第3話:十歳年下の同級生
入学式当日。弟達は皆、学校が休みだ。しかし、珍しく全員早起きしている。みんな休みの日は早くとも九時過ぎまでは起きてこないというのに。
「入学式、頑張ってねお姉ちゃん」
「何を頑張るんだよ」
「お姉ちゃんならすぐクラス全員と友達になれるよ」
「コミュ力お化けだからなぁ姉さんは」
「ははは。行ってくるよ」
弟達に見送られ、家を出ようとしたところで鞄を忘れたことに気づく。振り返ると千明が持ってきてくれていた。
「おいババア、カバン忘れてんぞ。ボケてんのかババア。ボケババア」
「三回もババアって言うなクソガキ」
冗談に冗談で返してカバンを受け取り、家を出る。家の前にはシルバーの車が止まっていた。叔母の車だ。今日は仕事なのだが、通り道のため、ついでに学校まで送って行ってくれると約束していた。
「本当に高校受験するなんてね」
「大人になってからでも学校に通えるって教えてくれたのは叔母さんだよ」
「そうだね。……兄貴もてるちゃんも、頑張れって応援してくれてるだろうね」
てるちゃんというのは母のことだ。
「あっという間に着いちゃったな。せっかくだし、写真撮るか? 入学式の看板の前で」
「お。良いね。高校生っぽい。和美さんも一緒に写る?」
その辺の高校生の保護者らしき人を捕まえて、叔母と一緒に写真を撮ってもらう。
「ありがとうございます。和美さん、後で送るよ」
「おう。じゃあ頑張れよ」
車に乗って帰って行く叔母を見送り、校門をくぐる。周りは制服がよく似合う若い男女と正装をした保護者ばかり。そんな中を二十五歳の女が一人で歩くのは正直少し恥ずかしかったが、それよりも嬉しかった。今日から私は、この学校の生徒なんだと年甲斐もなくはしゃいでしまう。
「あの子……」
「同級生? 大人っぽいね」
ふと、そんな声が聞こえてきた。視線を感じる。やはり十五には見えないだろうか。しかし、大人っぽいという評価で済むらしい。さっき写真撮ってくれた保護者も何も言わなかったし。ほらみろ千明。私はまだババアじゃねえぞ。と、思っていたら噂をしていた女子高生の一人が近づいてきた。活発そうな短髪の女の子だ。その後を恐る恐るついてきたのはセミロングの女の子。二人とも、かなり背が高い。影が私をすっぽりと包んでしまった。私からしたら大体の子が高いんだけど。二人とも百七十は余裕でありそうだ。大人しそうな子は猫背気味だから背筋を伸ばしたらもっとあるかもしれない。
「ねえ君、どこ中? 何組?」
ナンパかよ。と心の中でツッコミながら、短髪の女子の質問に答える。
「
すると二人は目を丸くして聞き返してきた。
「え? 楠? 楠って……」
「私達も楠なんだけど……同じ名前の学校?」
どうやら彼女達の中学は私の母校と同じ名前らしい。今年で高一ということは、ちょうど千明と明鈴達の間の世代だ。試しに弟の名前を出してみると、知ってると答えた。妹達のことも知っているようだ。
「サッカー部の千明先輩とその妹だよね」
「そう。あの生意気な奴。妹達は可愛いんだけどなぁ」
「生意気って。……もしかして、千明先輩の同級生だったりします?」
大人しそうな子が急に敬語になった。歳上かもしれないと気付いたようだ。
「えっ、もしかして新人生じゃなくて先輩でした?」
「いや、新人生だよ。君たちより歳上ではあるけどね。ちなみに、千明は私の弟」
「弟? 千明先輩に妹が居るのは知ってるけど、双子のお姉さんがいるなんて初めて聞いた」
「えっ。双子に見える? 私そんな若く見える? いや、そこまできたら若いじゃなくて幼いのか。それはちょっと複雑だな……」
「……え? あの……おいくつなんですか?」
「二十五。楠中を卒業したのは十年前だな」
「「じゅ……!? 十年!?」」
