第4話 踊り手
*** 自動筆記録 所属:資源部 名義:スズメ ***
「あ、もう優先鑑賞権の連絡が来ました」
優先鑑賞権は、既に埋まっている席を押し除けて観劇できるプレミアチケットを指します。
押し除けた方は自分の都合を優先でき、押し除けられるのを許可した方は特典がつきの別席を用意とあって、誰も損をしない仕組みだそうです。
「開演時間になったら
「うん」
箱を開けて、資料を選び取って、宙にデータを浮かべながら、弟さんが首を傾けます。
「オルゴール劇って何?」
「空想世界での演劇の種類のひとつですね。ぜんまいじかけで自動演奏するオルゴールに似た仕組みで、役者の
「役者が意識しなくても進行する舞台ってこと?」
「そうです。役者さんが次の作品に出るまでのつなぎとして、一人でオルゴール劇を主催するのは珍しくないらしいんですけど……ほぼ毎日、それも複数回、上映し続ける点は奇妙ですね」
「どうして?」
「空想世界は一人で複数の
「たくさん踊らないといけない理由……何だろう?」
「最初、稼がないといけない事情があるのかなと思ったんですが……」
「ここに、寄付する設定って書いてある」
「そうなんです。今、上演しまくってる一人芝居劇の売上は、家業の病院に、サービス利用料等を除いて全額寄付する設定になってるんですよね」
「理由、家族なら聞けばわかる?」
「うーん、どうでしょうね? その資料にまとめてありますが、親族の多くが既に亡くなっていて、ツバメさんの血縁者は父親しか残ってないですし……もしかしたら、いとこのミチカゼさんが存命なら、わかったかもしれませんが」
【シオミの一族の主要なトピック】
・シオミ創業者の子(ツバメ父)と、ツバメ母(後にジゼルと呼ばれる)が出会う。
・ツバメ父がプロデュースし、ツバメ母はジゼルという名で一躍、人気の踊り手になる。
・ジゼルの主演の舞台公演前日、劇場でジゼルの家族が武装集団に襲撃されて全員死亡。ジゼルは無事だが、精神を病む。
・反安楽死過激派の無差別テロに遭い、ツバメ父の実母は死亡、実妹は下半身付随になる。
・妻と死に別れたシオミの創業者が気落ちして病死、ツバメ父がシオミを継ぐ。
・ジゼル、庭の池に落ちて死亡。
・シオミの医療施設に、生前のジゼルの受精卵が託されており、男児が誕生(ツバメ本人)
・同じ医療施設で、ツバメのいとこ誕生(ミチカゼと呼ばれる)
・ツバメ父の妹の配偶者(ツバメの叔父)が同施設での安楽死を選び、死亡。安楽死の社会要件を強調した報道により、安楽死に対するイメージが変化(社会的役割を果たした者の選択的な死という肯定的に捉えられるようになる契機)
・ミチカゼが、自動筆記技術を開発。国に技術提供。莫大な利益を得る。
・ツバメ父がプロデュースしたツバメが次第に人気俳優になって名声を得る(呼び名の由来は一人芝居『幸福な王子』に出てくる燕の演技が話題になったことから)
・ツバメ、反安楽死過激派に酸をかけられ、右手首を中心に化学熱傷。以後、傷痕を隠すように、右にロンググローブがトレードマーク。
・ツバメ父の妹(ツバメの叔母)が死亡。風邪を拗らせての突然の死と報道される。
・シオミの医療製薬サービスでの情報の取り違え事故多発。国から指導を受ける。
・ミチカゼが、実父と同様に安楽死。安楽死において社会要件のみが認められた例として話題になる。
・ミチカゼが安楽死をすると予告した時期、ツバメが主催の一人芝居『サロメ(サルメ)』が上演開始(終幕で口づけする銀の盆に置かれた首がいとこの顔であることから、反安楽死か、追悼かとその真意が話題になる)。不定期開催。ツバメは行方不明になって、一週間の沈黙があった後、毎日、上演されるようになり、今も継続中。
「家族がたくさん死んでる」
弟さんが読み終わった感想をぽつりと漏らします。
「そうですね。人体の活動限界は百二十年として、平均寿命で考えても、早く亡くなりすぎですね。祖父母も、母も、叔父も叔母も、いとこも既に鬼籍に入ってます」
「あと、これ、おかしい」
弟さんは『男児が誕生』と書かれた箇所を指差します。
