん、面食らった顔になってます。


「あのー、本当にすみません。この人、あなたが泣いているところを見た、と思ったらしくて、気になるって言って、ここまで走ってきちゃって……」


「おお、そりゃ、優しい子だねえ」


 おじいさんはにこにこ笑って、


「見られてたとは恥ずかしいなあ。なに、ちょっと前まで、あんたらみたいに、この庭をお手てつないで毎日のように歩いているのがいたんだけどさ。もう二度と坊ちゃんたちが散歩する姿、おがめんのだなあ、と、あー、いけねえな、歳とると涙もろくって」


 笑顔のまま、ぼろぼろと溢れる涙を、汗でも拭うかのように袖口でしきりに拭っています。

 言葉に詰まりましたが、調査のために来ていると思い直して、質問します。


「……坊ちゃんたちって、ツバメさんと、いとこのミチカゼさんですか?」


「おう、そうだ。まだ若いのに、お医者の坊ちゃんは何で生き急いだんかねえ。みんな、素晴らしいことだ、立派だ、とかぬかしとるが、頭の古い俺にゃわからん。お天道様が見てらっしゃるうちは、大体のことは何とかなるもんだよ、ほれ」


 梨を二個、弟さんに渡してくれます。収穫したばかりのようで、成った果実を保護する半透明の袋に包まれていました。


「優しさをもらった御礼だ」


「ありがとう」


「ありがとうございます」


 庭師の方に会釈して別れてから、梨を食べながら、今度こそ病院の方に向かうことにしようと決めました。

 食べ歩きはあまり行儀としても衛生としてもよくはないですが、梨を持ったまま行動する方が差し支えると判断しました。

 何より、果物は滅多に手に入りません。美味しそう。

 弟さんが折り畳みナイフをなぜか持っていたので、借りてさっと皮を向き、皮は一旦、包まれていた袋に包み直して、たもとに入れておきました。

 そして、歩きながら食べました。

 瑞々しく爽やかな味で大変に美味でした。


「美味しい梨ですね」


「うん」


「外で食べているから、もっと美味しく感じるのかも」


 残った梨の芯を、包まれていた袋に包み直して、たもとに入れます。

 環境保護を考慮すれば、種や皮のある部分の廃棄は適当な場所に行ってはいけないからです。

 弟さんにも、同様に自分の分は自分の袂で保管してもらいました。


「これ、捨てる?」


「はい、ヤマさんに適切な廃棄場所を教えてもらいましょう」


「種、欲しい。植えたい」


「……いいですけど、合流したら、一旦、詰め所に預けましょうね」


 当主との会議に、梨の匂いがするものを持ち込んだら、始末書ものでしょう。

 病院に戻って、弟さんだけ入って、医師が戻ったかを確認しましたが、まだ戻ってないようでした。

 なので、職員が使うと思われるガラス戸の入り口前で陣取り、待機することにします(つばめの巣があるところです)。

 手を除菌紙で改めて拭い、貸し出してもらった調書の医師の経歴を改めて見直してみます。


「この医師の専門分野にある『人間と節管ふしかんとのハーモニクス』って何なんでしょう……どういう手術をしたんですか、って質問して、聞いたところで内容を理解できるかな」


「その質問はダメ」


「え? どうしてです?」


「警戒させるから」


 よくわからないですが、弟さんが言うなら、そうなんでしょう。


「じゃあ、何を質問するんです? 私は他には特に思いつかないですけど」


「会話で引き出せる?」


「会話で? いいですけど、何を?」


「劇の感想」


「……いいですけど、それ、ファンの方に話を振ると、止まらなくなる話題だと思いますよ」


 案の定でした。

 医師をやっと掴まえて、ツバメの劇の話題を振ると、怒涛どとう蘊蓄うんちくが披露されました。


「ツバメの劇のおすすめ、マニアの俺に聞いちゃうかー。語り出すと二時間は余裕で話せる。でもまあ、一人芝居の方の『サロメ』を観て、他の作品が気になったって言うんなら、やっぱり、原点の『幸福の王子』かな。彼がツバメの呼び名になったのも、その作品があってのことだし。鳥のつばめをさ、こう手の形で作った影で表現しての一人芝居なんだよ」


