第20話:生徒と教師じゃなくなるまで
ゴールデンウィーク前半が終わった。三連休の間、ずっと彼女のことを考えていた。というか、再会してから彼女のことを考えない日はない。彼女はどうなのだろう。私のことを考えていてくれているだろうか。
「あー……有給ほしい……」
「ゴールデンウィークの間とか、学校行く意味ある?」
「先生達も仕事したくないだろうし、休みにしようよぉ……」
などと文句を言いながら千明と双子が起きてくる。秀明が通う大学は祝日と祝日に挟まれた間の平日も休みらしく、まだ寝ている。それを忘れてつい癖で五人分の弁当を作ってしまった。弁当の下に書き置きを挟んで、朝食と着替えを済ませて家を出る。
交通費を少しでも浮かせるために自転車で通学しているが、友人と一緒に駅の方へ向かっていく高校生達を見ると少し羨ましく思う。さんごちゃん達は確か電車で通っているはずだ。まだ居るだろうか。さんごちゃんにメッセージを送ってみる。『まだひーちゃんと駅に向かってる最中だよ』と返ってきた。引き返そうかと思ったが、そういえば二人は付き合いたてだった。私が居たら邪魔だろうかと思い一緒に通学することを遠慮したが『むしろ私は一緒が良い』とさんごちゃん。お言葉に甘えて引き返し、自転車を家に置いて駅へ向かう。
駅前には似たような制服の女の子がたくさん居たが、背の高い二人は目立ってすぐに見つけられた。合流し、電車に乗り込む。
「電車通学に憧れる気持ち、分かるわー」
「翡翠ちゃん達も楠学区だし、自転車で通えなくはない距離なんじゃない?」
「うん。でも電車の方が楽だし」
「……私は恥ずかしながら、未だに自転車に乗れなくて……」
「練習しようって言ってるんだけどさぁ、恥ずかしいからやだって言うんだよ? 練習しなきゃ乗れるようにならないってのに……」
「だ、だってえ……」
「自転車教室に通うって手もあるよ。そこなら乗れない人しかいないだろうし、恥ずかしくないだろ」
「それって、大人も居るの? 子供ばかりじゃない?」
「大人向けのやつもあるよ。昔、会社の同僚が通ってた。ただ、料金はかなり高いけどな」
「いくらくらい? うちらの定期代くらい?」
「多分、その倍以上だな」
「……公園ならタダだぞ。さんご」
「……で、でもぉ……」
「まぁ、無理して乗れるようにならなくても良いんじゃないか。自転車乗れない大人なんて、案外居るからな。別に恥ずかしいことじゃないと思うよ私は」
なんて話していると、ふと近くに立っていた女性がよろけてぶつかってきた。「すみません」と頭を下げた女性はなんだか様子がおかしい。何かに怯えているような。もしやと思い、スマホに『もしかして痴漢されてます?』と打ち込んで女性に見せる。女性はそれを見て頷き「助けて」と絞り出すように声をあげた。『次の駅で降ろします。着いてきてもらえますか』と打ち込んで見せる。女性はこくりと頷いた。次の駅に着くタイミングを見計らい、女性の腰あたりに触れていた腕を掴んでそのまま電車から引きずり降ろす。
「えっ、明菜ちゃん!? 学校まだ先だよ!?」
「分かってる! 先行ってて! 私ちょっとこのおっさんと話があるから!」
「は、はぁ!? どういうこと!? わけわかんないんだけど!?」
「ひーちゃん、あの人多分……」
「えっ、あ……わ、分かった! 先行く! 気をつけて!」
痴漢の容疑をかけられて無理矢理電車を降ろされ男は逆上し、証拠はあるのかよと叫ぶ。被害者の女性は人混みに紛れて逃げていく。駅員を呼びに行ったと信じ、男を足止めする。すると男は逆ギレして襲いかかってきた。咄嗟にその拳を受け止め、攻撃を受け流す。「あの男です! あそこの女子高生に襲いかかってる奴です!」と、被害者女性の声。気づいた男は逃げようとするが、近くにいた大学生くらいの女性が咄嗟に道を塞いでくれた。「退けええええ!」と叫び、殴り掛かろうとする男。しかし女性は一歩も引かず、振り上げられた男の拳を弾き、足を引っ掛けてその場に転がす。何が起きたのか理解できなかったのか固まってしまった男の前で女性はしゃがみ込み、男の頭をガッと乱暴に掴んで無理矢理顔を上げさせて問う。「おっさん、やったんか?」と。よほど圧が強かったのか、男は怯えるような顔をして素直に頷いた。そして女性に言われるがまま大人しく駅員の元へ。
「お姉さん、怪我は?」
「あ、だ、大丈夫です」
「そう。なら良かった。じゃ、私はこれで」
何事もなかったかのように女性は去って行こうとする。すると鞄についていたクマのマスコットがポロッと落ちた。よく見ると妹が好きなあのバンドのマスコットだ。拾って声をかけようとすると、女性も落としたことに気づいたようで戻ってきた。
「ありがとう」
「いえ。……好きなんですか? クロッカス」
