第25話 暗殺者、初めて王都スラム街を歩く。
少し距離は離れてはいるが、姉は見えているかのように迷うことなく人波をかき分けながら道を歩き進める。
何か嬉しいのか、小さく鼻歌を歌いながら小さくスキップまでする姉。子どもの頃から嬉しいことがあると体に出てしまう体質は変わらないな。
「ねえ。君~」
俺の右腕に抱き付いたイヴが俺にしか聞こえないくらい小さな声で声を掛けてくる。
「ん?」
「君のお姉ちゃん。強すぎない?」
「俺も驚いている」
「一年でそれだけ強くなったってこと?」
「ああ。おそらくはあの冒険者と何かあったのではないだろうか」
「そっか~たしかにね。君のお姉ちゃんって――――なんか他人を拒絶しているというか、興味なさげだよね」
イヴが言いたいことはわかる。今の姉はあまり他人を信頼しない。目の前に困っている人がいるなら助けることはするだろうが、自分ができる範囲内でのことだ。
だが……その原因というのは…………今俺の右腕を抱きしめているお前の父のせいでもある。
あの日から姉の目の色が変わった。才能を覚醒させてからも、今まで好きだった冒険なんてしなくなったし、甘い物を自ら取りに行くこともなくなったほどだ。
「ふふっ。それがまた、君に似てる気がするな~さすが姉弟~」
俺と姉が似てるか……いや、そんなことはない。姉と俺は背中合わせで太陽と月のようなものだ。姉も俺も覚醒させた才能では上かもしれない。空に浮かんでいる太陽や月、星のように。だが、姉は誰よりも輝いて多くの人の希望となる存在だ。
王都中層から下層。いわゆるスラム街と呼ばれている王都の壁の外に向かう。
賑やかで小奇麗だった中層から門を潜り外に出る。門といっても正面の門ではなく、下層と中層を繋いでいる門で、非常用出口のような人が三人並んでやっと通れるくらい狭い。
門を潜り下層に入ると一気に空気が変わる。
濁った空気の錆びれた匂いに姉が思わず「むぅ……」と顔をくしゃっと崩した。
「ここはやっぱり苦手だわ――――嫌いではないけれど」
「姉上はよく来られるのですか?」
「ううん。王都に来てからまだ数えるくらいしか来てないわ」
叩けば簡単に崩れそうなボロボロの廃材を繋いで作られた家の間を歩く。姉はまるで慣れた道を歩くように迷うことなくすいすいと歩き、とある家の前に立った。
「たぶんここなんだけど、入っていいのかな?」
足を止めていた姉に代わり誰より先に動いたのはイヴだ。
「ごめんあそばせ~」
遠慮の欠片すらしない緩い声で家の玄関を開けてずかずかと中に入る。
「だ、誰だ! ――――あれ? さっきギルドにいたお姉ちゃん達?」
「うふふ。私はイヴ。よろしくね~」
奥からひょっこりと顔を出したのは、冒険者ギルドで出会ったリゼさん。
姉を見た彼女は大きな溜息を吐いた。
「ソフィア様。どうしてこんなところまで……?」
「気になって付いて来ちゃった! えへへ……」
「そうですか……ただあまりいいものではありませんよ?」
「いいの!」
まだ警戒している少年もリゼさんの知り合いなら仕方ないと言わんばかりに、俺たちを迎え入れてくれた。
奥に入ると衛生管理もなってなさそうなカビが生えてそうな小さな部屋のベッドには、白髪の爺さんが一人横たわっていた。
気になるのは、毛布の外に出ている腕や顔に見えている肌に目立ついくつかの黒い斑点。けっして大きくはないが、元々のホクロや体質ではなさそうだ。
「リゼたん? このお爺ちゃんはどうしたの?」
「……最近王都で流行っている病です。感染病ではないのですが原因もわからず、完治させる方法もわからないんです」
そう話しながらすり鉢にいくつかの草を入れてすりおろす。
「アダムさま」
みんながリゼさんの動きに注目している間、ルナが小さい声で声を掛けてきた。
「あの草。レヴァンテイン草という高級薬草です。非常に高価で万病に効くと言われている薬草です」
なるほど……となると、リゼさんほどの冒険者が高級薬草を購入してでも、この爺さんを助けたいということか。
そういうメリットは感じない。爺さんが知り合いだからなのか、はたまた流行り病の実験台として見ているのか。
しばらく観察すると、混ぜ合わせた粉薬が出来上がった。
それを眠っている爺さんに少年と力を合わせて飲ませる。こういう病気をしている人は咳き込むのが普通だが、爺さんは咳一つせず、ただただ衰弱している様子。
「リゼたん? どう?」
「…………芳しくないですね」
「そうなの……?」
「はい。以前なら斑点が小さくなったり消えたりしますが、どうやら薬草の力を以ってしても効かなくなった。いえ、病気自体が薬に対する免疫を得たように見えます」
「リゼお姉ちゃん! お爺ちゃんを……何とかお爺ちゃんを助けてください! 僕にできることなら何でもします! お願いします!」
大きな涙を流しながらそう嘆願する少年だが、リゼさんは悔しそうに拳を握りしめた。
その様子を見ていたルナも珍しく怒りを露にして拳を握りしめる。ビラシオ街での闇ギルドの強襲。あのときの彼女と孤児院の子ども達は抵抗すらできずに、命を奪われる立場だった。
きっと自分たちを襲った無慈悲と被って見ているんだろう。
ルナが商会『ナンバーズ』を開いた理由もまた――――
「あ~! アダムちゃん!」
「はい。姉上」
「アダムちゃんの力で助けることはできないの?」
「僕の力ですか…………可能だと思います。ただ……」
「ただ?」
リゼさんと少年が驚いて俺を見つめる。
「一度僕が救ってしまえば、これから次々救ってくれと手を差し伸べてくるでしょう。母上からも再三注意されております。見返りなしで救うことは難しいです」
「お兄ちゃん! 僕、何でもするよ! まだできることは少ないけど、大きくなったら冒険者になって強くなってお金たくさん稼いでちゃんとお金払うから!」
涙を浮かべながらもしっかり自分の意志を伝える少年。もしかしたら数年後の少年なら自らの力で金を稼いで爺さんを助けられたかもしれない。だが、時間というのは無情だ。
前世でも俺より暗殺が得意な者もいたはずだ。彼らが生き残れなかったのは……ただ時の運がなかっただけ。あのとき、あの場所にいたから、命を落とす。
少年が今の年齢で、爺さんが今病気にかかった。それが運の尽きというものだ。
俺が少年の言葉に――――応えないと知っているリゼさんが一歩俺の前に出た。
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