「男児が誕生……おかしい、ですか?」
「ツバメは女性だから」
「はい……?」
もしや、男女の違いについて理解できてないとかでしょうか。
「あー、もしかして、女性のような服を着ているのを見て、勘違いしてしまいましたか? あれは役柄で女性の格好と演技をしているだけで、ツバメは男性だと思いますよ」
「どうして男性だと思う?」
「どうしてって……ツバメは自身の性別を公表してないですけど、それは役柄が広くなるからで……ほら、この映像、実際に『ロミオとジュリエット』のロミオのような男性の役もこなして、『白雪姫』の白雪姫のような女性の役もこなしてます」
「役柄が広いと、男性?」
「いいえ……さすがにそれは違います、わかってます。うーん、オフの服装は身体の線を出さないような、大きめのシャツにパンツの洋装を定番らしいですし、顔の輪郭も肩までで切り揃えた黒髪で常に隠しているから……?」
「顔や体の輪郭を隠していると、男性?」
「いえ……あ、そうだ。いつも首にスカーフを硬く巻きつけて、喉仏を隠してます」
「女性でも、首元は隠せる」
「……ですね。首を覆って隠しているからって、喉仏を見たことがない以上は、男性の証拠とは言えませんね」
ただ、性別不詳の方の性別を推測することに、道義的な抵抗感がありました。
「そもそも、今回、ツバメが男か女かって、そんなに重要です? 失踪や『自我喪失』急増の案件が、一人の人間の性別で大きく展開が変わるとは思えませんけど……」
「女性だけ、できることがある」
「例えば?」
「子どもを産める」
「あーっと……そうですね。確かに、男女の重心や骨格の違いで不得意な動きがそれぞれあるとかも聞きます。その差が何かしら影響することはあり得るかも? 性別、重要ですね。はい」
やぶ蛇でした。
先ほど遺伝子情報の参照コードを受け取って、そのまま何も反応せずにスルーした身として、深追いできない話題でしたので、全力で軌道修正します。
「うーん、ツバメを男性と思う根拠……あ、そうだ、胸。胸がないんです!」
「目立たない人もいる」
「そうじゃなくて! 酸をかけられた事件、その時に路上で応急処置をされたんですが、報道で偶然、露出した胸が写ってしまって、ツバメは男性だったんだーって話題になったんです」
「それ、見られる?」
「見られると思います。査察に直接関係しないので、箱の中の資料になかったですが、資源部内で探せば、過去の報道の立体映像があるはず」
上司に通信で相談したら、物理世界の報道をひたすら集めて圧縮し、必要なときに立体映像にする
「スズくんからお願いされた立体映像を置いた場所の情報、そっちに送ってもらったから、指定して転移して。ショッキングな映像だからセピア色なのは仕様。頑張って」
「ありがとうございます」
言われたとおり、転移先を指定します。
「おお……報道で見た騒動直前の状況、静止して、等身大で再現されてますね」
「これで動かせる」
弟さんが制御盤を触ると、世界が動き出します。
酸をかけられて倒れるツバメ、取り押さえられながらも何やら妄言を叫んでいる犯人、ツバメに駆け寄って応急処置をする関係者、見えないよう人垣をつくる警備、逃げ出す人々と、集まる野次馬。
セピア色の世界でなければ耐えられないほど、精神的にきつい混乱の一幕。
急に音がふつっと消えました。
「消音にした」
「あ、ありがとう。配慮してくれたんですね」
「うん。あれ、見える?」
世界を止めている弟さんが指差した先に、ボディーガードの人垣の中に、破れたシャツが風でめくれ、ツバメの胸の部分が露出した一瞬の場面が固定されました。
「そう、私が昔見たの、あれです! ね、男性でしょう?」
「うーん」
考え込んでいます。
「歩き方から推定する骨格は女性……」
「役者さんですから、歩き方とか振る舞いとか、演技で変えていると思いますよ。だって、あの骨ばった胸の感じは男性……」
自分で言いながら、少し違和感がありました。
「ちょっと、こう……両腕をあげてみてもらえます?」
「こう?」
弟さんと、セピア色のツバメを交互に観察します。見た目は同年代のようですが、上半身の肉体を比較して見てみると、弟さんの方が筋肉が盛り上がっています。