「『ロミオとジュリエット』は?」


 弟さんが合いの手を入れました。


「何だよ『ロミジュリ』が気になってるのか。王子様っぽいツバメが見たいって人に一番にすすめる。個人的に一番推してるし、何回も劇場通った。ロミオが愛する人に口付けして毒をあおる慟哭の場面とか、泣きすぎて翌日に目が腫れるから本気で注意しろよ」


「『白雪姫』は?」


「あんた、俺と趣味が合うなあ。『白雪姫』は、ツバメの可憐な乙女っぷりが観たいやつにおすすめだよ。王子の口付けで頬に赤みがさして、起き上がって、はにかむ一連の流れ……神がかった可愛さだから。むしろ神そのもの」


 以降、しばらく相槌を打って聞いていましたが、職員(さっき燕の巣の話をした方)に長話をとがめられ、医師は名残惜しそうに仕事に戻っていきました。

 助かりました。

 次の予定まで本気で時間がないので、ヤマさんのいる詰め所に向かいながら、今回の会話をした意図を確認します。


「急ぎましょう。あれは確実に全部の劇、繰り返し観ている詳しさでしたね。途中で、二つの作品については弟さんから話を振ってましたけど、あれは?」


「口付けのある劇」


「確かに二つとも、最後に口付けの場面がありますけど。それを聞いて、何を知りたかったんです?」


「なぜを連想したか」


「あー、なるほど。手術室でのキスを目撃して思い出したのが、なぜ他の劇ではなかったのか、ってことですか」


 口付けと言えば、まずは有名な童話の『白雪姫』が連想しそうなものです。あるいは、口付けした者の悲劇性をそこに見出したのなら、一番のお気に入りだと主張していた『ロミオとジュリエット』を連想するでしょう。


「それが『サロメ』だった理由は、きっと『サロメ』にしかない要素が、そこにあったから……もしかして、手術台にいたのは、いとこのミチカゼさん?」


 一人芝居劇の『サロメ』では、銀のお盆の上のいとこの首に口付けしています。同じ者同士の組み合わせでのキスであれば、一致率は高いでしょう。


「でも、彼は手術の日に、亡くなってますよね? 手術台に寝ていたのは何のためでしょう? 実は生きているとか? 原則、安楽死後の遺体は国に接収されて国益のために利用されるから、臓器移植の準備とか? あー、手術室にいる理由がよくわからない……」


「おい! お前たち、遅え! 行くぞ!」


 詰め所の前に、ヤマさんが腕組みして待っていました。

 時間ギリギリでした。

 怒られながら、当主の屋敷に向かいます。


「申し訳ありません、いろいろと手間取ってしまって……」


「ごめんなさい」


「あー、遅刻はしなそうだから、いいさ。ほら、急ぐぞ」


 背の高い人の早足って、必死に追いかけないと見失うので、本当に嫌いです。

 シオミの当主の屋敷は、分厚い石の壁にぐるりと囲まれた要塞ようさいのような建物でした。

 武装した警備員が巡回しており、物々しい雰囲気です。


「これから建物内に入るが、銃や刀、危険物は当然のこと、身につけた帽子と衣服以外は基本、持ち込みは禁止だ。水筒類の手荷物もすべて透明な箱に入れて預ける。ああ、そのさっき預けてた調書は俺に返せ。あと、ふところたもとの中も何か入れてるなら出せよ」


