第4話:森中葉月二十四歳

 森中もりなか葉月はづき二十四歳。教師歴は三年目。今年は一年生の担任を受け持つことになった。もらった名簿には、懐かしい名前があった。中学の先輩であり、私の初恋の人の名前。当時はまだ今よりも同性愛に対する偏見が強く、私は彼女に告白することが出来なかった。彼女は中学を卒業したら家族のために就職すると言って、高校には行かなかった。私が教師を目指している話をしたら『いずれ生徒と教師として再会したりしてね』なんて笑っていた。高校は大人になってからでも通える。彼女は当時からそれを知っていて、幼い弟達が自立し始めたら高校に通うと決めていたらしい。先輩は有言実行する人だから、いずれ高校に通うとは思っていたが、まさか生徒と教師として再会するなんてそんな偶然は流石にないだろうと思っていた。この名前もきっと同姓同名なのだろうと思った。

 が、教室に入ってそこに居たのは、紛れもなく先輩だった。一目でわかるほどに私は、あの人の顔を一日たりとも忘れたことはなかった。彼女はしばらくきょとんとしていたが、やがて「うあー……マジか。マジでそんな偶然あるんだ」と呟いて笑った。何かを感じ取った周りの生徒達が私と先輩を交互に見る。


「え、えー……それでは……体育館に移動するのでみなさん廊下に並んでください。出席番号一番の和泉さんは戸締りをお願いしますね」


「はい」


 生徒達は私と先輩を気にしていたが、先輩に促されると素直に廊下に出ていく。最後の一人が出たのを確認すると、先輩は私に小声で私に問う。「葉月ちゃんだよね?」と。


「は、はい。森中葉月です。お久しぶりです。先輩」


「久しぶり。いやぁ。冗談で言ったのにまさか本当にこんな再会の仕方するなんてね」


「私も驚きました。と、とりあえず話はまた後で。今は廊下に並んでください」


「はーい」


 先輩と一緒に教室を出ると、生徒達から訝しげな視線を向けられる。先輩はそんな視線などものともせず「葉月ちゃん、鍵は私が持ってていいの?」と私に問う。「葉月ちゃん? 誰?」「え? まさか先生のこと?」とざわつく生徒達。先輩はしまったという顔をして「鍵は私が持っていて良いんですか先生」と言い直した。今更言い直されても手遅れだ。


「はい。和泉さんが持っていてください」


「了解でーす」


「……あと、一応先生なので、葉月ちゃんはやめてください」


「あはは……すみません。つい」


「せんせー、和泉さんとはどういう関係なんですかー」


「元カノですかー?」


「ち、違います!」


「はいはい。後で話すから。とりあえず並びなー」


 彼女が生徒達を宥めて二列に並ばせる。どうやら、彼女が二十五歳であることは既にクラスメイト全員が知っているらしい。初日だというのに、完全にクラスの中心に居る。この人は昔からそうだ。年齢性別関係なく、誰とでもすぐに打ち解けてしまう。私は彼女のそんなところを尊敬すると同時に、そんなところが嫌いだった。嫌いというか、妬ましかった。私はあまり、人と関わることが得意ではないから。それともう一つ、先輩には私だけを見てほしかったから。先輩の優しさを独占したかった。十年前に終わったはずの恋にジリジリと火がついてしまう。つかなくて良いのに。


「じゃあ、えっと、体育館に行きますので着いてきてください」


 生徒達を連れて体育館へ。私は生徒達とは少し離れた位置に立つ。近くにいた同僚の林原はやしばら先生が「森中先生のクラスって、二十五歳の生徒がいるんですよね」と話しかけてきた。「歳上の生徒ってちょっと、授業やりづらそうですよね」と、苦笑いしながら続ける。彼は私より一つ下。和泉さんからみたら彼も年下の教師だ。そして彼は一年生の授業を受け持つことになっている。教科は体育。悪い人ではないのだが、少々考えが偏っているところがある。


「……むしろ、十代の子達を相手にするよりやりやすいかもしれないですよ?」


「そうですかねぇ……」


「彼女は中学卒業してから十年間、会社に勤めていた方ですよ。社会人経験は私や林原はやしばら先生より上です。教わる姿勢というものはわきまえているのではないでしょうか」


 何も知らないくせにと、つい熱くなってしまったが、林原先生はきょとんとした顔で「詳しいですね」と言う。自分が失礼なことを言った自覚はないのはムカつくが、揉める方が嫌なので受け流す。

 入学式は淡々と進んでいく。こくりこくりと眠りかける生徒も多い中、先輩は背筋を伸ばして真面目に話を聞いている。姿勢が綺麗だ。思わず見惚れてしまう。

 昔と違って、今は同性同士の恋愛が当たり前になってきている。同性同士で付き合っている生徒も珍しくないし、私がレズビアンであることを知っている生徒や先生も多い。先輩は当時からそういう偏見はなかったと思う。同性愛者をネタにして笑う人たちの中で、先輩だけは笑っていなかったから。それでも言えなかった。私がレズビアンであることを受け入れられたとしても、恋愛感情を向けていることまでは受け入れられるとは限らないだろう。怖かった。彼女に嫌われるのが。正直、こんな形で再会したのは嬉しくもあるが複雑だ。


「新入生、退場」


 入学式が終わり、生徒達と共に教室に戻る。この後はHRがある。明日以降の説明をして、解散となる。のだが、生徒達はHRが終わるや否や先輩を取り囲むようにして質問攻めをする。私も取り囲まれてしまい、教室を出れなくなる。困ってしまうと「こらこら。私は時間があるからいいけど、先生は仕事があるから」と、先輩が私のそばに集まってきた生徒達を引き受けてくれた。


「先輩後輩だった二人が生徒と教師として再会するとか何そのドラマ」


「エモすぎだろ」


「妹達もよく使うけどさぁ、そのエモってなに?」


「なんか良い感じってこと」


「言葉に出来ないくらい素晴らしいみたいな」


「そうそれ」


「ええ? なんだそれ。ふわっとしてんなぁ……」


 生徒達と談笑する先輩を見ていると、胸が痛んだ。誤魔化すように教室を出る。先輩の笑い声が聞こえる。教師と生徒という立場は、ただの先輩後輩だった頃より遥かに遠い。こんなにも、近くに居るのに。せめて別の学校を選んでくれたら良かったのに。ただの後輩だった昔の私の話で盛り上がる先輩の明るい声を聞きながら、私はそんなことを思ってしまった。

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