第8話:諦めたくない

「おお……学割が……学割が使える……大人なのに……」


 などとカラオケのレシートを見ながら感動する私とは裏腹に、空気は重い。みんな私と先生のことを気にしているのだろう。私も正直、お堅すぎるだろうと呆れた。呆れたが、理由を聞いてなぜ駄目なのかは理解した。彼女の決意はきっと変わらないだろう。しかし、理解はしたけど、納得はしてない。生徒一人を特別扱いするわけにはいかないとか、そんなの知らん。大人なんだからプライベートと仕事の区別くらいつけれるだろう。


「明菜ちゃんさぁ、本当にあれで納得してるの?」


「言い分は理解した。けど、納得はしてないし諦めてやるつもりはないよ」


 私がそう言うと、お通夜みたいな暗い空気に少し光が灯る。


「え? でもさっき、森中先生のことは諦めるって……」


「うん。のことは諦める。だけどのことは諦めるつもりはない。要は、生徒と教師じゃなければ良いんだろ? 卒業したら付き合ってくれるってことだよな?」


「全然諦めてないじゃん!」


「そりゃそう簡単には諦められんよー。だって、どう見ても脈アリじゃん! 押せば落ちるじゃん! 三年も待たずに今すぐにでも素直に落ちろよなぁー! 堅物教師!」


 と、クラスメイト達に愚痴ると「でもなんか楽しそうだね」と不思議そうな顔をされた。指摘された通り、私は正直この状況を楽しんでいる。


「楽しいよ。今すっげぇ燃えてる。私達は教師と生徒ですよなんて、いつまで言ってられるか見ものだなぁー。はっはっは」


「諦めるどころか火事レベルの火ついちゃってんじゃん」


「悪い大人の顔してる……」


「てかさ、学校では教師と生徒だけど、プライベートでは私の方が先輩なのエロくない? どちゃくそエロくない? 出来れば教師と生徒であるうちに付き合いたいんだけど」


「下心全開で草」


「てか、絶対空元気だと思ったのにめちゃくちゃ普通に元気じゃん。なんだよ。心配して損した」


 そう言って誰かが呆れたように笑う。その笑い声が伝染し、ようやくお通夜が終わった。


「本当だよ。全く。勝手に心配してお通夜みたいな空気にしやがって。私は最初から元気だっつーの! なぁ! 天翔くん!」


「お、おう……テンション高えな二十五歳……」


「明菜ちゃんさぁ……なんかやってたりしないよね? 薬物的な……」


「人聞きの悪いこと言うなよ! 酒くらいしかやってねぇよ! あ、今は飲んでないぞ。飲んでないからな。ディスイズソフトドリンク」


「本当? 実は酒だったりしない?」


「疑うなら、確かめてみるか?」


 酒じゃないかと疑う翡翠ちゃんの方にグラスを差し出す。翡翠ちゃんはそのグラスを受け取り一口。すると「うわっ、なにこれ美味」とグラスと私を交互に見た。


「これ、なに? 白ブドウっぽいけど、なんか混ぜた?」


「ジンジャーエール」


「えー。何それ天才かよ。あたしもやろ」


「白ワインとジンジャーエールで作る、オペレーターっていうカクテルがあるんだ。それを参考にしたんだけど……やっぱアルコールねえと物足りねえなぁ。美味いけど」


「飲まないの? 成人してんだし、頼めば良いじゃん」


「みんな飲めないのに一人だけ飲んでも楽しくないし、万が一間違えて飲んじゃったりしたら大変だろ。それより、誰か歌いなよ。せっかくカラオケ来てるんだし」


「明菜ちゃん歌ってー」


「ええ? 私? 最近の曲とか分かんないけど良い? 誰か歌いたい人ー。居ない? 居ないなら私一番行くよー。なにその曲知らんみたいな空気になるなよー」


「明菜ちゃん、リモコン使い方わかる?」


「だから何年前の人だと思ってんだよ」


 クラスメイト達に茶化されながら、十歳年下の子達でも分かりそうな最近の流行りでかつ歌えそうな曲を探す。


「クロッカスって分かる? バンドの」


「あー。ベースの人好きー」


「ごめん。俺わからん」


 知名度は半々といったところだろうか。バンドは知らなくてもCMに使われている曲なら分かるかもしれない。歌手の検索欄から検索して、曲を入れる。分からんと言っていた子達から「聞いたことある気がする」と聞こえてくる。


「なんだっけ、クロ……?」


「クロッカス。最近じわじわきてるバンドだよ」


「バンドでヴァイオリンって珍しいよね」


「あたし、カバンにクロッカスのマスコットキャラつけてる」


「何このクマ! 可愛いー!」


「クロッカスのマスコットのロッカちゃんとクロスくん。あたしがつけてるのがロッカちゃんで、さんごがつけてるのがクロスくんだよ」


 私がモニターに映された歌詞を見ながら歌う中、クラスメイト達はなんだか後ろで盛り上がり始めた。歌いながらふと振り返ると、誰も私の歌を聴いちゃいない。まぁでも、楽しそうだから良いか。

 最後まで歌い切ったところで採点が始まり、85点とまぁ微妙な点数が表示される。その表示が消えると、次以降に流れる曲名が何曲か表示される。いつの間にかみんな入れていたらしい。マイクは次に歌う子に渡して、モニターの下からマラカスを取り出して盛り上げ役にまわる。カラオケ自体は嫌いではないが、正直歌はあまり得意ではない。歌うより聴く方が好きだ。


「明菜ちゃん、クロッカス知ってたんだね。意外」


「妹達がファンでね。そのクマも多分持ってるよ。見覚えある」


 見覚えはあったが、バンドのマスコットキャラだということまでは知らなかった。ぬいぐるみの着ているブレザーの胸ポケットには、ポケットに黄色い花が入っているように見えるように刺繍がされている。クロッカスという名前の花があった気がするが、この花がクロッカスなのだろうか。[クロッカス]で検索をかけてみると、刺繍で作られた花によく似た花が出てきた。ついでにバンドの方の公式ホームページが出てくる。メンバーは全員同い年で、私より三つ下。全員大学を卒業したばかりのようだ。


「へぇ……凄いな。……お? なんか懐かしい曲入れた人いるな」


 聞こえてきたのは私が中学生の頃——つまり、十年以上前に流行った曲。歌手名が違うが、イントロは聴き馴染みがあった。カバーバージョンだろうか。歌手名にCV表記があるということから、カバーしているのは何かのキャラクターなのだろう。履歴から情報を得て調べてみると、これまた見覚えのあるお嬢様風の女の子のキャラクターが出てきた。確か、秀明が好きなキャラだ。名前までは覚えていないが、ガールズバンドが題材の音ゲーのキャラクターだと言っていた気がする。

 そういえば、葉月ちゃんは昔、アニメが好きだと言っていた。今も好きなのだろうか。


『私達教師は、生徒一人一人、平等に接しなければいけません。誰か一人を特別扱いしてはいけないんです』


 そう言った彼女は、どこか複雑そうだった。教師としては正しいと思う。だけどあれは、本当に本心なのだろうか。彼女の本音が聞きたい。それにはやはり、プライベートで会う必要があるだろう。とはいえ、連絡先は絶対に教えてくれないだろうし、行きつけの店も教えてくれないだろう。さて、どうしたものか。

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