情動

「皆んな、これでやるのよ」


 数えきれないほどの切断を手伝った刃物を鞄の奥底から取り出す彼女の冷笑まがいの笑みが、キラリと怪光を放つ刃物の照り返しによって照らされた。


「わたしは、貴方のソレも欲しい」


 それは、凡そ予期しない言葉だった。私は自分で自分を落第点に与え、箸にも棒にも引っ掛からない存在だと自負していた。ひとえに彼女の口から出てきた言葉には、目を白黒させて驚く他なかった。腹の底で抱えていた倦怠感が吹き飛び、ベッドの上で怠惰を食むつもりたった身体に活力を与えた。


「いいんですか?」


 私はおずおずと彼女に尋ねれば、一言も発さずに黙々と首を縦に振った。


 多量の出血は免れられない。床に敷かれたカーペットの上でやることではないだろう。私は彼女から刃物を受け取ると、一目散に浴室に向かった。鼻から大きく空気を吸い込み、途切れるまで口から吐く。それを数回繰り返した。痛みは当然、伴うだろうし、身体の一部が切り離れる瞬間を目の前にすれば、誰だって立ち眩むはずだ。


「はぁ」


 私は繰り返し息を吸って吐いた後、蓑虫のように縮まり込んだ我がイチモツの先っちょを摘んだ。刃を通しやすいように伸ばす。今から刃が往復すると思うと、なかなかおぞましい。手が蜃気楼のように揺れて、狙いがなかなか定められない。


「落ち着け、落ち着け」


 刃物をゆっくりと下ろしていく。皮膚に鋭い角が触れれば、チクリと小さな痛みを感じた。少し押し込んでやると、刃物は半月に欠け、イチモツは血の輪っかをはめる。歯を食いしばっていたはずだが、吹雪の中に放り出されたかのように、カタカタと上下の歯が踊り出し、息が次々と細切れにされた。


「ハハハッ」


 しまいには笑みが溢れ、道化さながらに戯けた。私は弦を弾くかの如く、刃物を何度も往来させる。次の瞬間、手応えがなくなり、自立した陰茎と目があった。目眩を催し、思わず倒れそうになったものの、既の所で堪えた。素っ頓狂な光景にしか見えない切り離された陰茎を握り込み、先刻に使ったタオルで滴る血を受け止めた。なかなか覚束ない足取りで部屋に戻れば、


「おめでとう」


 一仕事を終えた心労を慮る彼女が、拍手をしながら私を迎え入れた。今、どんな表情をしているのだろうか。丸テーブルの上に並んだソレを見て、きっと満面の笑みを浮かべているに違いないと納得した。そして、痛みで意識が朦朧とする中、私はどうにか彼女の前まで行き、左手に持った陰茎を差し出す。


 彼女はニッコリと口角を上げ、私の陰茎を受け取った。その直後、颯爽と風を切る彼女の歩行に首が回る。惨状と言って差し支えない浴室の方に姿を消せば、およそ数秒後にトイレの水が流れる音を聞く。そうだ。隣にもう一つ扉があった。そこはトイレだったのだ。


 何食わぬ顔で私の前に戻ってくる彼女は手ぶらであった。


「あんな制御の効かない猿は、社会にいつか悪影響を与える。良かった。わたしが初めてで」


 情事の身の振り方から貞操を指摘された上、私は切羅のまにまに居たようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

情動 駄犬 @karuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