「……踊りの名手が、一介の役人より胸の筋肉がない、ってあり得ますかね?」
「たぶん、ない」
「胸に肉がなさすぎる……というか、まるで切りとったみたいな。あれ? もしかして、乳房切除している、とか」
「胸をなくす手術?」
「そうです。今は予防医学が全盛なので、遺伝子上、乳房の
「矛盾はまだあるよ。サロメの
「……あー、そうでしたね。演技で使われている躯体は男性体で、特別製のやつでしたね」
すぐ近くに掲示されている、セピア色の役者ツバメのポスターに目を留めます。
「あえて物理世界の自分の容姿を、空想世界に持ち込むため、物理世界の身体を複写するように作製される特別製。それも、作製完了以後の容姿の基本設計の変更不可ですからね……」
「一人芝居の方も、この躯体も同じもの?」
「同じ躯体です。本物の男性の肉体をトレースしていると思います。査察のとき、踊りながら薄いヴェールを脱いでいくとき、透けて胸板が見えていたので、間違いありませんよ。右手に傷跡がないので、酸をかけられる事件の前に複写し、作製されたものでしょう」
「劇、早く見たい」
「そろそろ、上演時間じゃないですか。劇場に転移しましょう」
劇場の転移先を指定すると、一瞬でシオミの演劇サービス上の待合室に飛ばされ、物理世界の姿をざっくり再現する標準型の
「ねえ。前に来たときと、何か違う?」
「そうですね……査察の時は
「それ以外は?」
「それ以外は同じです。待合室、午前中に査察で来たときと全く変わりません。待合室の設定は演目に対して一種類、利用後はデータリセットされる仕組みだから、当たり前といえば当たり前なんですけど……」
「ふうん」
「あ、ちなみに、各種飲み物のサーバー、菓子などの軽食、ソファといった一般的な備品だけでなく、着替えや化粧を行えるパウダールーム、仮装衣装なども自由に使えますよ。まあ、飲食は
「観客が仮装するの?」
「はい。この一人芝居、演出として鑑賞側も、舞台装着として参加する仕組みなんですよ。自分の立場にあった仮装が推奨されています。主賓が、サロメに踊りを命じる王。あと、王の妻で、サロメの実母は、特に重要な役どころなので、そこに専用の衣装がありますね」
「観客なのに、演技もするの?」
「あ、いえ、観客がセリフや演技を求められることはないです。演劇サービスの共通の仕様として、上演が始まったら、観客は席を立てない、大声を出せない、劇の進行を妨げる行動をできなくする制限が観客にかけられますから。ただ、主役のサロメは、王を見つめ、魅了するように踊りますし、途中、王の妻に懇願する場面もある感じです。舞台装置のひとつ、みたいな感じですかね? もちろん、全く仮装せずに鑑賞するのも自由ですよ」
「そうなんだ」
「なんでも『自由に楽しむ観客も一緒に巻き込んで、ぜんまい仕掛けで回るオルゴール劇として仕立てる』というのが、この一人芝居『サロメ』のコンセプトだそうですよ。そこの壁に貼られた掲示物からの受け売りですけど」
壁には、主役のサロメを写した等身大ポスターも再現されています。
半裸で首に帯状の金の装飾品を身につけた姿で左手に宝剣を持ち、挑発的に見下ろしています。右手で首(画面外に見切れている)を掴んでいるように見せる構図、特徴的な金の配色、剣と首と女性のモチーフをあわせると、外つ国の有名な画家の作品『ユディト』のオマージュなのだとか。
(これも、査察時にヤギさんが言っていたことの受け売りですけど……)
弟さんは劇場の待合室を珍しそうにぐるりと一周するように探検した後、ガイドの人形に興味を惹かれたようでした。
「これは、何?」
「劇場のガイドですね。質問に対して決まった自動応答をするだけの人形で、空想世界の劇場であれば、待合室に必ず置かれているものです。が、ほとんど客から質問されず、注目されることも少ないらしく、ちょっと悲哀を感じますね……」
「仮装してる」
「雰囲気作りのためでしょうね。銀の盆を持って来る兵士役と同じ、
待合室から劇場に入る場所の中間に置かれ、劇場を警備するかのように背を向けています。
