第36話 暗殺者、弱者に手を差し伸べる。

「あら? 細男くんはどうしましたの?」


「料理をこぼして着替えに行きました」


「うふふ。ドジですわね~」


 シャワーから帰ってきたイヴと聖女。


 普通ならDクラスと蔑まれるのだが、イヴという存在だけはそういう目で見られない。聖女は変装しているが女性ということもあり、あまり冷たい視線を向けられない。


 しばらくして着替えた細男も帰ってきて、いつもと変わらないように昼食を食べ終えた。




 翌日。


「あら? 細男くん? それはどうしましたの?」


 顔にあざができた細男に心配そうに声をかけるイヴ。


「え、えっと……ちょっと転んだんだ。あはは……」


「そうでしたの~気を付けないといけませんわよ?」


「あ、ありがとう……」


 聖女も少し心配そうに見つめる。


 何もないように席に座る細男とイヴ。だが細男の痣が転んだ痣ではない・・・・ことくらい俺もイヴも知っている。


 昨日の一連の出来事のあと、細男に打ち込んでいた補助魔法を解除したが……そのままにしておくべきだったかもしれない。


 午前中の授業が始まる直前に『速度上昇Ⅲ』を打ち込んでやった。


 一度補助魔法を打ち込んでおくと、途中で種類を変えることは離れても簡単にできる。シャワーの前に『頑丈強化Ⅲ』に変更しておく。


 食堂を歩いているとき、わざと・・・細男にぶつかって睨みつける大柄の男子生徒。くだんの件の男子生徒だ。


「おいおい。またてめぇか。どんくせぇな」


「ご、ごめんなさい!」


「ちっ!」


 太い腕を振り下ろして細男を殴り付ける。見た目通りに大きく吹き飛んだ――――が、ダメージは一切ないはずだ。


 ただ、それを止めようと何人かの同級生や先輩たちが席から立つのが見える。


 そのとき、扉が開いてイヴが入ってくる。


「あら~細男くん。また転んでいますの?」


「ああん? これが転んでるように見え――――」


 次の瞬間、目にも止まらぬ速度で大柄男子生徒の足を引っかけて転ばせる。それが見えたのは食堂内には誰一人いないほどの速さだ。


 大きな体が地面に叩き付けられ痛々しい音が響く。


「あら? 貴方も転びましたの? 床が滑りやすくなっておりませんの?」


「痛っ……何が起きた?」


「あら。女性を下から見下ろすのは失礼でしてよ?」


「ちっ!」


 大柄の男子生徒は細男をひと睨みして足早に食堂から出ていった。


「……貴方もよ? 細男さん」


「ふえ!? ご、ごめんなさい!」


 倒れた細男をまるでゴミを見るような目で見下ろしたイヴに驚いた細男が急いで起き上がる。


「まったく……殿方がだらしないですわよ」


「は、はいっ!」


 何もなかったかのように昼食を終えた。


 その日の午後の授業。外を通り掛かるAクラスと思われる生徒たちは、教室内で眠るヘラル先生とひたすら低難易度の教科書を丸暗記しているクラスメイトたちを嘲笑う。


 だがそれを気にする生徒は一人もいない。それこそ姉の力なのだと再度認識させられた。


 みんなが教科書に集中している間、イヴが椅子をすぐ隣にくっ付けてくる。そして、俺にだけ聞こえるほど小さい声で話す。


「ねえ。細男くん。あのままでいいの?」


「ああ。問題ない」


「そっかぁ……でもあのままじゃ――――彼、死んじゃうんじゃない? 弱いし」


「それもまた自然の摂理だ――――が、補助魔法はかけておく」


「う~ん。でもそれで守れたとしても、相手をムキにさせるだけんじゃないの?」


「それはその時だ。俺ではなく学園が何とかするべきことだろう」


「それはそうだけどね。でもまぁ、彼は君に守ってほしいんだと思うけどね~」




 午後の授業が終わり、イヴと聖女は一足先に屋敷に戻った。


「ロスティア」


「うん? 珍しいね? アダムくん」


「ああ。少し気になることがあってな」


「気になる……こと?」


「このあと、向かうところに同席したい」


「!? そ、それは……こ、困るよ! ぼ、僕だって……その……いろいろあるからさ……」


「かまわん」


「い、いや、僕が困るんだけど……」


「かまわん」


「どうしてアダムくんが構わないのさ……はぁ……ずっと付いてくる気なの?」


「ああ」


「……」


 細男は肩を落として何も言わず教室を後にして寮の方に向かう。


 だが、向かう先は寮ではなく、その傍にある公園のような作りになっている庭だ。ここは寮の庭として開放されており、走っている生徒もいれば、男女で仲良くしている生徒たちもいる。