問うと女性はふっと意味深に笑って「デビュー前からファンなんですよ。
「……本当に、ありがとうございました」
「いえ。仕事、頑張ってくださいね」
「はい。お姉さんも、お気をつけて」
女性と別れて、スマホで地図を見ながら学校へと向かう。学校にたどり着くと、ちょうどチャイムが鳴った。時間的に一限目の終わりのチャイムだ。一限目は国語。森中先生の授業だ。終わったばかりなら、まだ教室にいるだろうか。急いで向かうと、ちょうどドアが開いて先生と鉢合わせした。
「和泉さん……」
「おはようございます。森中先生」
「おはようございます」
とりあえず挨拶だけ交わして、教室を出る生徒達の邪魔にならないように廊下に出る。
「……遅刻の理由は聞いてます。今回は理由が理由ですので、欠勤にはなりません」
「あ、そうなの? じゃあもうちょっと遅れて来ても良かったな……」
「……和泉さん」
「は、はい。すみません。冗談です」
「……いえ。……和泉さんは、被害には遭いませんでしたか? 大丈夫ですか? 怪我はしてませんか?」
彼女はそう、本気で私を心配するように問う。痴漢を捕まえたとはいえ、サボるのは駄目ですよと叱られると思ったのに。
「は、はい。大丈夫です。どこも触られてませんし、怪我もありません。心配しなくても、先生以外には触らせませんよ。私の身体は先生のものですからね」
「……そうですか」
彼女はホッとしたように息を吐くと、良かったですと笑った。心配してくれるのは嬉しいがいつもみたいにツッコんでほしい。調子が狂う。
「……特別扱い出来ないとか言うくせにそんな顔するのずるくない? もう開き直って付き合うべきでは?」
「ですから。それは出来ません」
「ちっ。堅物教師め」
「……——まで、待ってください」
ぼそっと、彼女が呟く。思わず聞き返すと彼女は私から目を逸らしながら私だけに聞こえるくらいの声で言った。「卒業するまで、待ってください」と。それはもう私が好きだと認めたようなもので、思わず笑みが溢れる。本当は今すぐ付き合ってほしいが。
「……分かりました。教師と生徒じゃなくなれば、良いんですね?」
「……はい」
「教師と生徒じゃなくなれば、付き合ってくれるんですね?」
「二回も聞かないでください」
「言質とりましたからね」
「しつこいですよもう。次の授業があるので、失礼します」
「はい。心配してくれてありがとね葉月ちゃん。大好きだよ」
「言った側から!」
「今の好きは、先生としてという意味です。口説いてないからセーフ」
「葉月ちゃんって呼ぶのはアウトです!」
「ははは。すみませーん。愛してますよ森中先生」
「愛してるもアウトです!」
「はーい。わかりました。先生が教師じゃなくなるまでもう言いません」
「……約束ですよ」
「約束します。先生も、私のこと特別扱いしちゃ駄目ですよ」
「……私は教師として、生徒を心配したまでです。人助けは褒められるべきことです。ですが……危ないことは、しないでほしいです」
「私が大事だからですか?」
「そうです。大事な生徒だからです」
「愛しい恋人だからですか?」
「大事な生徒だからです! あなたは先生を揶揄う悪い子ですが、それでも、私の生徒に変わりはありません」
「悪い子って。私、歳上なんですけど」
「悪い子です」
「悪い子なのでお仕置きしてください」
「体罰になるのでしません」
「大変ですねぇ先生も」
「そう思うなら揶揄うのやめてもらえませんか。あなたに揶揄われるのが一番大変なんですが」
「悪い子なのでやめませーん」
「な……あなた! それでも大人ですか! 屁理屈ばかり言って先生のこと揶揄って!」
「大人だからですよ。大人はずるいんです。約束、絶対に忘れないでくださいね。先生」
「それはこっちの台詞です。葉月ちゃんって呼ぶのも、愛してるって言うのも禁止ですからね」
「揶揄うのは許してくれるんですね?」
「……ほどほどにしてください」
「大好きです! 森中先生!」
「い、いきなり叫ばないでください! 大好きも禁止!!」
「教師として尊敬してます!」
「してないくせに適当なこと言わないでください!」
「してますよ。教師という立場をわきまえて葛藤するクソ真面目なところ、大好きです」
そう伝えて、少し背伸びをして彼女の耳元で囁く。
「これからも私と仕事を天秤にかけてたくさん葛藤してくださいね。せーんせ」
「……な……」
「あはっ。じゃ、次の授業頑張ってくださーい」
踵を返して教室に戻る。「先輩の意地悪」と懐かしい後輩のぼやきがが聞こえた気がした。彼女は卒業するまで待ってくれと言ったが、私はそこまで待つつもりはない。私が待つと約束したのは、私と彼女の関係が教師と生徒でなくなるまでだから。
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