『あっ』


 梨の残骸をすっかり忘れていました。

 二人ほぼ同時に、梨の香りの袋をたもとから取り出し、困った顔でヤマさんを見つめます。


「……あんたら、俺をからかってるわけじゃないよな」


 この方、本気で怒るときは静かにキレるタイプのようです。

 慌てて、弁解の手を振りながら、


「あ、違います、話を伺った方からおすそ分けいただいて、でも捨てる場所がわからなくて……」


「捨てないで。植えたい」


 ヤマさんは長いため息をついて、


「わかった。外の警備員に話して預けるから、この風呂敷に包め」


「やったーっ」


 弟さん、大喜び。

 ですが、ヤマさんにあごをつかまれ、黙ります。


「静かに、行儀よく。な? よそ行きの礼儀作法、教わっただろ?」


「うん」


「うん、じゃなくて?」


「はい」


 手荷物と風呂敷(梨の芯入り)を預けて、建物の中に通されます。

 続く廊下は明るいですが、窓が一切見当たらない異様な作り。殺されるという当主の脅迫観念が自分にも感染してしまいそうな、重苦しい雰囲気が漂っています。

 会議室では、当主が既に来て、奥に座っていました。外つ国の昔の貴族が好みそうな長い洋風テーブルの端と端で、一人と三人が座ります。距離がありすぎて顔もよく見えません。


「手荷物を預けての同席、感謝します。なにせ、臆病なもので」


 当主の通る声が部屋に響きます。

 声量もそうですが、声の質も演劇分野の方といった大仰な印象を受けます。


「それで、今日は何です? 我が子の行方は? 私は何をすれば?」


「ご当主、一人芝居『サロメ』は見ましたか?」


 弟さんが質問します。

 質問内容にも驚きましたが、その話し方に一番驚きました。

 いつものたどたどしさを感じる話し方の彼とは思えない、流暢な丁寧語だったからです。


「いや、一人芝居の方は見てない」


「どうしてですか?」


「他の役者と共演した、元になった劇の方を観たからだ。オルゴール劇など、意思のない人形が踊るだけだ、わざわざ観る必要はない……おい、ヤマ君。これはどういう意図の質問だ? 同席は許したが、まさか、ひよっ子に調査させているのか?」


 不愉快に思ったようで、ヤマさんに話を向けています。


「ご当主。ご紹介が遅れましたが、こちらは特殊調査分室の秘蔵っ子です。隣の彼女は、お目付け役といったところですね。できるだけ早急にご子息を見つけ出したい、という気持ちに変わりがないのであれば、信頼いただいて損はないと思いますよ」


