第5話 暗殺者、魔法を使う。

「…………」


「むぅ……」


 目を細めて俺を睨む姉。


「あ、あ~ん」


「…………」


「んもぉ! アダムってば! あ~んして!」


 いや、断る。


「姉上。一人で食べられます」


「病人はちゃんと看護されなさい!」


 不器用にカットしたリンゴを可愛らしい兎のフォークで刺して俺の口に押し付ける姉。


 何故ガブリエンデ家の女性はこうも何でも押し付けてくるのか理解できない。


 拒否し続けていたら目元に涙を浮かべ、頬っぺたをぷくっと膨らませる姉。


「…………一つだけです」


「うん!」


 前世では散々ポーカーフェイスの人を見抜いてきた。顔筋の動きや視線、汗の分泌量一つ一つが内心と行動の裏表を見抜く材料になる。


 姉は驚くほどまでに――――自分の気持ちを素直に表情に出す。ある意味……俺には読みにくい・・・・・人種とも言える。


 差し出したリンゴをかじると、ご満悦に「美味しい?」と笑顔になり、当然のように一つ一欠けらだけという約束は守られることなく、リンゴ一個分一つ丸々食べさせられてしまった。


 食べ終わった頃、姉はおもむろに俺の腹部を見つめてくる。


「アダム……? 腹はもう痛くない?」


「はい」


 じっと見つめる姉に上着の上げて腹を見せる。ケガ一つなく、本当に刃が刺さったのか疑うくらい綺麗に治っている。もちろん、痛みも全くない。


「やっぱり傷はないわね。毎日見たけど、本当不思議」


 毎日……?


「あ、アダム……お願いがあるんだけど……」


「お断りします」


 どうせろくでもないお願いな気がする。


「そんなすぐに断らないでよ! 私たちのことでとても重要な事なの!」


「何故要件を先に言わないのです?」


「…………むぅ」


「膨らんでも先に言わないと聞いてあげません」


「わかったわよ……えっと…………」


 少しもじもじしているが、顔が白く変わる。


「あの日から……一人で眠れなくて…………アダムの部屋で一緒に寝てもいいかな?」


 トラウマ……というやつか。人間の記憶というのは厄介なものだからな。


「そういうことですか。構いませんよ。姉上」


「えっ?」


「……?」


 急におどおどする姉は何故か髪型を整える。


「ふ、不束者ですがよろしくお願いいたします……まさかいいって言われると思わなかったよ……」


「? 姉弟が一緒に寝るのはおかしいことではないでしょう?」


「そ、そうなんだけど…………そうだね。ふふっ。これから毎日アダムと一緒に寝る~!」


 どよんとした表情から明るくニパッと笑う姉さん。姉さんにはこの表情が似合うな。


 その日から三日ほどベッド生活を送った。暗殺の件からか暗闇を少し怖がるようになった姉は、夜も少しの明かりを灯して寝るようになった。




 ◆




 無数の木々の葉っぱが赤く染まった頃。


 赤い雨のように葉っぱが落ちていく。


 その下には長い水色の髪を一つにまとめてポニーテールにした姉が静かに目を瞑っている。


 降り注ぐ赤い葉っぱは、姉の頭部の高さに届くと半分に斬られ、姉の胸部に届くとさらに半分に斬られ、姉の腰部に届くとさらに半分に斬られ、最終的に十六等分となって地面に落ちる。


 目にも止まらぬ速さで動かす剣は、鞘に収まったままなのに周囲に斬撃が吹き飛ぶ。否。剣は鞘に収まっているのではない。超高速で葉っぱを斬って鞘に戻ってを繰り返しているのだ。


 最上級才能ともなると一人で大軍を滅ぼせるというのはあながち嘘ではないようだ。今の姉ですらその才を大きく開花し、領地内で彼女の相手ができる剣士などいやしないだろう。


 しばらく離れた場所からその美しい剣裁きを眺めながら、俺は魔力の使い方を練習する。


 魔力のイメージは水。心の奥に泉があり、そこから汲み上げた水を体を通して形にして放つ。蛇口を捻ってホースを通ってシャワーヘッドから出る水のように、シャワーヘッドで形をいろいろ変えることで出る水の形が変わるような感覚だ。