「何か、気になるんですか?」
カーン。
「これ、中身の頭がない」
「確かに空洞みたいですね。リソースの節約かもしれませんね。待合室の空間までが主催が指定できる仕様なので、重要ではない見えないところの簡略化はよくあるみたいです」
「劇の兵士も、頭はない?」
「いや、普通にありますけど……ん? 考えてみると奇妙ですね。それだと劇中の兵士とガイドの人形とで、わざわざ別のデザインを割り当てたことに……共通のデザインにしないと、むしろ、リソースの無駄ですし……」
わざわざ、頭部のない人形を置かなければならない理由。
「あー、わかりました! 最後に口付けする首のため、です。本物っぽさを出すために、動かない
劇において部分的に人体を表現する場合、小物として再現するか、本物の人体を使って不要部分を隠すことで成立させますが、空想世界においても、本物っぽさを重視する場合、後者の方法をとります。
「本物っぽいと、いいことがある?」
「今回の場合、広告効果ですね。ほら、亡くなったいとこのミチカゼさんの顔を再現して話題になっていましたし。そっくりな顔を再現するために、生前、
「ふうん」
弟さんは納得したようで、ガイドの人形から離れました。
ブーー。
開演五分前と知らせるブザーが鳴ります。
「開演しちゃいますけど、仮装とかしなくていいですか? よい経験になると思いますよ」
「うーん、今回は必要ない」
「まるで次があるかの言い方してますけど、そんなに世の中、観客が仮装できる仕様の演劇サービスってないですし、この演目の鑑賞権は入手困難……」
「左の手、出して」
「え? はい」
いきなり手を握られます。
「な、何なんです?」
普段、いきなり断りもなく人から触られることがないので、動揺します。
ここは空想世界なので、護身用の《保護殼》なんて発動しないと思い出しました。
「会話用。手のひらに文字を書く」
「あ、なるほど、着席すると観客同士で話せない仕様だから、指で手のひらに文字書いて意思を伝える……ってことですね」
唐突な行動の裏に、論理的な思考。
でも、上映中、文字を見て話しているほどの余裕はない気はします。
「あれ? でも、このまま、弟さんが右手、私が左手となったら、位置的に王座に座るの、私になっちゃいますけど……」
「いいよ」
「いいんですか? やったーっ」
査察に同行した時は、当然のことながら、上司が王座に座ることになったので、王様として鑑賞するのは初めてです。
手をつなぎながら、エスコートされて王座につくと、周囲が暗くなりました。
ツバメ主催の一人芝居『サロメ(サルメ)』開演です。
外つ国の有名な宗教の本にも載っているサロメと解釈が異なるものの、同じ流れではあるそうですが、劇の方の話の筋はあってないようなものです。オルゴール劇の参加者と位置づけられている観客は黙って座っているだけで、演者が主役しかいないため、サロメ視点の独白で構成されています。
ちなみに、便宜上、サロメと表現していますが、劇中で主役の名が呼ばれることはなく、名乗ることもないため、役柄としては名無しです。実の母が小国を治める王と婚姻を結び、姫となった経緯から「姫」とだけ呼ばれます。
最初に、夜の暗がりからサロメが現れます。出入りを止められている牢屋に、王を糾弾して世間を騒がせた罪で収監された男(翻案元では洗礼者ヨハネ)がいると聞き、好奇心から一人でやってきたことが語られます。男を一目見て好きになりますが、男はサロメを罵倒して出て行くように言ったようで、ただただ悲しく思ったことも語られます。
続いて、実の母に呼び出されます(王の妻の席に照明が当たる)。明日の祝宴でサロメに踊るよう王が求めていることを聞かされます。サロメは王の前で踊りたくないと母に懇願しますが、駄々をこねていると思われて聞き入れてもらえません。
母がいなくなって(客席への照明が消える)、サロメは一人、残されます。王が義理の娘である自分を女として見ていると感じ取っていましたが、王の妻である母には恐ろしくて言えないと泣き崩れます。ふと顔を上げて、牢屋の男を思い出します。王に素晴らしい踊りを見せて、あの男を褒美にもらおう、と。