「……君がそういうなら、従いましょう」


 ヤマさん、昨日から入ったという割に既に信頼関係が築けているようです。


「他に質問は?」


「ご当主、一人芝居『サロメ』に招待されていますか?」


「ああ。最優先鑑賞権なら受け取っている。いつもの習慣だから、何ら不思議なことではない」


「では、僕たち二人と一緒に演劇鑑賞しましょう」


 距離は離れていますが、ご当主が困惑しているのが伝わってきます。

 そういう自分も、ヤマさんも、意図を汲みかねて困惑し、身じろぎしていました。


「……それは、本当に、調査に必要なことなのか?」


「はい、必要です。そこで、調査は完了するはずです」


「わかった。では、礼拝堂で待機を。人数分の節管ふしかんを手配するように連絡をしてから、私も向かいます」


「あー、ご当主。大変申し訳ないですが、こちらの二人についてははちかづきを手配いただけませんか。完全にこちらの事情なので、恐縮ですが」


「承知した。では、お先に失礼する」


 当主は、壁と思っていた場所から退室しました。

 部屋に三人残されました。


「おい、お前さん、無責任にあんな適当なこと言って大丈夫か?」


「ああ言ったからには、ツバメ失踪の件の調査完了の目処が立ったんですよね?」


「うん。もうすぐ見つかるよ」


「本当か? 親父さんが自分の演劇を観てくれただけで、ずっと姿をくらましていたやつが機嫌を直してひょっこり出てくる、なんて考えられんが」


「礼拝堂にて待機とのことですので、まずは向かいましょう。どこにあるんでしょう?」


「表玄関から見て、病院と研究所の裏にある。ここから遠いから、急ぐぞ」


 今日はよく歩く日のようです。

 もう庭園を二往復はしている気がします。

 そして、また早足。

 背が低いと追いつくために、一歩の足を大きく開いて、そのうえで回転数を上げないと追いつけないもので、結構しんどいです。


「あのー、私たち、そんな急ぐ必要あります? ご当主の姿、振り返って見てみても、全然見えないですけど」


「あるぞ。ご当主は、旧式の自走車で乗りつけるだろうからな」


「は? 自走車?」

「護衛のやつ以外を車に同乗させないため、待ち合わせと言っただけ。待たせて気が変わってやっぱり観劇しない、とか言い出すといけないから、もっと急ぐぞ」


 さらに移動速度が上がりました。

 どうにか礼拝堂につくと、自走車がちょうど駐車するところでした。


「何とか、間に合いましたかね……」


 礼拝堂に先に入るように護衛に言われ、中でご当主を待つことにします。

 天井が高く、荘厳な雰囲気のステンドグラスが美しい空間でした。

 外つ国では珍しくない宗派の宗教施設だそうですが、よく知らないので、説明は割愛し、とにかく息を整えます。


「ねえ、先に二人、劇場に行っていいですか?」


 弟さんが礼拝堂の中を哨戒している護衛に話しかけています。


「待て、当主に確認する。……問題ないそうだ。そこの奥の部屋に入り、窓際にあるはちかづきを使え。転移先は設定済みだ。なお、当主は開演五分前にそちらに行く」


「わかりました」


「ありがとうございます」


 部屋に入ると、どこか学校に似た雰囲気を感じます。

 机と椅子がいくつか並び、本棚には子ども向けの本が並んでいました。


「これと、これを使えってことだな」


 ヤマさんが、はちかづきに近づき、転移先設定を確認しています。


「おい。開演時間になるまで三十分あるみたいだぞ。もう劇場に向かうのか?」


「うん。やることがある」


「なら、もう行きましょうか」


「何か知らんが、頑張って来いよ。俺は部屋の前で、見張りでもしてるわ」


「うん」


「いってきますね」


 二人ともはちかづきを使い、空想世界の劇場に転移しました。

 もう懐かしさすら感じつつある、待合室。

 思い返してみれば、上司の査察の同行、弟さんと調査、そして、今の分で三回目です。


「ツバメマニアのお医者さんに言ったら、羨ましがられそう……って、何してるんです?」


 何やら弟さんが忙しく働いています。


「ちょっと、通路と待合室を区切るチェーンポールのチェーンをこんなに外していって、何してるんですか?」


「防具、作る」


「はあ?」


鎖帷子くさりかたびら。これ、こうやってつないで」


 たくさんのチェーンを面になるように細い紐でつなぎ、前掛けの防具に仕立てようとしているようです。


「仮装用の防具なら、武器と一緒に、そこに軽くて扱いやすいのが用意されていますよ?」


「それは使えない」


「何で?」


「時間ないから。やって。早く」


 もしかして、上映中にシオミの当主に危害を加えられると思ったのでしょうか。

 作業を止めずに、抗議の口を動かします。


「あのですねー、ここの演劇サービスの安全対策は、業界トップなんですよ。観客と演者以外は絶対に入れないですし。開演前後は保護殻ほごかくと提携し、観客の感情の起伏をモニタリングしていて、観客同士の喧嘩も防止。開演したら観客は動きの制限を受けるから、演者も安全です」