驚愕の声が辺りに響き渡り、なんだなんだと私たちに視線が集まる。初日から目立ってしまった。まあ、二十五歳だと知られたらどちらにせよすぐ噂になるだろうし、さっさとバラしとくか。
「ははは。そりゃびっくりするよな。高校受験に年齢制限は無いとはいえ、大人になってから高校に行く人なんてなかなかいないだろうし。通信制の学校ならそこそこいるかもしれんが」
「「……」」
「む。まだ信じられないようだな。まぁ、そうだよな。十歳歳上の同級生なんて現実感ないよな。一つ二つ上ならまだしも。まぁ、すぐに慣れるだろう。これから三年間一緒に授業を受けることになるんだし。あ、そういえばまだ名乗ってなかったな。私は和泉明菜。君達は?」
「か、
おとなしそうな長身の女の子が先に答える。
「さんごちゃん! 今時で可愛い名前だなぁ!」
「ど、どうも……」
「そっちの嬢ちゃんは?」
「じょ、嬢ちゃん……」
「あ、すまんすまん。君の名前は?」
「
短髪の女の子が答える。
「翡翠か。美しい名前だな」
「初めて言われた……」
「え? そうか? 意外だな。ところで二人はもうクラス分け見たか?」
「あ、は、はい。二人とも一組でした」
「和泉さんの名前は「ストップ! ネタバレ禁止! 自分で確かめに行く!」
たむろする学生達をかき分けてクラス分けを確認する。
「うわっ、字ちっちぇー!」
目を凝らしてなんとか見つけ出した自分の名前は右端にあった。一年一組一番。知り合ったばかりの二人と同じクラスだ。それにしても、出席番号が一番になったのは小学校以来だ。『い』から始まる苗字のため、出席番号は前の方になりがちなのだが、中学の時は女子は男子の後だったからずっと二桁だった。
「この学校は男女混合なんだな」
「えっ。楠中もそうでしたけど」
「あ、そうか。今はそうだな。私の時代は違ったんだよ。まず男子が五十音順に並んで、その後ろに女子の五十音が続くって感じで。だから、和泉でも女子は二十番以降にしかならなくて。今は出席番号が男子が先の学校なんてあんまりないのかな」
「うん。無いと思う」
「時代だなぁ」
「……本当に十歳歳上の人なんですね……」
「うむ。ああでも、敬語は無しで頼む。最初は慣れんかもしれんが。人生の先輩ではあるけど、ここでは同級生だからね。対等な立場で居たいんだ」
「……分かりま……分かった」
「先輩のお姉さんにタメ口ってなんか変な感じするけどね……」
「あー。そうか。君たちは千明の後輩なんだったな。千明達、学校ではどんな感じだった?」
「妹ちゃん達とはあんまり関わりないからわからないですけど、千明先輩はみんなの憧れの先輩って感じでした」
「憧れの先輩!? マジで!? あのクソガキが!? うわっ、歳下からモテるって嘘じゃなかったんだ……」
「クソガキって」
「いや、あいつ家だと酷いんだよ。私のことクソババアとか言ってさぁー。あれに憧れるのはやめた方が良いよお嬢ちゃん達」
さんごちゃん達と弟の話で盛り上がりながら教室に入る。教室に居た女子高生達がおはようと挨拶をしてしくれた。二人は既に何人かの生徒と知り合いのようだ。聞くと、SNSで知り合ったらしい。「時代だなぁ」と思わず呟くと「時代って。何? 年寄りキャラなん?」と笑われてしまった。クラスメイトに年齢のことを伝える。さんごちゃん達と同じように一瞬理解が追いつかないというように固まってしまったが、割とすんなり受け入れてくれた。
「明菜ちゃん、十五の時は何してたん?」
「働いてた。つい最近まで社会人だったよ。社会人歴十年」
「やばっ。大先輩じゃん」
「ちょっとお姉さんっぽいなとは思ったけど、まさか二十五とは」
「でも、二十五には見えないよね。可愛い」
「可愛いは複雑だなぁ……お姉さんなのに……」
