番外編
17.5話
翡翠とさんご
明菜ちゃんの部屋で、ひーちゃんと二人きり。どうしてこうなった。宇崎くんは私が彼女を好きだと知っている。私達を二人きりにするために、明菜ちゃんと一緒にお迎えに行きたいなんて言ったのだろうか。いや、単に流川くんが明菜ちゃんにちょっかいを出すのを阻止したかっただけかもしれない。彼は流川くんが好きだと言っていたから。あんなセクハラ男のどこが良いのやら。まぁ、悪い人ではないのは分かるけど。
「……あのさ、あたし、前からさんごに言おうと思ってたことがあるんだよね」
彼女がふと手を止めてそんなことを言う。思わず私も手を止めて彼女の方を見ると、彼女は何やら気まずそうに私から視線を逸らす。えっ、なに? まさかひーちゃんも私のこと……なんて期待したのも束の間、彼女は口を開いてこう言った。「あたし、この間先輩から告られて」と。期待とは別の意味で心がざわつく。
「……先輩って……中学の?」
「うん。そこそこ仲良い男の先輩」
「……好きなの?」
「うんまぁ……好きではある……かな……」
微妙な反応だが、彼女は「その人と付き合ってみようと思ってる」と続ける。思考が停止した。
「えっ……え? な、なんで? 好きって、その好きは恋愛的な意味じゃないよね?」
「違うと思うけど……お試しでも良いからって。だから……「やだ!」
思わず彼女の言葉を遮ってしまうと、彼女は目を丸くして私を見た。
「や、やだって……付き合う付き合わないはあたしが決めることだし、さんごには関係な「あるよ! 私好きだもん! ひーちゃんのこと!」
言った。言ってしまった。隠すつもりだったのに。彼女は困惑している。だけど——
「恋愛的な意味の好きじゃないけどとりあえず付き合ってみるなんて、そんなの、そんなんだったらさ! 私でも良いじゃん! 私、ひーちゃんの友達の中なら誰よりもひーちゃんと仲良い自信あるよ! ずっと一緒だったから。保育園から今までずっと。ずっと、ひーちゃんのこと見てきた。ひーちゃんとの付き合いは誰よりも長いし、ひーちゃんのことなら誰よりも詳しいし、誰よりもひーちゃんのことを大事だと思ってる。そんなぽっと出の先輩なんかよりずっと、私の方がずっと、ひーちゃんのこと好きなんだから! だから——」
思わず口から飛び出してしまった想いはもう抑えることなんて出来なくて、そのままドッと溢れ出してしまう。彼女にストップをかけられてようやく、自分がやらかしたことに気付く。謝ろうとすると、彼女は「謝らないで」と私の謝罪を遮る。そして私をまっすぐ見据え「謝らなきゃいけないのはこっちだから」と頭を下げた。
「……ごめん、気付かなくて」
私がレズビアンかもしれないと打ち明けた時、彼女は同じことを言った。そして『あたし、無意識のうちにさんごのこと傷つけてたんだね』と自嘲するように笑った。あの時の同じことを言って、同じように笑う彼女。そんなことない。私はいつだって、彼女に勇気づけられてきた。自分のせいで傷ついたなんて言ってほしくない。
「私はむしろ、ひーちゃんに救われてるよ」
私の身長は中学卒業時で179㎝、高校に入ってからは180を超えた。止まる気配もなく、伸び続けている。彼女も背が高い方ではあるが、それでも私より十㎝低い。中三の初め頃はほとんど変わらなかった目線がどんどん遠ざかっていく。私はこの身長がコンプレックスだった。デカ女とか巨人とか揶揄われて、学校に行きたくない日もあった。
「それでも私は、ひーちゃんが居たから頑張れたの。ひーちゃんが、カッコいいじゃんって言ってくれたから……たったその一言で、私は凄く救われたんだよ。どれだけ傷つけられたってチャラになるくらい」
「……傷つけたのは事実なんじゃん」
「……うん。だから私、ひーちゃんにこの想いを伝えたくはなかった。知ったらひーちゃん、そうやって自分を責めるだろうなって、思ったから。だけど——」
と、その時、下から物音が聞こえてきた。「ただいまー」と明菜ちゃんの声が響いてくる。私達は咄嗟に課題の方を向き直し、ペンを持った。
「お、お帰りー。遅かったね」
「ど、どこか寄り道でもしてたの?」
ぎこちない空気が流れる。明菜ちゃん達は空気を読んでなにも言わなかったが「なに君ら。いつの間付き合ってたの?」と揶揄うよう流川くん。やっぱり私、この人苦手だ。
「うう……言うタイミングミスったぁ……」
