玄と天翔
夏休みのある日のこと。映画館で天翔とばったり出会ってしまった。
「一人映画とか、玄さんらしいわ」
「逆に天翔は意外だな……」
ばったり会った映画館は俺の家からは割と近いが、天翔の家からは距離がある。探せばもっと近所にあるはずだが、何故わざわざこんなところまで来たのだろう。問うと彼は「あんまり知り合いに会いたくないんだよ」と、気恥ずかしそうに言った。少女漫画原作の恋愛映画を見るらしい。付き合ってくれる友人は居ないし、姉と一緒に見るのも恥ずかしいからいつも一人で来ているとのこと。
「で? 玄さんは何見るの?」
「『恋を知らない僕と僕に恋する君』っていう映画なんだけど」
「あー。あれか……」
タイトルを言うと彼は何故か苦い顔をした。
「俺それ原作読んでたし好きな作品なんだけど……恋愛じゃない物語を期待してるならやめた方がいいかなーって」
と、彼は言いづらそうに言う。どうやら彼は俺がアロマンティックの物語を期待して見にきていると思っているようだが、別にそういうわけではない。
「むしろ逆」
「逆?」
「恋が分からない人が恋を知る物語を求めて見に来た」
「あ、そうなの。なら楽しめるかも」
一旦彼と別れて、劇場に入る。百人も入らないような小さな劇場に、まばらに人が座っている。カップルらしき男女も居るが、ほとんどは一人で見に来ているようだ。
映画は天翔の言う通り、恋を知らない主人公が恋を知るという物語だった。そういう映画だということは事前に知っていたし、知った上で興味を抱いてここにきていた。しかし、ネットの感想を見るとそうでもない人も多かったようだ。確かに、世の中は恋愛で終わる物語が多すぎる。恋を知らない主人公が最終的に恋を知って終わる物語にまたかと呆れるアロマンティック当事者の気持ちもわからなくはない。それだけアロマンティックの物語は少ない。だけど、今日見た映画はそれだけで終わらなかった。主人公の友人の女性は最後まで誰とも付き合わなかった。恋を知った主人公と、知らないままこの先の人生を生きていく彼女。どちらも肯定するような内容だったと、俺は思った。ネットの情報によると彼女はどうやら映画オリジナルのキャラクターだったようだ。しかし、原作者自ら書き下ろしたキャラクターらしい。
「あれ。玄さん居るじゃん。なに? もしかして俺のこと待っててくれたの?」
天翔の声が聞こえて思わず顔を上げる。幻聴ではなかったようだ。別に待っていたわけではなかったが、ネットで感想を読んでいるうちに天翔と合流してしまった。終わる時間に三十分くらい差があったが、気づいたら過ぎていたようだ。
「映画、良かったよ」
「ああそう。良かったね。……俺、てっきり玄さんは恋愛とかしたくないタイプだと思ってたけど違うの?」
「いや、出来るならしたくはないな。めんどくさそう。けど……」
「けど?」
「……ほとんどの人が、当たり前のように恋をする世の中で、分からないまま生きていくのは寂しいと思ってた」
「思ってた? 過去形なんだ?」
『例えばクッキーを作るとき、型を抜いて焼くと思うけど……その時に出たあまりの生地だって、焼いてしまえば同じクッキーだろう? それと同じだよ』という、和泉さんの言葉が蘇る。あの時はよく分からない例えだと思ったが、今なら分かる気がする。
「同じ生地から出来たクッキーは、どんな形だろうが同じクッキーだから」
「は? なに? クッキー? なんの話?」
「和泉さんが言ってた。どんな人間だろうが私も君も同じ人間なんだって。ありきたりな言葉だけど、俺はその言葉に救われたんだ」
「ふぅん……明菜ちゃんらしいわ」
「天翔、この後暇か?」
「なんだよ。やっぱ待ってたんじゃん俺のこと」
「いや、待ってないけど……話聞いてほしくて」
「良いよ。けどその前に、俺も聞いてもらいたい話があるんだ」
そう言うと彼は俺の隣に座り、勝手に話し始める。
「玄さんさ、アロマンティックってやつなんだよね」
「分からないけど、多分そうだと思う」
「……そっか。俺さ、恋をしない人間が居るなんて知らなくて。"こいしら"を読んだとき、アキラが最終的に恋を知ることが出来て良かったって思った」
こいしらというのは先ほど俺が見てきた映画の略称で、アキラはその主人公だ。
「でも、感想見たら一部からすげぇ叩かれてて。それを見てたら、俺があの結末に感動したことが悪いことのように思えて……映画化したって知って、見たかったんだけど、見るのが怖くて。だから、玄さんが良かったって言ったの、意外だった。恋をしない人間を肯定する物語を期待してると思ったから」
「俺は……怖いんだ」
「怖い?」
「自分は恋をしない側の人間だと断定することが。恋を経験した人は大体みんな口を揃えてこういうだろう?『恋は落ちるものだ』って。いずれ必ず落ちる日が来る保証なんてないけど、落ちないままで居続けられる保証もない。だから……絶対に落ちないって、自分はアロマンティックだって言い切るのが怖い。だから……俺としては、変わらないことを肯定されるよりも、変わることを肯定された方が安心するかな」
「そうなんだ……」
「かといって、恋をしないなんて人間としてあり得ないとか言われたら、キツイけど。けど……あの物語は別にそうじゃなかったと、俺は思うよ。アキラがたまたま変わっただけで、変わらないまま生きている人もあの世界にちゃんと居た。そのキャラは原作には居ないキャラだけど、原作者自らが案を出して追加したらしい」
過去に批判を受けたから仕方なく無理矢理捩じ込んだんじゃないかという意見もあった。その可能性はなくはないが、強引に入れられた要素だとは感じなかった。俺が原作を知らないからというのもあるかもしれないが、俺には彼女は批判の弾除けのための形だけの存在ではなく、一人のキャラクターとしてちゃんとあの世界に馴染んでいたように思えた。
原作を読んでいた天翔は彼女の存在をどう感じるのだろう。気になる。
「……玄さんってさ、同じ映画何回も見れる人?」
「気に入ったら繰り返し見る派」
「なら、今度付き合ってよ。こいしら、一緒に見て。玄さんと一緒なら、見れる気がする。金は俺が払うから」
「良いよ。自分の分は自分で出す。俺も天翔の感想が聞きたいと思ってたから」
「……あ、待って」
「ん?」
「公開終了日、明日だ。俺バイト入ってる。行けねえ」
「そうか。なら、このまま今日見るしかないな」
「……えっ、マジで? 玄さんさっき見たばっかだろ?」
「問題ない」
「マジかよ。そこまで言うならチケット買ってくるわ」
「頼んだ」
そんなわけで、そのままもう一度同じ映画を彼と見ることに。つい数時間前に見たばかりだが、一度見たから別の視点で見ることが出来て案外楽しめた。
「どうだった?」
エンドロールまで見終わったところで感想を問うと、彼はもう何も映らない真っ暗なスクリーンを見つめたまま静かに「良かった」と呟いた。そして俯き「ありがとう」と続けた。
「俺の方こそ、ありがとう。色々と気を使ってくれて」
正直、彼の第一印象は最悪だった。絶対関わりたくないと思っていた。だけど、接しているうちに意外と色々考えている人なんだと分かってきた。友達になれて良かったと、今は思う。流石に恥ずかしいから言わないけど。
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