第34話:例外

 それから数日後。今度はあずき先輩に呼び出された。連れて行かれた先はいつものバー。今日はあまり賑わっていないようだ。週の真ん中だからだろうか。


「……告白されたんだ。例の、好きな人に」


「返事は?」


「もちろん断った。今は付き合えないって。だから……もう少し、待っててくれって」


「そうですか」


「……明菜ちゃん、君、彼女が私に告白するように仕向けただろ」


 あずき先輩はそう言って私に訝しげな視線を向ける。


「仕向けてないですよ。告白しちゃえよとは言いましたけど。彼女、私が先輩のこと誑かしてるって言いがかりつけてきたんですよ? ひどくない? むしろ逆なのにねぇ?」


「いや、私は君のこと誑かしてないが」


「彼女のこと忘れさせてって迫ってきたくせに」


「……あれは、忘れてくれ」


「はーい。無かったことにしまーす。でも先輩、良いんですか? 私と二人きりでこんなところ来て。彼女(仮)に怒られない?」


「本当は嫌だけど、立場が同じ人間にしか話せないこともあるだろうから我慢しますって」


「ふぅん。大人ですねぇ」


「ほんとにね」


「にしても、時代は変わりますねえ……私が十代の頃なんて、同性が好きなんて言ったらいじめられてましたよ」


「明菜ちゃんがレズビアンを自覚したのはいつなの?」


「聞きたいです?」


「話したくないなら話さなくてもなく良いけど」


「じゃあ、聞いてほしいので話します」


「なら聞いてあげよう」


 私の初恋は幼稚園の頃。相手はもちろん女の子。将来的に結婚してくれと言った。すると彼女は不思議そうに首を傾げながら言った。『女同士は出来ないんだよ』と。ショックで泣いてた私に、幼稚園の先生が言った。『明菜ちゃんもいつかは男の子を好きになるから大丈夫だよ』と。もう二十年も前のことなのに、今でもはっきり覚えている。

 当時、その話を両親にもした。何を言われたかまでは覚えていないけれど、きっと二人なら、私の恋を肯定してくれていただろう。今ならそう思えるが、結局、父にも母にも自分がレズビアンであることを言えなかった。

 しかし、母は最後にこう言った。『私はきっともう長くないから、これだけは言っておく。私があなた達に望むことはただ一つだけ。明るく幸せな人生を送ってほしい。その幸せは、異性を愛して子供を授かることでも、良い企業に勤めることでもない。私や世間が決めるものじゃない。あなた達が決めるもの。世間の偏見に晒されるような道を選んだとしても、それがあなた達の選ぶ幸せへの道なら、私はお父さんと一緒に天国で応援するから』と。母の言葉を受けて私はようやく、弟達に自分がレズビアンであることをカミングアウトすることが出来た。『知ってた』と四人に口を揃えて言われて拍子抜けしたのは良い思い出だ。

 この話を聞いたあずき先輩は「良い話だなぁ……」と涙を流し始めた。


「でも良かったねぇ甘池さん。好きな人と両思いだって分かって」


 グラスに酒を注ぎながらマスターが言う。しかしあずき先輩はまだ浮かない顔をしている。


「……良かった……んですかね」


「良いんじゃない? 付き合ったわけじゃないんでしょ?」


「はい。嬉しいですけど……正直、複雑です。彼女の恋は、恋じゃなくて大人への憧れなんじゃないかって」


「先輩ってほんと、酒入ると弱気になりますよね。普段あんな明るいのに」


「……私は君みたいに根っからの陽キャじゃないからね。どちらかと言うと、こっちが本当の私だよ」


「心愛先輩はそのこと知ってるんです?」


「うん……まぁ」


「ふぅん。本性を知った上で好きだって言ってくれたんですね?」


「……ニヤニヤしおって」


「ははは。あの人、良い子ですよねぇ。私も好きですよ。恋愛的な意味じゃなくて、人として」


「どんな子なの?」


「一言で言うなら……忠犬? あずきちゃんのこと傷つける奴は誰であろうと許さん! みたいな。でも誤解だって分かったらちゃんと謝罪出来る良い子ですよ」


「へー。……あ、そういやお二人さん、結局海くんのところには行った?」


 海くんというのは確か、マスターのお弟子さんだ。レズビアンでありながら男性と恋に落ちて結婚したという女性。詳しく話を聞いてみたいとは思っているが、まだ会ったことはない。


