俺達は七色を抱きしめて

舞米

純白の夢を小箱につめて

千代崎拓久様

 お元気ですか?

 もうすぐ桜の季節ですね。

 今日はあなたとお花見をした公園に散歩へ行きました。

 桜の蕾がほんのり薄紅に膨らんでいて綺麗です。

 桜は去年もその前も同じだけれど、あなたが隣に居ないのが寂しくてすぐに家に帰りました。

 珍しく女々しい私にあなたは"らしくないね"と笑うでしょうか。

 そんなことを想いながら今日も手紙を書いています。

 あなたとの思い出が温かいから、今日も幸せです。

 私を沢山の愛で満たしてくれてありがとう。

 あなたが幸せを願って、いつかまた二人で笑い合える日が来ることを信じています。

                                   里野海


 手紙を書き終わり一息つく。

 花瓶に添えたイベリスの甘い菓子のような香りに彼女との懐かしい思い出が呼び起こされ笑みがこぼれる。


 彼女だけがこんな俺に寄り添ってくれていた。

 まっすぐに整えられた伸ばしかけの金髪。

 光を透き通して輝く澄んだ瞳。

 抱きしめ合えば金木犀の穏やかな香りが俺の全てを許してくれた。

 彼女の全てが今でも愛おしいのに、彼女は隣に居ない。

 そんなどうしようもない現実が胸の奥を寂しくなる。


 コンコンコン、コンコンコン。

 

 柔い感傷に浸っていて、母さんがドアを叩いていることに気が付かなかった。


 「海ちゃん!準備はできたの?」


 女性的で甘々とした声に耳の奥をキンとなる。


 俺は無断でドアを開けようと取っ手を捻る母さんに慌てて返事した。


 「ごめんなさい!もう少しだから、玄関で待ってて!」


 ドアが開けられる前に侵入を制止し、咄嗟に彼女がくれた桃色の小箱に手紙を隠す。


 「そう、分かったわ。海ちゃん?今日のお出かけね、ママとても楽しみにしていたのよ?だから早くしてね。」


 少し不機嫌になったのがドア越しにも伝わる。

 ドクドクと唸る心臓の音を抑え込みながら、今度はすぐに返事をする。


 「うん!ごめんなさい、すぐに行くから!」


 母さんの機嫌を取り戻そうと明るさを纏わせた声で様子を伺った。

 母さんは数秒ドアの前に立っていたが、しばらくして無言の了承を残して去った。

 階段を降りる足音が安堵を連れてくる。

 強張った肩を撫で下ろし、ふっーと大きな息を吐いた。

 しかし、安心も束の間。

 俺の脳はぐらりと揺れてフラッシュバックを起こす。


 "かわいい海ちゃん、ママを許して"

 "だめ、ママはどうしても受け入れられない"

 "ママは悪くない、海ちゃんのせいよ。海ちゃん、ママを助けてよ”

 ”貴方のせいで、ママは苦しいよ"

 "いい子、いい子。海ちゃんはとっても素敵な "女の子" "


 ジャミングを起こした脳の回路がビリビリと音を立てる。

 母さんの虚像に全身を愛撫されているようで吐き気を催した。

 だめだ。今日は母さんとのお出かけの日なのに。

 今日は一日、母さんのために理想の "女の子" にならなくてはいけない。

 いつもの数倍気を張れと自分に言い聞かせる。

 もし、母さんに彼女への手紙を書いていたことを知られたら今度は俺を軟禁するだけでは済まない。

 歯止めが効かなくなった母さんがまた彼女に危害を加えかねない。

 彼女と二人で描いた皆にとって最良の未来が意味を無くすことを意味する。

 それはあってはならない、彼女の勇気を無駄になってしまう。

 これ以上、彼女が傷つくことは許されない。

 溢れ出る不安が心を煽る。俺は震え始めた身体を落ち着かせるように彼女を想った。

 俺はなんて弱いんだろう。今だって彼女との夢のような思い出に縋っている。

 今日も自分で自分を鼓舞しきれない、今日も彼女に救われているのだ。

 柔らかで温かい思い出が次々に流れて出る。それらは心身の不安を払拭していき震えは少しずつ収まりを見せる。

 震えの落ち着いた体で深呼吸をし、両手で頬を叩き自分に喝を入れた。


 「大丈夫、大丈夫だ。怖くない。」

 

 呪いのように自分に言い聞かせる。

 咄嗟に手紙を隠した桃色の小箱を胸元に抱き、ひりりと熱を帯びた頬の痛みを噛みしめると彼女が側にいてくれるような気がした。

 彼女との思い出だけが微かな灯火で俺を支える全てだ。

 淡々と流れる月日の中で、彼女の温もりを失いたくない気持ちが、俺は命に再び明かりを灯らせた。


 「よし!!」

 

 用意を済ませ、急いでいますと言わんばかりに音を立てて階段を降り、勢いよく玄関へ向かう。


 「ママ、ごめんね!お待たせ!」


 わざとらしく、愛らしく、母さんのための言葉を放つ。


 「もう!女の子なんだから、ドタドタ降りないの!」


 そう言う母さんは何処か嬉しそうで。

 俺は、この人は一生変わらないのだろうなと思いながら、にっこりと笑った。


 彼女は大丈夫だろうか。

 泣いていないだろうか。

 好きなことを捨ててはいないだろうか。

 あの綺麗な金髪は伸びただろうか。


 母さんのことを考えているフリをして、心の中では彼女のことを考える。

 そうすれば正気を保つことができる。

 全てを捨てて彼女に会いに行きたい気持ちを必死に閉じ込めて、悟られぬように陽々と話す。


 「はーい!ごめんね、ママ!行こー!」


 ぎゅっと母さんの手を握れば、生暖かい体温が混ざる。

 この手が彼女なら良かったのに。


 「会いたいな」


 彼女を想う言葉をごく自然に母さん向ける。これはわざとだ。


 「海ちゃん、どうしたの?」


 母さんが不思議そうにこちらを見つめる。


 「んー?ママに会いたいなー!って」


 脆くて薄い保身のため嘘。


 「あら、会ってるじゃない?」


 拍子抜けしたような顔で再び疑問符を投げかけられても本当のことは言わない。

 そうしないと俺達は生きていけないから。


 「だって、次に会えるの来週でしょ?すぐに会いたくなっちゃうから、待てないの!」


 俺とっては本音を隠した薄汚い嘘でも、母さんにとっての理想的で綺麗な本音に見えているのだろう。


 「もー!海ちゃんたら!」


 何にも知らない母さんは嬉々とした表情を咲かせて俺を抱きしめる。

 心地の悪いぬくもりと秘密を抱いた香りに咽せ返りそうになる。

 ああ、昨日も"内緒の友達"に会っていたんだな。

 母さんの匂い。その奥で密やかに香る男物の香水にぎりりと歯を鳴る。

 満足した母さんは抱きしめる腕を解き、再び俺の手を取った。

 その手を握り返し、俺は先週と同じように街へ歩き出した。

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