「……ほんとだよ」
「だってぇ……ひーちゃんが……告白してきた先輩と付き合うとか言うから……好きでもないけどとりあえず付き合ってみるとか言うからぁ! よく分かんないのと付き合うくらいなら私で良いじゃん! バカ! バカバカバカバカ!」
彼女をぽこぽこと叩いていると、涙が溢れ出してくる。彼女は「ごめんって」と謝りながら、私を抱いた。思わず手を止めると、彼女の手がぎこちなく私の頭を撫でる。心臓がうるさくはしゃぐ。彼女はそのまま、私の頭を撫でながら言った。
「……明菜ちゃん、あたしらちょっと、散歩してくるわ」
「ん。行ってらっしゃい」
「……うん。行こ、さんご。さっきの話の続きしよ」
「……うん」
彼女に連れられて外に出る。彼女は私を見ないまま、私の腕を引いて歩きながら話し始める。
「あたし、ずっと恋愛に憧れてたの。でも、好きでもない人とは付き合いたくなくて」
「……じゃあなんで、今回は付き合おうと思ったの」
俯き、彼女の顔を見ないまま問う。
「……焦ってたのかも。高校生になって、周りはみんな、ますます恋愛の話ばかりになって……あたしはキスもまだしたことなくて……」
「……私だってないよ」
「そう……だね。うん。そうだ」
そのまま私達はお互いを見ないまま、目的地もなくただ歩きながら会話をする。
「……ひーちゃん、恋愛は男の子とじゃなきゃ、嫌?」
「……分かんない。……さんごのことは好きだよ。大好き。大事な友達……だと思う」
「だと思う?」
「……あたし今、めちゃくちゃドキドキしてる。こんなドキドキしてるの、初めて」
顔を上げると、彼女の赤く染まった耳が視界に入った。足を止めると、彼女も足を止める。
「……ひーちゃん、こっち向いて」
「……無理。あたし今、絶対真っ赤になってる」
「だから見たいの。見せて」
「きゅ、急にぐいぐいくるじゃん……」
「……好きだったから。ずっと。叶わないって諦めてたけど、叶うかもしれないなら、やっぱり諦めたくない」
「……付き合うってことは……さ」
「うん」
「……さんごはあたしと、キスしたいの?」
「……ひーちゃんが、それを許してくれるなら。ひーちゃんが嫌ならしない。私は……ひーちゃんが大事だから。だから……無理ならはっきり、断ってほしい。無理して私の欲望に応えないでほしい。返事は今じゃなくて良いから……冷静になって、考えて」
「……分かった。付き合おう」
「えっ」
「……付き合おう。さんご」
「ほ、本気で言ってる……?」
「さんごがいったんじゃん。私で良いじゃんって」
「言ったけど……」
「……ああ、でもその、ごめん。正直まだ、キス出来るかとか、そういうのは分からない。でも……同情じゃないよ。あたし自身が、さんごの気持ちに応えたいって思ったの。応えられるかは分からない。分からないけど……付き合ってみてはっきりさせるじゃ……いや、でもやっぱりそれだと余計にさんごを傷つけ——「良いよ。傷つけて」
後からやっぱり違ったと言われたって構わない。今付き合えるなら、先のことなんてどうでも良い。目先の欲望に囚われてそう返すと彼女はあたしが良くないんだよと首を振った。だけど少し考えて「いや、いいのか」と突然笑いだした。
「ひーちゃん?」
「……ううん。あたし、自分でも思った以上にさんごが大事なんだなって気づいて。それが恋かはまだ分からないけど……でも……うん。やっぱ、付き合うよ。あたし、さんごの彼女になる。これからもよろしくね、さんご」
そう笑って、彼女は手を差し伸べる。その手を取ると、彼女はふっと笑って指を絡ませてきた。
「ひ、ひーちゃ……」
「恋人繋ぎ。嫌?」
「う、ううん……嫌じゃない……」
「……あたしも。嫌じゃない。……ドキドキする」
「……私の方がドキドキしてるもん」
「だろうな。ずっと好きだったんだもんな」
「うん……今も好きだよ」
「……そっか。じゃあ、これからも好きでいてね」
「……うん。ずっと好きだよ」
いつか、やっぱり恋じゃなかったって言われてもずっと。それは口にはせずに彼女と手を繋いで来た道を歩く。今はまだ、彼女との恋愛関係がこの先永遠に続くと信じることはできない。だけど今は、それでも充分なほど幸せな気持ちだった。
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