第33話:先輩が私を敵視する理由

 その日の放課後、掃除を終えて校門に向かう。待たせてしまうと思って急いで来たが、先輩はまだ居ないようだ。


「和泉さん」


 愛しい人が呼ぶ声が聞こえた気がして振り返る。幻聴ではなかったようだ。彼女の方から声をかけてくれるのは珍しい。駆け寄ると、いつもの冷めた顔で「誰か待ってるんじゃないんですか」と私の身体を押し返した。


「良いんですよまだ来ないから。先生の用事の方が大事」


「いや、別に用はないですけど」


「用がないのに声かけてくれたんですか?」


「……誰待ってるのかなって」


「先生を待ってました」


「待ち合わせした覚えはありません。真面目に答えてください」


「部活の先輩です」


「もしかして……柊木さんですか?」


「え? はい。そうですけど……」


「……そうですか」


 なんだか意味深な相槌を打つ森中先生。


「何か心配事でも?」


「……いえ。大丈夫です。私は——」


 その後に続く言葉は声が小さくてよく聞こえなかった。聞き返すと、なんでもないですと素っ気なく言って去っていく。そして入れ替わるように心愛先輩がやってきた。


「森中先生となに話してたんですか?」


「……先輩こそ、先生となに話してたんですか?」


「……以前少し、相談に乗ってもらっただけです。詳細は言いたくありません」


「なるほどねぇ……」


「……先生から、何か聞きました?」


「いえ、なにも。彼女は人から相談されたことを勝手に他人に話したりしないですよ。昔から正義感強くてクソ真面目なんで」


「……昔から……ね」


「中学の後輩なんですよあの人。凄い偶然ですよね。後輩が担任って」


「……」


「……ところで、私に話したいことってなんですか? 告白ですか?」


 茶化すように言うと、彼女は「それはないです」と冷たい声で即答した。そして私を真っ直ぐに睨みつけて「絶対無いです。私、あなたのこと嫌いですから」とはっきりと言い放った。静かな苛立ちが伝わってくる。


「分かってますよ。先輩が私を嫌ってることも、その理由もなんとなく。……同級生という近い距離に居ながら未成年と成人という壁に阻まれてる中で、その壁が無い人間が急に好きな人に近づいてきたら、そりゃあ焦りますよねぇ?」


「な……」


 動揺するように彼女の瞳が揺れる。やはり私の推測は当たっていたようだ。


「続きは歩きながら話しましょうか。先輩、電車通学ですよね。私は自転車なんで、駅までですが、送りますよ。待っててください。自転車取ってきます」


 自転車を取りに行き、校門に戻る。彼女は俯いたまま立ち尽くしていた。


「お任せしました」


「……」


 彼女は返事をしないが、私が歩き始めると、一瞬躊躇ったものの、隣を歩き始めた。


「……先輩、自分の好きな人が私に惚れてるって思ってるでしょ。だからあんなに、私に辛く当たるんですよね?」


「……気づいてるなら、どうして、あずきちゃんに思わせぶりなことするの」


「してないですよ。思わせぶりなことなんて。私はただ、彼女から恋愛相談を受けてただけです」


「……明菜さんじゃないなら、誰なの。あずきちゃんの好きな人」


「さぁ。誰なんでしょうね。先輩も相手が誰かまでは教えてくれなかったんで」


「……」


「先輩は相手が成人だから伝えることすら出来ないって思っているかもしれないですけど、伝えるくらいなら良いと思いますよ私は」


 私がそう言うと、彼女は足を止めた。そして「森中先生と同じこと言うんですね」と呟く。やはり相談というのはそのことだったか。


「なんで……なんで、二人して告白させたがるの。告白したって彼女が断ること、分かってるくせに……」


「……先生は知らないけど、私の場合は、後悔してほしくないからですかね」


「後悔……?」


「……私は昔、好きな女の子に告白出来なかったから。立場がどうとかじゃなくて、ただ、女同士だからって理由で。当時の私は自分がレズビアンであることに誇りを持てなかったから」


「……明菜さんにそんな時代あったの?」


「あははっ。今の私しか知らない先輩からしたら、信じられない話でしょうね。でもほんと、当時はレズビアンであることが嫌だったんです。今はむしろ、ビアンで良かったって思ってますけどね。ビアンじゃなかったら葉月ちゃんと付き合えなかったし」


「まだ付き合ってないでしょ」


「でもこれから恋人になる予定なので。卒業するまで待ってるって、先生は言ってくれた。先輩も大人になるまで待ってって、言っちゃえば良いんですよ。大人からは立場上言えないですけど、未成年の方からなら問題ないでしょう。大人側が応えなければ良いだけですからね。あずき先輩もそこは分かってるはずです」


「……明菜さんは、森中先生が好きなんですよね」


「好きですよ」


「……困らせたくないって、思わないの?」


「むしろ困らせたいし、泣かせたい派です」


「ええ……」


 理解出来ないと言わんばかりに眉をひそめる先輩。


「でも流石に、病んでしまうほど追い込んだりはしたくないですよ。ただ、私と社会的な立場を天秤にかけて揺れてる彼女の姿を見ているのが楽しいだけで」


「……悪趣味……」


「なははー。先輩も、もうちょっとわがままになったらどうですか?」


「……でも、私は……」


「あずき先輩に嫌われたくない?」


「……うん」


「大丈夫だと思いますよ。あずき先輩は真面目で優しい人だから。応えられないとしても、ちゃんと受け止めてくれますよ」


 というか多分、両想いなんですけど。言いたい。けどそれを私から伝えるのは野暮だ。でも、見ていてもどかしくて仕方ない。そんな焦ったい気持ちを抑えながら歩いているうちに、駅に着いた。


「どうします? もうちょっと寄り道します?」


「……ううん。良い。帰ります」


「そうですか。じゃあ私も帰りますね。お気をつけて」


「……はい」


 駅に入っていく心愛先輩を見守っていると、彼女はふと立ち止まり振り返った。どうしたのだろうと思っていると、戻ってきた。そして私の前まで来ると「誤解して冷たく当たって、ごめんなさい。あと、ありがとうございました」と頭を下げて逃げるように走り去っていった。その真面目な態度が誰かに重なって、思わず笑ってしまった。

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