第31話:起きてる時に言ってよ

 翌朝。習慣のせいか五時に目が覚めた。みんなはまだ寝ている。六時まではトイレ以外の目的でテントの外に出るなと言われている。逆に言えば、トイレに行くためなら外に出ても良いわけで。三人を起こさないように静かに外に出る。気持ちの良い朝だ。伸びをしていると、通りすがりの森中先生と目が合った。また勝手に外に出てる!と言わんばかりに呆れた顔をしている。手を振ってやると、ため息を吐きながら寄ってきた。


「せんせー、おはよー」


「……お手洗いですか? お手洗いですよね?」


「そうですよ。決して早く目が覚めたから散歩してこようとか思ってるわけじゃないですよ」


「なら早く済ませて早く戻りなさい。寄り道しちゃ駄目ですよ」


「トイレの場所わかんなーい」


「寝る前に説明したでしょう」


「一回じゃ覚えらんないよ」


「……はぁ。わかりました。付き添います」


「ありがとうございまーす」


 森中先生に付き添われながら野外の公衆トイレへ。「ここで待っているので早く済ませて戻ってきてくださいね」とあくびをしながら彼女は言う。手洗い場の近くの窓から抜け出して彼女の監視を掻い潜ることは出来なくはなさそうだが……後から叱られそうなのでやめておこう。不潔だし。素直にさっさと済ませて戻る。


「戻りますよ」


「ちょっと散歩しません?」


「駄目です。戻りますよ」


「ほんとお堅いなぁ……好き」


「はいはい」


「手繋いでー」


「繋ぎません」


「良いの? 繋いでないとどっか行っちゃうかもよ?」


 そう揶揄うと、彼女は足を止めた。そして振り返ると、ふっと笑って言った。「行かないでしょうあなたは」と。


「そこは信じてくれるんだ?」


「信じますよ。だから、裏切らないでくださいね」


 何も言い返せなくなると、彼女は勝ち誇るようにふふんと鼻で笑った。


「……やっぱりちょっと散歩「しませんよ。戻りなさい」ええー……絶対私のこと好きじゃん……「それとこれとは別です。戻りなさい」はぁい……」


 結局そのまま彼女に付き添われながらテントに戻る。


「先生この後は時間までどうすんの?」


「どうもしません。見回りするだけです」


「手伝いましょうか」


「要りません。戻ってください」


「はぁい……」


 その後、起床時間まで時間を潰して朝食。その後は班ごとに分かれて山登り。


「昨日の夜散々歩いたから筋肉痛なんだけど……」


「背負ってやろうか」


「負荷かかってちょうど良さそうだよな」


「ええ……何? 僕のことトレーニング材料にしようとしてる? どんだけ脳筋なんだよお前ら……」


「成ちゃんは大丈夫か?」


「う、うん……大丈……夫……」


 仁山くんは文句を言いつつもしっかり歩けているが、成ちゃんはかなりしんどそうだ。剣道部二人は余裕そうだし、私も十年間力仕事をしていたので体力には自信がある。しかし、二人のためにも少し休憩した方が良さそうだ。


「ご、ごめんね……」


「良いよ良いよ。時間あるし、のんびり行こう」


 こまめに休憩を挟みながら山を登っていく。ようやく辿り着いた頃にはもうみんな昼食を食べ終わっていた。私達が最後のようだ。


「つ、疲れた……」


「下山出来そう?」


「が、頑張る……に、仁山くんは……大丈夫そう?」


「……大丈夫ではないけど……まぁ、なんとか頑張るよ」


「い、一緒に、が、頑張ろうね」


「そうだね。これ終わったら帰れるしね」


 昼食を食べながら、山頂からの景色を眺める。スマホでの撮影は禁止されているが、カメラなら許可されている。食べ終えた弁当を置いて、カメラを構えてシャッターを押す。この写真も後でスマホに移して彼に送ってやるとしよう。


「和泉さん、そろそろ行くよ」


「ん。分かった」


 カメラをしまい、班のみんなと合流して、行きと同じくこまめに休憩を挟みながら山を降りていく。この山を降りたら、後はもうバスで学校に帰るだけだ。


「あっという間だったな。一泊二日」


「な。普通こういうのって二泊三日じゃねえの?」


 などと、ずっと他愛もない話をしながら進み続ける剣道部コンビとは裏腹に、成ちゃんと仁山くんはほとんど喋らない。あまりにも喋らないから着いてきているか心配になる。少しペースを落とし、二人と並んで歩く。


「野外……学習……楽しかった……ね……」


「……そうだね。疲れたけど」


「わたし……この班で良かった」


「そう? 暑苦しくない? あの二人」


「うん……ちょっと……でも……みんな優しくて……ホッとした……」


「うちのクラスは良いクラスだよなぁ」


「……うん。わたし、遅れて入試受けて、良かった……のかも」


「私にも出会えたしな?」


「自分で言うのかよ」


「ふふ。……うん。そうだね。明菜ちゃんに出会えて、良かった。……同じ班になってくれて、ありがとう」


「どういたしまして」


 そこからはほとんど会話はなく、ゴールに辿り着いた。よほど疲れていたのだろう。バスに乗り込むと彼女はすぐに眠ってしまった。彼女以外にも寝ている生徒は多く、車内は行きに比べると静かだ。後ろも寝ている。先生ももしかして寝ていたりするのだろうか。突いてみようとすると「和泉さん」と呼ばれた。悪戯しようとしたことを叱られると思い、反射的に謝る。すると彼女はこちらを振り向かないまま呟いた。「私も好きです。明菜先輩」と。突然の告白に固まってしまうと、彼女はもごもごと聞き取れない言葉で何かを言う。これはもしやと思っていると、彼女の頭が窓の方に倒れていく。身を乗り出して覗き込む。寝ている。つまり今のは、寝言。


「……起きてる時に言ってよそういうのは」


 ぼやきも、騒がしい心臓の音も、彼女には届かない。人の気も知らずにすやすやと寝息を立てている。悔しくなり、録音して後で聞かされてやろうと思って学校に着くまでスマホを構えていたが、それ以降彼女が好きと言ってくれることはなかった。

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