翌日、祝宴の場面として、舞台は一転、華やかな印象に切り替わります。
中央に十二単ならぬ、七枚の薄衣を重ねて羽織るサロメが座っています。しずしずと王座まで膝立ちで進み、お辞儀をして、芝居の最大の目玉である『七つのヴェール』の踊りが始まります。
七つのヴェールは、毛色の異なる七種類の踊りで構成されており、幼い頃から多方面の踊りの修練を重ねたツバメにしか踊れないとさえ言われる難易度の高い内容です。一種類の踊りが終わるタイミングで、羽織っている薄衣を脱いでいき、動きの速さも上がっていきます。
一つ目は巫女舞から着想を得たと思われる、扇子を使ったゆったりとした踊り。
二つ目も扇子を使った舞で、専門家によると白拍子の静御前が踊ったとされる踊り。
三つ目は、剣に持ち替え、雅楽の音にあわせてポーズ(見栄)をとるような踊り。
四つ目の剣舞は特に音も動きも、どんどん早くなっていくよう工夫されています。女装して踊りながらその姿に油断した敵を討ち取ったという古代の英雄ヤマトタケルから着想を得て作られた踊りです。舞台上で右手に剣、左手に鞘を振り、敵を薙ぎ払うかのように激しく舞います。
五つ目は剣を鞘に納めて、バレエです。くるくると回転し続ける踊り。回転しながら広がって閉じる手足と衣の袖が美しく、どこか抽象画を思わせます。
六つ目は、お腹をくねらせて誘う、妖艶な雰囲気のベリーダンス。コインがついた帯のような腰紐を身につけており、腰を振るたび音を鳴らします。クライマックスではその腰紐を抜き取り、端を掴んだまま、もう一方の端を王座に投げ込みます(この演出のため、例外的に舞台上から客席の王座への干渉が一回だけ行えるように許可されている)。
七つ目は、姿を隠した太陽神を、踊りで気を引いて解決に導いたアメノウズメから着想を得たとされる、手に笹を持っての激しい踊り。王を見つめながら狂おしげに腕を体に巻きつけ、腰を激しく振り、まるでトランス状態といった感じで乱れ舞います。この時には透けた襦袢一枚で、それもはだけて、ほぼ裸が見える状態。オルゴール劇で演じられるギリギリを攻めた究極の大人のダンスです。
激しい踊りの終わり、中央にサロメが
「何でも望むものを褒美に取らそう」という王の声に、謝意を述べて「昨日収監された牢屋の男を」とサロメは求めます。周囲はざわつきます(背景音で演出)。王の妻に耳打ちされた王から「昨夜、母に、かの罪人の首が欲しいと求めたのは誠か」と聞かれます。サロメはショックを受け、次の言葉を紡げません。沈黙を肯定とみなした王は、兵士(
舞台が暗くなり、唯一照明のあたっているサロメの心の内が語られます。身を切って王に媚びてまで一目惚れした牢屋の男を助けたかった哀切、実の母に陥れられて見捨てられた絶望、初恋と肉親の情を失って、全てがどうでもよく、世界の全てが憎らしい自棄。
舞台袖に照明があたり、銀のお盆を持った兵士が登場し、サロメのところに運びます。サロメは差し出された銀のお盆にある首をじっと見つめ、口づけをして「全てを愛していました」と告白して、照明が消えて終演です。
(査察でチェックを進めながら見た割に、我ながらよく覚えている……)
そう思いながら、冒頭のサロメの牢屋の男との出会いを見つめます。
つないだ左手の先に座る弟さんを横目で見ると、ぽかんと口を開けて舞台を見ています。
(もしかして、情緒が成長中の方にとって刺激が強すぎて、固まっている……?)
心配になり、うっかり手に力が入って引っ張ってしまいました。
手の動きで自分が見られていたことに気づいたようで、ふにゃっとした笑顔を向け、手を握り返してきました。
大丈夫だったことは何よりなんですが、今まさに王の妻の席に照明が当たって、役者があなたに向けて懇願している場面……最悪なタイミングでのよそ見。
そうこうしている内に、大一番の踊りがはじまりました。
王座から見る踊りは圧巻の一言に尽きます。
同じ女性(推定)でも、求愛の仕草や流し目の視線を向けられ、ドキドキが止まりません。
(ん?
