葉月と朔夜

「葉月は彼氏作らないの?」


「えっ、ああ、彼氏……ですか……」


「なに?」


「いえ……実は私、異性を好きになったことが無くて」


「ええっ、大学生にもなって初恋まだなの!?」


「えっ。あ……はい」


 サークルの新人歓迎会で聞こえてきた会話に思わず振り返る。恋愛の話題をふられて困ったように笑っている彼女を見て、かもしれないとすぐに察した。


「森中さん……だっけ」


「あ、は、はい。えっと……」


「二年の木谷きたに朔夜さくや。よろしく」


「森中葉月です」


「ごめんね急に。話聞こえちゃって。私も男の人好きになったことないんだ」


「あ、そう……なんですね」


「うん。そう。嫌になっちゃうよねぇ、色ボケした奴らばっかりで。ごめんね」


「……」


「ん? どうしたの?」


「……木谷さんは……その……」


「ん?」


「……その、恋愛に興味無い人ですか? それとも……男の人に興味無い人ですか?」


 私と目を合わせずに、周りを気にしながら恐る恐る問う彼女を見て確信する。彼女は私と同じなのだと。


「言ったでしょ。男の人好きになったこと無いって」


 私がそう言うと彼女は目を丸くした。そして俯いて「私もです」と呟き「初めてです。同じ人に出会えたの」と控えめに笑った。

 その後二次会には行かずに、二人で話をしようと言って彼女を家に連れ込んだ。そのまま口説き落として食ってやろうという魂胆だった。だけど「ずっと一人だと思って生きてきたから仲間に出会えて嬉しいです」と笑う彼女の笑顔があまりにも眩しくて、なんだかそんな気分になれなかった。その純粋さを穢すことを躊躇ってしまい、結局何も出来ずに解散した。




 翌日。大学で同じサークルの男子と話す彼女を見かけた。


「森中さん、昨日大丈夫だった?」


「何がですか?」


「木谷に何かされなかった? あいつ、女が好きって噂あるからさ」


 レズビアンであることは誰にも話していなかったが、いつの間にか噂になっていたらしい。男子の話を聞いて、彼女はチラッと私を見た。私が居ることに気づくと、男子は気まずそうな顔をする。私も気まずい。女なら誰彼構わず襲う訳ではないが、昨日の私は確かに彼女に下心があった。むしろ下心しかなかった。彼の言うことに対して失礼なと怒る気になれない。しかし、彼女は言った。「女性が好きと、女性なら誰でも良いは違いますよ。そんなことも分からないんですか?」と。怒りの籠った静かな声で。俺は君を心配して言ってるだけだのなんだの言い訳をするが、彼女は無視して私の元に歩いて来た。そして私の手を取り「行きましょう」と、彼から逃げるように歩き出す。


「……良いの?」


「何がですか?」


「……変な噂立てられるよ」


「……そうですね。浮くのは正直、怖いです。でも……先輩は、やっと出会えた初めての仲間ですから。ああやって酷いことを言ってくる人達と、同じ悩みを抱える人だったら、天秤にかけるまでもないです」


 そう言う彼女の手は震えていた。差別されることに怯えて、自分がレズビアンであることは誰にも言えなかったと昨夜語っていた。それでも勇気を出して私を守ってくれた。私のために怒ってくれた。繋がれた手が伝わる温もりが優しくて、泣きそうになる。


「ねぇ、君って好きな人いるの?」


 私がそう聞くと、彼女は足を止めた。そして手を離し、こちらを見ずに「居ます」と一言。


「……それは、叶う可能性のある恋なの?」


「……多分、叶わないと思います。彼氏、居ますから。……想いを伝えるつもりもありません」


「……なら、私と付き合ってよ」


「……はい?」


 なんでそうなる? と言わんばかりの反応だった。しかし、振り返って私の顔を見ると、冗談ではないと察したのか困ったように目を逸らした。


「……今言った通り、私は好きな人が居ます」


「うん。聞いた。それでも良いよ。私のこと好きにさせるから。叶わない恋なんて忘れるくらい夢中にさせる」


「どこから来るんですかその自信。大体私達、昨日知り合ったばかりですよね。どうして私なんですか。……私以外に同性愛者が居ないからですか?」


「違う。君が良いんだ。お試しで良いから付き合ってよ」


「……貴女のこと、好きになれる保証は出来ませんよ」


「構わない」


 手を差し出す。その手に向かって躊躇いがちに伸ばされた彼女の手を掴み、指を絡める。

 こうして私達は付き合うことになったのだけど、彼女の心は私が思っていた以上に好きな人に囚われていた。それはもはや恋というよりは呪いのようなもので、私にはその呪いを解いてやることは出来なかった。というよりは、彼女の方がそれを拒んだ。結局私達は、一年ほどで別れた。彼女の方から別れたいと言い出して、私はそれを受け入れた。受け入れるしかなかった。「忘れたいのに忘れたくないんです」と、私に触れられることを拒んだ時の彼女の泣き顔は多分一生心から消えることはないだろう。

 その後何人かと付き合ったが、どうしたって彼女のことを忘れることは出来なかった。皮肉にも私は、彼女と別れてようやく、彼女の気持ちがわかったのだった。

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