グッドラック

「よし」


 落とし物を探し終えたかのような一息のつき方をすると、メッセージを送り返す為の誘導に従って、私が逢引きに用意した拙い恋文めいた文言を発艦さながらの気分で送り出す。彼女の目前に晒されることを考えると、居ても立っても居られない気持ちにさせられるが、今はこのむず痒い感覚を楽しもう。


 日がな一日、仕事に対して身が入らず、携帯電話の通知にばかり気が散った。就労時間を終えると直ぐに携帯電話の具合を確かめ、変化がない液晶画面と何度も睨み合う。嘆息を吐くこともなくなりつつあった、とある日の仕事の帰り道、ポケットの中に仕舞っている携帯電話が一人で震えた。等間隔に並んだ街灯の一つを選んで立ち寄り、手元を狂わす闇夜に退場してもらう。待ち焦がれた彼女の返答を期待して携帯電話の注意喚起に応えれば、「吾妻美玲」という名前が目に飛び込み、人知れず脈打った。鋭敏に反応する身体を落ち着けようと、夜空を一度仰ぐ。今にも祭囃子が聞こえて来そうな鼓動の高鳴りから距離を取り、彼女に対する心持ちを整えた。そうしてようやく、私は手元の携帯画面に目を落とす。


「それでは、〇〇駅近くにある、ホテルアイランドは如何でしょうか?」


 日付に時刻、場所の示しを合わせていく過程は、遠足に出掛ける前の駄菓子選びに気炎を吐いているようだった。私は直ぐにホテルの場所の特定にインターネットを使った。〇〇駅はそれほど親しみがなく、利用する機会も滅多にない。本を開いて指で道を辿るような前時代的な所作はなくなり、その代わりに二本の指で携帯電話の画面を操作し、縮尺も自由自在に捉えた。駅から徒歩数分の位置に、彼女が指定したホテルを発見する。


「なるほど」


 九階建てのホテルは、周囲の建物と比べても出色の大きさとなっており、階数に応じて値段も如実に違う。私の懐の事情を鑑みると、なかなかに無理がある値段の部屋も散見され、少しだけ肝を冷やしたが、人生一度きりの体験と銘打てば目を白黒させるほどのことでもない。


 煌々と夜空を照らす満月の下で身軽さを獲得し、自宅までに残された帰路が一段と華やいで見えた。リズムを刻むように足を繰り返し踏み出せば、向上する気分の物差しに役立ち、傍目に見れば明らかにご機嫌な様相となるだろう。私はそんな外聞を恥じたりしない。今はそれだけ幸せな気分なのだ。閑静な住宅街で跳ねるように歩けば、足音はとりわけ跳梁し、舞台の上で独り、スポットライトを浴びているような胸の高鳴りがそこにはあった。


「おっ」


 目の前を横切ろうとする野良猫も、私を見るや否や、あたかも自動車と鉢合わせたかのように飛び退く。肩で風を切って歩く私の足取りは、彼女との約束を果たす為なら如何なる万難も乗り越えるだけの軽々しさがあった。颯爽と帰路を歩き終えると、見慣れたアパートの一室にて、彼女と取り付けた約束の日に恋焦がれてベッドの上で身悶えした。

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