 そんな中、くだんの件の大柄の男子生徒と他にも三人の柄の悪そうな生徒が集まっていた。他の生徒はAクラスではない。BクラスとCクラスの生徒たちだ。


「彼らに用事があるのか?」


「それは……」


 細男と俺を見つけた彼らはニヤケながら近付いてくる。


「おいおい。今日はナイト様連れか~? 細男くんよ~」


「……」


「ちゃんと持ってきたんだろうな?」


「……こ、これ…………」


 そう話しながら細男が取り出したのは――――銀貨が数枚。


 貴族にとってはそう多い額ではない。だが貴族とはいえ、子息である生徒にはお小遣いとして大きな額な生徒もいるはずだ。


 細男もそう裕福な家には見えないところから、安い額ではないと思われる。


 彼に渡そうとする寸前で止めた。


「おいおい。落ちこぼれ分際で、俺に逆らうのか? 逆らったやつはどうなるか……見せてやろ!」


 そう言いながら太い腕を躊躇なく振り回して俺を叩き付ける。


 『頑丈強化Ⅹ』があるのでダメージはないが、敢えて受けた攻撃によって俺の体は大きく吹き飛んだ。


「アダムくん!! や、やめてくれ! お金ならあげるから!」


「おいおい……そんなもんで許されると思うのか? 今日の一件もある」


 そう話しながら右手人差し指で地面を指差す。


「土下座して俺の靴を舐めながら申し訳ございませんでしたと謝れ」


 ビラシオ街が被害に遭ったとき、街を管理していた子爵は管理を放棄した。それからいろいろ調べるうちに王国の貴族の腐敗ぶりはある程度調べがついている。


 中にはそうでない者だっている。我がガブリエンデ家の両親のような善良な貴族だっている。が――――その数は多くない。


 大柄の男子生徒、名をゲインという彼はリルダ男爵家の六男で、王都学園戦士科のAクラスに入れるほどの実力を持ち、将来は騎士にもなれる。そうなると六男という地位から跡継ぎとして選ばれることも可能だ。家族ですらライバル。自分が上に立つために、貴族として人を踏みつけるのは彼らにとっては常識そのものだ。


 だから彼が行うこういった行為は――――彼ら貴族にとってごく当たり前のことだ。


 弱肉強食。強い者は弱者の上に立ち、弱者は強者のために命をと差し出す。それが我が王国の理念でもある。強い者がより強くあろうとする心。そして、その中から生まれる一握りの良心を持つ強者。それが良くも悪くもバランスを保ち、隣国から国を守れているのだ。


 細男は悔しそうに唇をかみしめて、土下座しようとする。


 そこに俺は彼が愛用している長い木剣を足元に投げ込んだ。


「これは!?」


「ロスティア。お前には剣がある。自分の実力で相手を伏せることだって可能なはずだ」


 俺の言葉にゲインの顔が怒りに染まっていく。


「ああん? まさかてめぇらみたいな落ちこぼれが俺様に盾突くのか? がーはははっ! やってみろ! 雑魚どもが!」


「ぼ、僕は……」


「剣を握るのは自分の意志だ。握ったあとの意志が別だとしても握ったのはお前自身の意志のはずだ!」


「僕は……っ!」


 細男は――――
















 木剣を握りしめる。


 跳びかかってきたゲインを一瞬で制圧した。


 いつもなら彼に勝つのは難しいだろう。彼には力と技量があっても体力はない。そこで打ち込んでいた『頑丈強化Ⅹ』を『俊敏上昇Ⅹ』に変更すると、普段の素早さに加えて増えたスタミナによって、ゲインを圧倒した。


「もう二度と僕と彼に近付くな。いひひ……次は……ひひひ。その玉ごと潰してやるからな? いひひひひ」


 不気味に笑う細男に恐れをなした彼らは逃げるように去っていった。


 直後に『俊敏上昇Ⅹ』を解除すると、行き場を失った枯れ葉のように地面に倒れ込んだ。

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