第35話:ふうふ

 それから日は流れ、期末テストが終わった。そろそろ一学期が終わる。赤点はなんとか回避して、夏休みの補習はない。そして部活もない。夏休みに学校に行く理由がない。それは一般生徒にとっては嬉しいことかもしれないが、私にとってはあまり嬉しくはない。なぜなら、夏休み中に彼女と会う口実が無いから。


「先生、夏休みに入る前に一ヶ月半分ハグしてください」


「しません」


「一ヶ月半も会えないんだよ!? 寂しくない!?」


「いえ、二学期が来ればどうせ嫌でもほぼ毎日顔を見ることになるので」


「えーん! 冷たい! エアコンの風より冷たい!」


 ——と、そんなわけで終業式。好きな人に会えない地獄の一ヶ月半が始まることに悲しみを覚えながら帰宅する。自転車を止めて家に入ろうとすると「うわっ、マジで制服着てる」と懐かしい声が聞こえてきた。振り返るとそこに居たのは男性二人。花束が刺さったカバンを持った日本人男性と、日傘を差した背が高い金髪碧眼の外国人男性。幼馴染の山本やまもと吉喜よしきと、その夫のルーカスだ。ルーカスはオランダ人で、身長は2m近くある。185㎝と日本人にしては背が高いはずの吉喜だが、彼と並ぶと小さく見える。


「夏休み頃にこっちくるとは聞いてたけど、早いな」


「制服着てるってことは、もしかしてまだ夏休みじゃなかった?」


 流暢な日本語でそう問うルーカス。彼はオランダ生まれオランダ育ちで、出会った時はまだ片言の日本語だったが、今ではこのように日本で育った人間と変わらないくらい流暢な日本語を操る。さらに母国語であるオランダ語と、英語も話せるトリリンガルだ。元々オランダ人は英語が話せる人が多いらしい。


「今日が終業式だった」


「制服、似合ってるね」


「ありがとー。制服着ると十代に見えるでしょ」


「つーか……なんか、タイムスリップした気分だわ。中学の頃から変わってないよなお前」


「よく見ろ。胸はデカくなったぞ」


「いや、知らねえよそんなの。興味ねえよお前の胸なんか。どうでも良いから中で話さん? 暑い。死ぬ」


「日本の夏は地獄だよねぇ」


 オランダの夏の平均気温は三十度もいかない上に、湿度もそれほど高くないらしい。対して日本の夏なんて三十度超えは当たり前だし、湿度も高い。私達が住む名古屋は特に湿度が高い地域だ。日本にずっと住んでいる私ですら地獄だと思うが、オランダの夏に慣れた二人にとってはもっと地獄だろう。


「お。鍵開いてる。ってことは冷えてるかなぁー」


 家に入り、リビングに続くドアを開ける。その瞬間、ひんやりと冷たい風が身体の熱を冷ます。リビングには全員揃っており、みんなぐったりとしていた。


「おかえりー。って、うわっ、なんか連れてきた」


「よぉーガキ共。久しぶりだなぁ。とーりーあーえーず……秀、大学入学おめでとう。色々考えたけど、結局何が良いか分からんかったからギフトカード一万円分。好きなもの買え」


「うわー。ありがとうヨシ兄」


「おう。あとこれは全員へのお土産な」


 そう言って吉喜がカバンから取り出したのは木靴を模したストラップ。色違いのものが五つと、ストラップの紐がついていない置物が二つ。置物の方は私達の両親へのお土産らしい。


「ちなみに花は日本産。近所の花屋で買った。あ、仏壇に靴は失礼だったか?」


「良いんじゃないか。雲は水蒸気だし。天国なんて湿地帯みたいなもんだろ」


 オランダは湿地帯が多いため、水や泥を弾く木靴が使われてきた。今ではあまり日常使いはしないらしいが、農作業をするときなどは重宝するらしい。天国というところがどんなところかは分からないが、水蒸気で出来た雲の上にあるというならきっと、水の多い世界なのだろう。