「身長いくつ?」
「150」
「ちっちゃ!」
「そうなんだよー。中三の妹の方が背高いの。悲しいよねぇ」
「なんかあれだな。エルフみてえ」
「あーね。分かる」
「エルフって。十歳しか離れてないんだけどなぁ」
「つか、十歳上ってことは合法で酒飲めるじゃん」
「飲めるよ。入学祝いはビールで乾杯したよ」
「やば。JKが酒で祝ってんのウケる」
「バーとか行ったことある?」
「あるある。大人になったら連れて行ってやろう」
「タバコは?」
「やってないよ。身体に悪いからな」
「酒もだろ」
「酒は良いんだ。百薬の長だから」
「何それ」
「適度な酒はどんな薬にも勝る効果があるって意味だ」
「そういうこと言う人って適度じゃ済まなさそう」
「恋愛経験は?」
物珍しいのだろう。どんどん質問が飛んでくる。
「まぁ、それなりに」
「じゃあ、えっちも?」
ニヤニヤしながらそんな質問を飛ばしたのは一人の男子だった。一部の男子達は盛り上がっているが、それ以外は引いている。真面目に注意しても聞かなさそうだし、とりあえず茶化しておくか。
「お。なんだ少年。私に興味があるのか? エロガキめ」
セクハラをかましてきた男子生徒をそう揶揄ってやると、何故かお礼を言われてしまった。クラスメイト達の冷ややかな視線が彼に刺さるが、彼は全く堪えていないようだ。全く。困ったエロガキだ。
「まぁでも、大人への憧れには気をつけた方が良いよ。男子も女子もね。そこにつけ込んでくる悪い大人はどこにでもいるから」
「明菜さんは?」
「私は良い大人だから、少年少女には手は出さんよ」
「はっ……二十歳超えてるってことは、合法で教師と付き合えるってことじゃない!?」
「ふっ。羨ましかろう」
「めちゃくちゃ羨ましいっす!」とセクハラ少年。なんかこの子、千明と気が合いそうだな。
「ははは。まぁ、私からしたら君達の方が羨ましいけどね。学生恋愛は十代の特権だぞ少年。今のうちに楽しむと良い」
「俺は明菜さんと一緒に「私以外の若い子と楽しみなさい」くっそー……」
そもそも私は女にしか興味ないのだが。それを正直に打ち明けると、今度は「リアル百合じゃん」と別の生徒が食いついてきた。
「リアル百合とか言うの失礼じゃね?」
「いや、別に私は気にしないよ。まぁでも確かに、よく思わない人も居るだろうね」
それにしても、私が中学生の頃は同性愛者だと打ち明けたり疑われたりすれば偏見の目を向けられたりしたが、彼らにとってはもう当たり前のことなのだろう。誰一人として冷たい視線を向けてこない。分かってはいたことだが、ホッとする。
「……良い時代に生まれたな。君たちは」
「えっ。何急に」
「いや。こっちの話だ」
「あ。そうだ明菜ちゃん、連絡先教えてよ」
「お前、まだ諦めてなかったのかよ」
「ちげえよ! グループ! クラスのグループに招待してやらなきゃだろ」
「おぉ……そうか、今はグループチャットがあるから連絡網とか使わなくて良いんだな」
「えっ。何それ」
「クラスメイトの家の電話番号書いた紙配ってたんだよ。伝言ゲームみたいに、この人がこの人に、この人がこの人に連絡してねって」
「個人情報の管理甘すぎだろ」
「明菜ちゃん、昭和の人?」
「平成だよ! 一桁だけど!」
「平成一桁とかほぼ昭和じゃん」
「ぐ……弟と同じことを言いおってぇ……」
そんな感じで、クラスメイトたちと盛り上がっているとクラスに若い女性が入ってきた。どうやらこのクラスの担任らしい。下手すると私より歳下かもしれない若い女性は私を見ると、固まってしまった。私も思わず言葉を失う。なぜなら彼女は、姿も声も私の中学の後輩によく似ていたから。
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