どちらでもいいし、どうでもよい話でした。
その美しさに心奪われる上質のエンターテイメントであることは間違いありません。
投げ渡された腰紐は、お香が焚きしめられていて、サロメを求めた王の気持ちが少しわかる気がしました。
踊りが終わり、スズメが舞台で
「きれい……」
ちょうど静寂の演出中。
無意識に出た独り言は素敵に響き渡りました。
反射的に右手で口を押さえますが、出した言葉が戻るわけがありません。
試したことなかったので、知りませんでしたが、隣の席を相手に話すほど大声は出せないものの、独り言のような小さな声なら出せるようになっていたようです。
恥ずかしさで顔が赤くなっていたかと思います。
隣から、弟さんの視線をひしひしと感じました。
気にしないように、改めて舞台を見ると、ふっと演者が微笑みました。
(ツバメが笑っ……た?)
それは王に向けて、サロメの願いを伝える場面で、微笑む文脈ではありませんでした。
以降、予定調和、流れるように終劇まで展開しましたが、気になることについて考えるので頭がいっぱいになってしまい、うまく内容を認識できませんでした。
終演後、待合室に二人、戻りました。
劇について語り合いたい観客の要望に応えて、終わった後も待合室を利用できるようになっています。
「見ました? 私が粗相をした直後、ツバメが微笑んでましたよね?」
「うん、見た」
「あれを見て、私、いろいろ考えて、わかったんです。この舞台、自動再生されるオルゴール劇なんかじゃなくて、一瞬一瞬、ツバメが意思を持って演じている舞台演劇に間違いないですよ。オルゴール劇であれば、一度設定した演技を変更することはできないんです、オルゴールが、常に同じ刻まれた楽譜の音を奏でるのと同じ理屈で」
「ツバメが自分の意思で踊ってる、ってこと?」
「そうです。客の反応を見聞きして笑うって動作は、オルゴール劇は仕様上できません。そして、人力の舞台演劇だとしたら、あんな高難易度のダンスは、まずツバメ本人しか踊れません」
「だったら、失踪も自発的?」
「あー、そうなるでしょうね。ただ、自発的に踊っていて、ツバメの身が無事だとしても、どうしてオルゴール劇であるように装う必要があったのかは謎のままなんですけど……」
「そこに意思がないって誰かに思わせるため?」
「誰かに……? その推理の根拠は?」
「うーん。ダンスの題材になった人?」
「……静御前、ヤマトタケル、アメノウズメ、ですか?」
静御前は、夫の死を招いた仇、夫の兄である権力者の前で、今も夫を愛しているという舞を踊った人物です。
ヤマトタケルは、親である王の命で外征に出向き、敵の首領を女装と踊りで隙をついて征伐するなど華々しい活躍をするものの、最後まで親にうとまれた人物です。
アメノウズメは、天の岩戸で自身の踊りで場を盛り上げたことで、太陽神を引っ張り出す契機となり、人々に光という大切なものを取り戻させた人物です。
「どれも、どこかサロメと似通ったテーマ性が感じられ……って、ちょっと!」
またガイドの人形が気になっているようで、鎧の右腕部分を引っ張り始めました。
「ここを出たらデータリセットされますけど、規則違反じゃないからって何でもやっていいわけではないですよ。備品にイタズラするのは……やだっ、それ、何なんです?」
腕の鎧部位を外した下には、手首周辺が赤くただれた肌が見えました。
怪我してから間もないようなケガ特有の鮮烈な赤さに一瞬、気が遠くなって、弟さんの後ろに隠れます。
それを見て私を困らせたと判断したらしく、鎧を腕にいそいそと戻しています。
「たぶん、ツバメの
「何でそんなの、ここに再現しているんです……悪趣味すぎ」
「二つの躯体を
「は?」
「ツバメの躯体の首から下、いとこの」
衝撃的な推論でしたが、腑に落ちる部分がありました。
「あ、確かに躯体は、首に太い帯状の豪華な装飾品をつけていました。隠したかったのは喉仏ではなく、継ぎ接ぎした躯体のつなぎ目……?」
査察で、唯一、他と比べて異常値を示していたのは、ツバメの躯体。
情報量が通常の躯体の二人分ほどに膨れ上がっており、踊りに使う制御系
「……ツバメの女性説、ほぼ確定ですね」
「うん。あと、失踪した理由と方法も」
「え? 失踪した理由って、いとこの死がショックで、じゃないんですか? それに、失踪した方法って……失踪は黙って消えれば失踪ですから、方法も何もないような。潜伏場所のことを言ってます?」
「たぶん、明日、現地調査で全部わかる」
******
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