うさぎは黒雨に魘される
里野海様
海君、こんにちは。
今日はね、桜を見に行ったよ。
桜って言っても、蕾ばかりで見頃はまだ先だけどね。
海君は覚えてる?
二人でお花見に行った公園。
桜は満開でふわふわのわたがしみたいに咲いていて、とっても綺麗だったね。
実はね、桜よりも繋いだ手の温もりが嬉しくてあんまり桜に集中できなかったの。
海君にバレてたのかな?
だとしたら、ちょっと恥ずかしいな。
海君。またお花見に行きたいね。
その時が来たら、手を繋いでもいいかな?
また海君の隣を歩けるだけで幸せなのに。
叶わないかもしれないけれど、お願いするぐらいなら神様も許してくれるかな。
蕾の桜も満開の桜も、海くんとの思い出があるから今年も綺麗だって思えるの。
今日もありがとう。大好きだよ。また明日。
明待夜代
今日も手紙を書き終わった。
彼への手紙を書き始めて4年目、手紙を書くことは私の日課になっている。
私はいつもの様に切手を貼ろうとポーチ開いた。
これは彼がくれた宝物。
青いパンジーと私の誕生鳥がデザインされた黒のレザーポーチ。
本来、こういうものは趣味じゃない。
あの時、二人で描くことを決めた現在に、彼がただ一つ残してくれた優しさはこのポーチ一つに詰まっている。
私の好きなものはかわいい。
丁寧に細細と編み込まれたレースのお洋服。
薄いピンク色のインテリア。
季節のお花を詰め込んだハーバリウム。
柔らかなパステルカラーのマカロン。
うさぎ柄のポーチ。
私の大好きなものはいつだってかわいくて綺麗。
ただそれだけなのに。
好きなものを好きと言うことを私はできない。
私の好きは彼以外には許されなかった。
両親でさえ私を腫れ物のように扱い、時に激しい叱責を浴びせた。
だけど、彼は。彼だけは私を認めてくれた。
私を、私の好きなものを大切にしてくれた。
「千代」
目を瞑って彼を想えば、彼の声が聴こえる気がした。
芯が通った落ち着きのある声。
温かくて私を包み込んでくれる心地よいソプラノ。
彼が私の全て。生涯の憧れ、私の希望。
だから分かる。意図してこれを選んでくれたこと。
毎日使っているからか色は薄れ、角が剥げている。
けれど新しいものが欲しいとは思わない。
これが、これだけが、私に残された形ある宝物だから。
彼を肌身で感じられる唯一のそれを胸に当てて呟く。
「今日は届きますように。」
自傷気味に口の端を少し上げた。
"弱虫ね"
穏やかな心に針がぷちりと刺さる。
毎日欠かさず送り続けている手紙。
返事は一度も来ていないことに日々不安が募る。
彼が心変わりをしているのならそれでもいい。
他に好きな人ができたって彼が幸せならいい。
それすら知ることができない現状がただただもどかしく切なかった。
この数年で私の人生は大きく変わった。
いや、変えるしかなかったが正しい。
興味もない大学へ進学した。
初めて同い年の女の子と付き合った。
両親も私がまともになったと喜んだ。
一緒に飲みに行くほど仲の良い男友達に恵まれた。
ぐるぐると目まぐるしい日々。
その日々を、人生を謳歌する普通の" 男性 " でなくてはいけない。
形のない嘘というゲテモノが口内に充満していて息が詰まる。
苦しい、痛い、怖い、助けて。届かない音のない言葉は誰に届くこともない。
みんなは純粋でキラキラとした目で私を見る。
男らしい身体。男らしい言動。男らしい行動。
私では許容しきれない皆の期待や希望。
なにもかもが嫌になって、いっそのこと死んでしまおうと思うときもあるがそんな勇気なんてない、情けないと気が落ち込んでいく。頭が痛くなって呼吸が乱れる。
だめだ。今日はこれから大学の人達と予定があるのに。
切り替えなければと深呼吸するが言うことを聞いてくれない。
私の意思を無視して頭痛はどんどん強くなる。
それに漬け込んで、拭えない後悔が頭の中を駆け始めた。
-四年前 3/21-
土砂降り。冷たい雨の中、互いだけを想い向かい合う私と彼。
正装に身を包んだ私と彼は傘もささず見つめ合う。
堰を切らしたのは私のほうだった。
彼に触れたくて骨ばった指先を伸ばして彼の両頬に触れる。
冷たくなった柔い頬を両の手で少し持ち上げた。
彼はただまっすぐな瞳で私を見る。
自己嫌悪に潰されそうな私を安心させようと私の左手に右手を重ねる。
抑えの利かない感情が溢れた。私は彼の名前を呼ぶ。
「海君、海君…!」
何度も何度も。これから呼ぶはずだった彼の名前を泣きながら呼ぶ。
「千代。大丈夫。大丈夫だ。」
彼はその小さな口角を少しあげて答える。
夢のようなでも確かな日常にあった微笑み。
その微笑みに、その言葉に、私がどれだけ救われたか。
私は彼に感謝の一つも伝えることすらできなくなる、これから来る容赦のない現実を私は受け入れることができそうにない。
「海君…!ごめ…ごめんなさい…わ、私の、せいで。私、私が弱いせいで…!」
彼の細い体にしがみついてぐしゃぐしゃと崩れ泣く醜い私を彼はきゅっと抱きしめた。
私は即座に抱きしめ返す。彼の存在をこの身で感じていたいその一心で抱きしめた。雨で冷たくなった私達の身体はお互いに熱を求め合う。
”このまま彼といられたなら”ちっぽけな願いは叶わない。
「千代のせいじゃない。俺は千代が幸せなら。それだけで幸せだ。」
彼の清らかで切なる愛と願いが込められた言葉。
どうして、彼はこんなにも美しく優しいのだろうか。
今も私の求める最良の言葉をくれる。
「海君…好き。これからもずっと、ずっと好き。」
”離れたくない”自然と抱きしめる力が強くなる。
「俺も。ずっと千代を好きでいるから。」
”離れなければ”私の背中に触れた彼の指先が震えた。
数刻の沈黙、彼が抱きしめていた腕を離す。
共生を望む身体は熱を失い徐々に温もりが薄れ、末端から氷の様に冷たくなる。
再び、彼と目が合った。
涙と雨で濡れた瞳が切なさと決意をみせて揺らいでいる。
だらしなく汚れた私の顔に優しく触れた。
その彼の悲しみに満ちた顔が脳裏に焼き付く。
彼は立ち上がると一歩、一歩離れていく。
もう何も言わずにただその背中が遠ざかる。
とうに消えた彼の温もりを再び得ることはできず、私は動けなかった。
「ううっ…」
あまりに無力な自分をが弱くて守られてばかりの自分が情けない。
彼は私を救ってくれたのに、私は彼になにかできたの?
頭痛は収まることなく痛みは増すばかりで視界も歪みだした。
このまま出かけることはできないと判断した私は友人に断りの連絡を入れてそのまま意識を手放した。
俺達は七色を抱きしめて 舞米 @otenn
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