「その理屈で行くなら湿地帯っつーか、ほぼ海じゃね?」


「細えこたぁ良いんだよ。父さんと母さんならきっとなんでも喜ぶ」


「まぁ、そうだな」


 吉喜からもらった木靴の置物をそれぞれの仏壇に置き、花を添える。


「あ、そういやさ、この間写真見せてくれた担任って、まさかとは思うけど中学の頃お前が好きだったあの子だったりする?」


「ああ、そのまさかだよ」


「マジかよ。なんか似てんなと思ったら本人かよ。どんな偶然だよそれ」


「明菜の好きな人、ヨシも知ってる人?」


「俺とこいつの中学の後輩らしい」


「中学の後輩が担任? 凄い偶然」


「でしょ。しかも、向こうも昔から私のこと好きだったらしい」


「だろうなぁ。そんな気はした」


「やっぱりお前気づいてたんだな」


「気づいてたよ。お前だけ彼女出来るの悔しいから言わなかった」


 と彼は意地悪く笑いながら言うが、気持ちは分かる。私も彼の立場なら言わなかった。悔しいというのもあるが、あの頃は今以上に周りの偏見も強かった。両想いだから付き合っちゃえなんて気軽に言える空気ではなかった。特に吉喜の母は異常なほど同性愛者を嫌っていた。同性愛者にはなるなと言われて育ったほどだ。しかし、彼女がそれほどまでに同性愛者を嫌っていたのには理由がある。彼女の夫——つまり、吉喜の父親がゲイだったのだ。それを理由に別れてほしいと、吉喜が出来てから言われたのだと、彼女は語っていた。元を辿れば同性愛者が差別される世界が悪いとはいえ、息子に同じ道を辿ってほしくないと願うのも無理はないだろう。実際吉喜は父親と同じように、世間体のために私を利用しようとしていた。もし私が彼に対して恋愛感情を抱いていたら、いつか同じ悲劇が起きていたかもしれない。ちなみに、吉喜も父親の話は聞いているのだが、父親が今どうなっているかまでは知らない。私とルーカスはそこまで聞かされたが、吉喜にはとても言えない。多分、吉喜もなんとなく察していると思うが。


「にしてもみんなデカくなったなぁ」


 弟達を見ながら吉喜が言う。年に二度は会っているが、会うたびに言っている。ちなみに前回会ったのは正月。まだ半年しか経っていない。


「ヨシ兄、毎回言うよねそれ」


「俺はお前らのこと小さい頃から知ってるからなぁ。親戚の子みたいなもんよ。明菜と一緒に幼稚園のお迎えにも行ったりしてたし」


 吉喜は一人っ子で兄弟は居ないのだが、私の両親と彼の母親が仲が良く、仕事に行っている間に吉喜をうちに預けることが多かった。流石に思春期になると異性同士ということもあり、そんなこともなくなったが、私達はほとんど兄弟みたいに育った。私の弟達から見ても彼は実の兄か、あるいは親戚のような存在だろう。私にとっても弟のような存在だ。それを言うと彼は『弟じゃなくて兄だろ』と言い、どっちが上かといつも言い争っていた。未だにどちらも譲ることはなく、私は彼を他人に紹介する時、弟みたいな存在だと言うし、彼も私を妹みたいな存在だと言う。流石にもうそれでいちいち揉めたりしないが、彼のことを兄みたいだとはどうしても思えない。ちなみにルーカスも私達と同い年。姉が一人居て、曰く、私に似ているらしい。実際に会ったことあるがノリは確かに近いかもしれない。


「羨ましいなぁ。ワタシは小さい頃のヨシのことなんも知らないから」


 と、拗ねるようにルーカスが唇を尖らせる。

 吉喜はどこか嬉しそうに笑いながら彼の頭を撫でた。彼のその幸せそうな顔を引き出せるのは、ルーカスだけではないだろうか。私がそう指摘すると、吉喜は顔を真っ赤にして私を睨み、ルーカスは「そうかなぁ」と吉喜を見て照れ笑いした。


「お前……ほんとそういう恥ずかしいこと平気で言うよな」


「ははっ。吉喜かーわいい」


「お前なぁ……」


「ははは」


 今の日本では同性同士は結婚出来ない。目の前に居る夫夫ふうふを見ていると、どうして許されないのだろうかと改めて思う。彼女と付き合う頃には、日本の法律も変わるだろうか。


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