「うん。知ってる」


 今度は、金属製のゴミ箱の板状の蓋を二つ引き剥がし、一つを胴回りにつけられるよう、丸みをつける加工をしています。


「そもそも、あの用心深いご当主が、自分が運営している演劇サービスに危険性があると思ってたら、絶対に来ないですよ?」


「うん。そっち、できた?」


「できましたよ」


「ありがとう」


 弟さんは受け取ると、器用にチェーンの複合体と金属板をつなぎ合わせて、前掛け型の鎖帷子くさりかたびらを完成させました。


「この辺、片付けて」


 床に散らばった、色々な残骸を顎で指します。


「えっ、散らかしたの、あなたなのに……」


 抗議の声は一切聞いていないようで、劇場の入り口付近にトルソーを持ってくると、鎖帷子を見栄えよくディスプレイしはじめます。


「……わざわざ作っておいて、飾るんですか?」


「いいから。掃除、早く」


「言い方!」


 片付けはじめて様子を見ると、今度は弟さん、残っていた金属板を交互に折り曲げて、扇子を工作していました。


「できた」


 昔、資料映像で見た『ハリセン』と呼ばれるものに、そっくりでした。


「それで……一体、誰にツッコミを入れるんです?」


「ツッコミ?」


 知らないんかい。


「片付け、終わった?」


「見てのとおり、もうすぐ終わります」


「席、当主が王座、王の隣が僕、スズはその隣ね」


「ええ、言われなくても、わかってま……す? それは?」


 片付けという名の見えないように隠す作業が終わって、声のする方を向くと驚きました。

 金属製のハリセンを持って、女性物の煌びやかな十二単を腕を通さずに肩掛けし、仁王立ちしている姿が見えました(中に、物理現実で着ている服がそのまま見えました)。


「王の妻の仮装」


「こ、個性的ですね……」

 

 ブーー。

 開演5分前のブザーが鳴り響きます。


「そろそろ、当主が来る」


「来ますかね?」


 来ました。

 当主は現界するなり、体をびくっとさせました。

 まあ、十二単を肩掛けして金属製の扇子を広げたのが待ち構えていたら、自分も同じ反応すると思います。


「ご当主、服の下に、この鎖帷子くさりかたびらを着てください」


「それは……?」


「特殊調査分室の特別製です」


「……必要なことなのだな?」


「はい」


 当主は着流しの格好をしていましたが、急いで脱ぎ、鎖帷子を下に着込みました(着替えを見るのは憚られたので、後ろを向いていました)。

 その着替えが済む間、弟さんは口から出まかせで、どんな最新技術が搭載されているかを熱く、当主に語っていました。

 着替え終わると、当主は無言のまま、先に座席に向かいます。


「ほら、私たちも行きますよ」


 開演時間ギリギリなので、急かすと、


「スズ。大事なこと」


「何ですか?」


「手、絶対に離さないで」


「は? はい」


 今度こそ、手で会話の必要がある場面が来るということでしょうか。

 差し出してきた手を取ったまま、王の妻の手を引くかのように歩き、着席します。

 照明が段々と暗くなっていきます。

 ツバメ主催の一人芝居『サロメ(サルメ)』開演です。

 ツバメは、一段と張りのある声で、サロメの苦悩を口にし、これまでに見た一回目と二回目と全く同じ流れを通し、祝宴で踊ることへの絶望と期待を表現しています。

 今回の座席が、王座でも王の妻の席でもないからでしょうか。

 どこか第三者的な視点で、その劇を見つめられる自分に気づきます。


(踊りたくないと母に懇願する役柄で、身を隠して踊り続けるツバメ。この一人芝居は、ツバメ自身の人生の苦悩を、そのまま表現している……? だとしても、どうして失踪して、身を隠さないといけないのかは不明だけど)


 大一番の『七つのヴェール』の踊りがはじまりました。

 舞台演出で周囲が明るくなったので、ちらっと王座の方を見てみます。

 肘掛けに肘をついて頭を支えたまま、我が子を見るとは思えない、敵を見定めるような冷酷な横顔をしているように見え、さっと視線を外します。

 見てはいけないものを見たかのようで、肝が冷えました。

 シオミの当主にして、ジゼルとツバメという役者を見出したという自負が、そういう雰囲気をまとわせるということなのか、それとも、親子関係が冷え切っているということなのか、まだ人生経験の浅い自分には判断がつきません。