 光の力。癒しの力。回復の力。両手のひらの中に黒い光が現れる。不思議な光だ。光というのは周りのものを照らすものだ。それが黒色というのはあまりにも不思議な感覚だ。といっても異世界暗殺者が使っていた闇や影の力とは全く違う光の気配がする。


 黒い光にはそれぞれ種類があり、それを俺は『モード』と呼ぶことにする。


 『魔法モード』『活性化モード』『固定化モード』。


 最初の魔法モードの回復魔法は黒い光に当たると傷が回復する。さらに毒を解毒もできて、おそらくそう言った類のものを治す力がある。


 活性化モードは身体能力をぐっと上げてくれる。理論などはわからないが、聖職者系統魔法の『補助魔法』だ。異世界の強さはステータスというものが数値化されていて、筋肉の量が力に直結するわけではない。もちろん筋肉の量で力が上がる分もあるので、才能がない人は筋肉を鍛えてるそうだ。補助魔法はそういうステータスを上げてくれる。


 さらに特化することもできて、イメージとしてはどのステータスに上昇量を何割振るかであり、STR筋力に10振るのか、はたまらAGI俊敏に10振るのか、それとも両方に5ずつ振るのか。


 最後の『固定化モード』は黒い光を物体化するものだ。


 異世界暗殺者と対峙したときに作った黒い剣のようなものだ。いや、剣そのものだ。巨匠が研ぎ澄ませたと言われても信じるほどに鋭い刃。近くを落ちる枯れ葉の下に刃を立ててるだけで、通り過ぎる枯れ葉が半分に斬れる。


「アダム~!」


 離れた場所から笑顔で手を振る姉に呼ばれる。


「いつものお願い~!」


 彼女の頼みで使うのは――――活性化モードだ。


 姉さんの頭部に黒いサバイバルナイフが現れ、そのまま彼女の右腕に付着した。


 次の瞬間、彼女の動く速度が一気に上昇する。落ち葉の切れる量が数倍に増える。一気にみじん切りとなった葉っぱは紙吹雪のようになり森に舞っていく。


 真っ赤に染まった森の上空にまで美しい紅色が広がった。




 屋敷には花壇があって、色とりどりの花が咲いている。


 両親が花を好き――――というわけではなく、とあるメイドが個人的に育てている花で、庭にスペースが多いので両親も許可を出している。


 俺が生まれた頃からずっと育てているという花壇は、俺の部屋の窓からちょうど見える位置にあるので、日々その花壇を眺めるのは嫌いではない。


「アダム坊ちゃま!」


 土いじりをしていたメイドが笑顔で俺に頭を下げる。


 メイドたちの多くは俺に笑顔など向けたりしない。唯一、このメイドだけが俺に向かって心から笑顔を向ける。


「ミア。また新しい花なのか?」


「はい! 今年は黒色の花を中心に植えてますから~」


 黒色の花など今まで植えてすらいなかったのに、今年になって少しずつ黒色の花に植え替え、今や花壇の半分に黒色の花がアクセントとなっている。


「ブラックローズか。育てるのが難しいと聞くのに」


「ふふっ。花を育てるのは好きですから、春夏は中々馴染まなくて難しかったんですけど、最近になってこの子たちの性格もわかるようになったんです」


 そう。彼女の不思議は、花の気持ちとやらがわかるらしい。これも異世界ならではの不思議な力だと思う。彼女が花と対話ができなければ、周りの花の栄養を全て飲み尽くし、自分だけ生き残るというブラックローズがここまで共存することはありえないだろう。


「これからもどんどん増える予定ですよ~!」


「…………それでは黒一色になるのでは?」


 ミアは少しポカーンとした表情から、「あはは……」と気が抜けた笑みを浮かべる。彼女はいつも何かに一直線すぎて周りが見えないのが玉のきずだ。


「それではみんなと一緒に並べるようにこのくらいにしますかね~」


「それがいいだろう」


「かしこまりました!」


 それから彼女は再度土いじりに戻り、花を大事そうに世話し続けた。

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