第9話:変わった関係、変わらない人
入学式が終わって約一週間。先輩は相変わらず私にちょっかいをかけてくるが、プライベートで会おうとか連絡先を交換しようとは言わなくなった。教師と生徒という立場をわきまえているのだろう。それで良いはずなのに、寂しいなんて思ってしまう。
「森中先生、質問なんですが、私は部活には入れるんですか?」
「そうですね。大会は年齢制限があるので出れないものがほとんどですが、部活に入ることはできますよ」
「へー……ちなみに森中先生は何部の顧問なんですか?」
「文学部です」
「わー。っぽい」
「……和泉さんは何部に入るつもりなんですか?」
「お菓子研究部が気になってます。手作りのお菓子を先生に貢ぐ理由になるので」
「私以外にあげてください」
いつものように彼女の揶揄いをあしらう。すると彼女は手を挙げてこう言った。
「先生、先生は言いましたよね。私は教師だから生徒を特別扱いしてはいけないって」
「ええ。言いました」
「私からの好意をそのように無碍にするというのは、ある意味特別扱いになりませんか?」
「……は?」
急に何を言い出すんだこの人は。
「先生は、私以外の生徒から家庭科などで作ったお菓子を渡されても同じように突き放すんですか?」
「……それは……」
「私だからという理由で拒否するなら、それは悪い意味での特別扱いだと思いまーす。そういうのを差別って言うんですよー」
「う……」
言い返せなくなると、彼女は勝ち誇ったようにニヤリと笑う。この人、全然諦めてない。諦めるとか言ったくせに。だけどそれを嬉しいと思ってしまう自分もいる。いやいや、駄目だ。私は教師で彼女は生徒。自分にそう何度も言い聞かせる。先輩だって、分かってくれたはずだ。
「大丈夫ですよ先生。変なもの入れたりしませんから。隠し味にちょっと愛を入れるくらいはしますけど」
「入れなくて良いです」
「ラブちゅーにゅー」
「しなくて良いです」
「というわけで先生、私、お菓子研究部に入ろうと思います」
「ご自由にどうぞ」
「手作りお菓子、ちゃんともらってくださいよ?」
「愛は入れなくて良いですからね」
「残念。入れまーす。これでもかってくらい入れまーす」
「アレルギーなんですよ。私」
「大変だ。免疫つけるために毎日一回私とハグしましょう。少しずつ慣らしていけばきっと良くなりますよ」
「……セクハラですよ先輩。……あっ」
「はい先輩って言ったー。葉月ちゃんポイント一ポイント入りまーす」
「は、はぁ!? なんですかそのポイントは!」
「先生が私を先輩と呼ぶたびに一ポイントずつ溜まっていって、十ポイント貯まるごとに一回、私と先生がデートする権利が与えられるんですよ」
「勝手に変なシステム作らないでください!」
「ポイントカードも作りました」
そう言って彼女は生徒手帳からカードを取り出すと「初回なのでポイント十倍サービスです」と言いながら教卓の上でカードにスタンプを押していく。
「あっ! もう十ポイント貯まりましたね! おめでとうございます!」
「勝手なサービスやめてください。しませんからねデートなんて」
「じゃあ明菜先輩大好きって言って」
「何がじゃあなんですか。言いませんよ」
「今のはドアインザフェイスって言って、先に大きい要望を言って断られた後に小さい要望を言うと承諾してもらいやすくなるっていう交渉術です」
「失敗してるじゃないですか」
「くっ。ドアインザフェイスが効かないとは……手強い……」
「このポイントカードは返却します」
「あ、こちらポイントが貯まってますので一日デート券と交換させていただきますね」
「しなくて良いですってば。処分してください」
「ですがお客様。せっかくのポイントが無駄になってしまいますよ?」
「貯めた覚えないですから。ポイントごと処分してください」
「じゃあ私のポイントカードにポイントを移行して……」
「ああもう! デートなんてしませんから! いつまで続けるんですかこの茶番!」
いい加減しつこいと注意すると、彼女は「先生がノってくれるからつい」と悪びれる様子もなくヘラヘラと笑う。
「諦めるって言ったじゃないですか……」
「言いました。諦めてます。揶揄ってるだけです。諦められてないのは先生の方じゃないですかー?」
煽るように彼女は言う。彼女の言う通りだ。何も言い返せない。
「……和泉さん、貴女は何のためにこの学校にきたんですか。私を揶揄うためですか? 違いますよね? 勉強するためですよね?」
諭すと、彼女は苦笑いしながら「それはそうなんですけどぉ」と唇を尖らせる。不服であるものの、正論に何も言い返せないようだ。
「先生を揶揄う暇があるなら学びなさい。高校生活は三年しかありませんよ」
「教師との恋愛も高校生活の醍醐味だと思いまーす」
「少女漫画の読みすぎです。夢見てないで勉強なさい」
「じゃあ先生、一緒に保健体育の勉強しません?」
「私の担当は国語ですので、担当の先生に聞いてください」
「えっ。そんな……男性の先生に聞くのはちょっと恥ずかしいです……私、レズビアンですし……」
「いや、レズビアンであることは関係ないでしょう」
「あります。大いにあります。教科書が教えてくれる性の知識は異性愛者前提じゃないですか! だから先生が良いんです」
「そ、それは確かにそうですが……和泉さん、大人ですよね? 性に関することなんて教えてもらうまでもないでしょう」
「うわっ、セクハラだ。最低。てか私保健体育の勉強としか言ってないのに性教育だけに結びつけるとか。エロ教師」
「あ、貴女が聞いたから答えたまでですし、レズビアンだから男性には聞きづらいとか言われたら性の話だと思うでしょう! 大体、先にセクハラしたのはそっちでしょう!」
「私は先生に性教育したいって言っただけです!」
「思いっきりセクハラじゃないですか! ていうかさっきは教えてくれって言いましたよね!? なんで私が教育される側なんですか!」
「知識も経験も私の方があると思うので」
「やっぱりあるんじゃないですか! もー! 個人授業は必要ないですね」
「国語で良いので個人授業してください」
「しません。大体あなた、国語得意でしょう」
「まーたそうやって私のこと特別扱いするんだからぁー」
「はぁ……」
駄目だ。ああ言えばこう言う。口論では絶対に勝てない。生徒達もニヤニヤしてないで助けてくれ。そう思っていると、チャイムが鳴った。
「はい、予鈴鳴りました。鳴りましたよ和泉さん。席に着いてください」
「まだ五分あるのでもうちょっといちゃいちゃしません?」
「五分前行動は社会人の基本です。あと、いちゃいちゃとか言わないでください」
「私まだ学生なのでわかりません」
社会人経験十年のくせにと突っ込みたいところだが、収集がつかなくなりそうなのでスルーする。
「では、今のうちに身につけましょう。はい、席着いてください」
「はーい」
「返事は伸ばさない!」
「うい」
「返事は『はい』です!」
「はいはい」
「もー! 『はい』は一回!」
「はい。葉月ちゃん先生」
「森中先生です!」
「あはは」
「席に! つきなさい! 和泉さん!」
「はい。森中先生」
ようやく席に着いた先輩——もとい、和泉さん。十分の休み時間のうち、ほんの数分やり取りしただけなのにどっと疲れた。このクラスで授業があるたびにこんな疲れるやりとりを繰り返すのだろうか。全く勘弁してほしい。
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