 その隣の弟さんは、肩掛けした十二単で座席が窮屈だったのか、肘掛けの外側に衣を押し出すような動きをしており、手をつないでいるため、身じろぎの振動がかなり伝わってきます。

 第一、第二、ゆったりしたした踊りが続いた後、第三で剣を取り、少し動きが早くなります。

 またヴェールを一枚脱いで、第四の剣舞が始まりました。

 勇猛で右に抜き身の刀剣、左にさやを持っています。宝剣は片刃の直刀で、鞘の両方の先端には舞台上で真っ直ぐ直立させるための返しのような仕掛けがついています。

 正直、弟さんが防具を作り出したとき、ツバメがこの宝剣を当主に投げつける可能性は、あるのでは、と頭に過ぎりました。

 この演目では演出のために、一回だけ王座へ物を投げ入れる許可が出ていたからです。


(……心配しすぎかな)


 第一に、舞台の周辺に防壁があり、持っているものから手が離れた時点で、その防壁に突き刺さって、空中に留まり、玉座には届きません。

 第二に、腰紐の投げ入れで活用される『物体の端を持ち続けることで、防壁に突き刺さらないようにする仕様』はあるものの、物体が同一のものと登録されていなければ、手を離したと同じ判定が行われるからです。

 例えば、宝剣の持ち手に紐を結び、その端を掴み、玉座に宝剣を投げつけたとしても、宝剣は防壁に刺さって留まります。

 そもそも、危険だったら、当主がここには来ているはずがありません。


「え? いたっ」


 いきなり手をぐいっと下に引っ張られ、自分の椅子の肘掛けに頬をぶつけます。

 ギギギイン。


「ぐ、あっ! ばか、な……」


 ほぼ同時に、金属製の物体同士がこすれ合う音と、当主の声が同時に聞こえました。

 咄嗟とっさに顔をあげて王座の方を向くと、


「スズ、見るな!」


 弟さんは十二単を片腕で高く持ち上げ、こちらからは何も様子が見えないように覆っていました。ハリセンは蛇腹じゃばらの板状に戻し、小手のように腕を覆っています。


「あははははははは!」


 舞台から笑い声が聞こえ、驚いて視線を戻します。

 喜びの発露というよりも、あざけり笑うような声の調子でした。


「ははは、やった、ついに」


 決まっていた演出であるかのように、劇場が異常事態を示す赤い照明に切り替わりました。

 自動音声が「異常発生、直ちに空想世界から離脱してください」と繰り返し、流れます。

 そんな狂った舞台の上で、ツバメは舞台袖まで歩き、劇の続きとでもいうように、銀のお盆を手に取り、置かれた首にそっとキスをしました。

 それを見た弟さんは十二単を投げ捨て、席から立ち上がりましたが、自分はすっかり一連の出来事に腰を抜かし、座っているしかありませんでした。

 弟さんの移動により、王座がようやく見えました。

 当主の姿はなく、剣で切り割かれたような跡がある鎖帷子が残っています。状況的にリーチの長い武器で撫でるように斬りつけたものと思われました。

 王座の前に、直刀の宝剣だったはずのものが、薙刀なぎなた状になって落ちていました。

 刀の持ち手部分を鞘に連結し、腰紐で引っ張るように巻きつけて固定して、王座までのリーチが届く形に変えたものと思われます。


「満足した?」


 何故か、弟さんはガイドの人形を舞台に引きずってきていました。


「……ええ。あなた方のおかげで」


 ツバメは落ち着いた声で、


「御礼に何か一つずつ、差し上げましょうか」


「うん。そのお盆、貸して」


 ツバメは怪訝けげんな顔をしていましたが、弟さんに近寄ると、無言でお盆を差し出しました。

 受け取った弟さんは、ガイドのかぶとを外し、首無しのガイドに頭部を乗せます。

 驚いたことに、ガイドの手足が動き出し、ツバメの方に踏み出しました。


「ツーちゃん」


 呼びかけられたツバメは、ぽろぽろ涙をこぼし、ガイドの人形と抱きしめ合います。

 間違いなく恋人たちの抱擁ほうようでした。

 この時、自動音声が「この演目は強制終了いたします」とカウントダウンを始めていました。


「もう一つの御礼、ください」


 空気を読まずに、弟さんがツバメに話しかけます。


「部屋番号、教えて」


 ツバメは一瞬だけ顔を上げ、文字と数字を組み合わせた番号を告げました。

 劇場は段々暗くなり、視界が闇に包まれました。


(空想世界が強制終了したときはこんな感じなのか……)