「今ちょうどそこに居るよ」


 マスターが指差した方を見ると、カウンター席の奥に座って飲んでいた中性的な雰囲気の女性と目が合う。彼女はめんどくさそうにため息を吐き、マスターを睨んだ後、こちらに微笑みかけて気怠げに手を振りながら言った。


「なに? お嬢さん、僕に興味あるの?」


 絵に描いたような愛想笑いだ。めんどくせぇけどしょうがないから話くらいは聞いてやるよという態度が隠しきれていないが、なんだか不快な感じはしない。


「すみません。マスターとか常連さんとかから話聞いて、どんな人なのかなと」


「こんな人でーす」


 と、微笑みながら明るく言うが、目は笑っていない。


「お嬢さん、レズビアンでしょ。そっちのちっこいお嬢ちゃんも」


「はい」


「……はい」


「んな警戒しなくて良いよ。取って食ったりしないから。僕は一応、結婚して子供も居るからね」


 ちなみにこれが夫。と、彼女は隣でカウンターに突っ伏していた男性の頭を突く。男性は顔を上げて「んー? なにぃ? どうしたのー?」と彼女に微笑みかける。明らかに酔っている感じではあるが、その一声だけで彼の彼女に対する愛情が伝わるくらい甘い声だった。男性と結婚したくせに自分はレズビアンだと言い張るなんてと難色を示していたあずき先輩も毒気を抜かれたように唖然としている。


「お嬢ちゃん達は彼女居るの?」


 夫の頭をわしゃわしゃと撫でながら海さんは私達に問う。


「ほぼ付き合ってるみたいな感じの人なら。ねー。あずき先輩」


「……まぁ、うん」


「へぇ」


「海さんも、昔は女性と付き合ってたんですよね?」


「そう。好きでもない男と結婚するくらいなら死んだ方がマシだって思ってたし、異性と結婚する同性愛者のことは軽蔑してたよ。自分は絶対にああはならないって思ってた」


「……それなのに、結婚したんですか?」


 あずき先輩の一言に対して海さんは「そうだよ。理解出来ないでしょ」と自嘲するように笑う。あずき先輩は否定も肯定もせずに黙って俯いた。


「別に理解してほしいなんて言わないし、自分がそうだったからと言って、全ての同性愛者がいつか必ず異性を好きになるとは思わないよ。僕はただ、例外に出会ってしまっただけだから。無理して異性と結婚する必要なんてないよ。うちの子達だって、息子の方は異性と結婚したけど、娘の方は同性と付き合ってるし」


「海くんの娘から彼女紹介された時、親子だなぁって思ったよ。女の趣味が一緒なんだもん。息子くんの恋人の方はそうでもないけど」


「……まぁ、確かに。若い頃なら口説いてたかも」


「うわっ。娘の恋人に手出すなよ。最低」


「出すわけねえだろアホ」


「……夫の前でそんなやり取りをして良いんですか?」


 あずき先輩が苦笑いしながら突っ込む。すると海さんはふっと笑って、夫の頭を撫でながら言った。「良いんだよ。こいつは全部知ってるし、今更愛想つかしたりしないから」と。頭を撫でられている夫は「んふふ」と幸せそうな笑い声を漏らす。なんだか犬みたいだ。ちなみに、彼の名前は麗音れおんというらしい。名前も音の響きだけ聞くとなんとなく犬っぽい。


「……世間体のための結婚じゃないんだな」


 二人を見ていたあずき先輩が呟く。それを聞いた海さんは先輩の方を振り返って、笑って言った。「だから言ったでしょ。例外だって」と。

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