 どこかで終わりを冷静に捉えていました。


「スズ、起きて」


 はちかづきを乱暴に外され、実に爽やかな目覚めでした。ええ、本当に。


「どうしたんです?」


 部屋の外で、押し問答をしている声が聞こえます。

 どうやら、ご当主の心臓が一度止まり、蘇生はしたものの、未だ意識不明のようで『あの小僧を出せ』と怒鳴る護衛を、ヤマさんがなだめて押さえている状態のようでした。

 当主にさほど親しみがある訳でもなければ、図々しく『心配です』と言えるほど博愛主義でもないのですが、人は貴重な資源である以上、資源部として無事をお祈りいたします。


(神さま、仏さま、どうかご加護を……)


 見ると、ちょうど弟さんは部屋の窓を開けて、飛び降りたところでした。


「ちょっと、一体、どこに行くんです?」


「ツバメのところ」


「ああ、さっき聞いてましたね。確か」


 部屋番号とやらを口に出して、


「スズ!」


 何故か強い口調でたしなめられてしまいました。


「誰が聞いているか、わからないから」


「ご、ごめんなさい」


「いいから、早く」


 弟さんの肩を杖のようにして掴んで、窓から飛び降りました。

 弟さんに肩に置いた手を掴まれ、また手を引っ張られる形で走り出します。

 礼拝堂から表玄関の方に走り、何故か病棟に走って入ります。


「コラ! 病院内で走らないで!」


「ごめんなさい!」


 窓のない暗い非常階段を駆け上がり、ようやく止まったところ。

 産婦人科の女性向けの入院区画でした。

 区画の入り口で全身を自動滅菌されましたが、お手水で手を洗い、奥に進みます。

 間取り図を見て、指定の部屋があるはずの場所に進むと、


「おーす、二人ともご苦労さん。一足遅かったな」


 気の抜けた調子で、武官と思われる方が話しかけてきました。


「コマイヌ」


 弟さんの同僚と思われるコマイヌさんは、手を前に出して、


「待て、ここは立ち入り禁止な。あと、分室長から伝言『二人ともよくやった。二つの調査案件の完了目処がついた。状況は追って共有。各自の拠点に帰還せよ』だとさ」


 コマイヌさんが通報したのか、単に追いかけてきたのか、病院の警備員がやってきて、弟さんと一緒に摘み出されてしまいました。

 幕切れです。

 訳が分からず、最悪です。

 弟さんに聞こうかと思いましたが、俯いて意気消沈しています。

 おそらく私が不用意に口にした部屋番号を頼りに、先を越されたのが悔しかったのでしょう。

 質問攻めにするのは申し訳なく思いました。


「……帰りましょうか」


「うん……」


 一歩も動かない弟さんの手を引いて、歩き出します。

 預けていた馬車に乗り込むと、事前設定された帰還場所を目指して走り出しました。

 無言の時間が続きます。

 馬車に並んで座っていた弟さんが急に頭を寄せてきたので驚きましたが、ただ寝落ちして、肩にもたれかかってきただけでした。


「もしかして、単に眠くて俯いてただけ……?」


 走り回って疲れたでしょうから、そのまま寝かせておいてあげましょう。

 そういう自分も、午前中から肉体を酷使していて疲労でくたくたですが、目が冴えて眠れそうにありません(眠くても起きているつもりではいました)。

 一体、何がどうして、この結末に至ったのでしょうか。


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