第4話 幸福のにおい


 串屋の店主はトクというのでした。


 トクの自宅は店の裏手の道を少し行った先にあり、宿を兼ねているのだそうです。先の大戦のおりはこの集落の近くが戦場となったこともあり、人間の側の宿舎として利用され、ずいぶん賑わったようです。

 いまはもう、十日にひとり客がつけば良い方だ、とトクは笑いました。

 あと一刻もすれば店を仕舞うから、そうしたら案内すると言います。


 ゼノには宿の当てがありません。野宿をする腹だったためです。リィが居るためそうするわけではありません。不断から、ゼノはそうなのです。宿を使わないのです。

 ひとつには銭を経済せつやくしたいがためで、もうひとつは、要心ようじんのため。

 眠る姿を見られたくないのです。あるいは、顔を、じっと確認されたくない。

 が、串屋の主人あるじは臓物になにか抱えているような人物とも思えませんでしたし、リィを供にしたはじめての夜です。たまに屋根の下も良いだろうと、そういう気になったのでした。


 リィはさらに串をいっぽん追加することを無心して、それを叶え、ようよう満足したふうに見えます。欠伸をし、長床几ながしょうぎのうえで横になって、膝を丸めました。眠る気なのでしょうか。


 「リィ。集落を廻ろう」

 「あふぁ」


 ゼノがその肩を揺らして、起こします。こんなところで寝ていては店の商売の邪魔にもなりましょう。通りをゆく何人かは、リィの紅い髪と頬の紋章をちらっと見て、連れにひそりと話をしているのです。鬼の子が店番では売れ行きも捗りません。

 それでも、重そうな瞼が黄金の瞳をはんぶん、隠してしまっています。ゼノは笑って、その紅い頭をくしゃりとかき混ぜました。


 「疲れたろうが、今宵は布団で手足を伸ばして眠れる。いま少し、歩こう」

 「あ」


 先ほどからのリィの返答ぜんぶが、欠伸とひとつになっています。

 ゼノは、よしと言い、細い二本の腕をとり、自分のくびに回させました。腰を入れ、ぽんと持ち上げます。

 おぶわれた鬼の子は、もう眠っているのです。


 ゼノはトクに軽く手を上げて見せ、歩き出しました。笠を外し、後ろのちいさな頭に差し掛けてやります。髪と顔を隠してやったのでしょう。

 そのまま集落を回って、いくつかの店に寄りました。旅道具の補充です。糧食は翌朝にトクに頼むとして、擦り切れた板草履いたぞうりやら、ちびた火打石やら、替えたいものがいくつかあったのです。

 

 回っているうちに気がついて、リィの分も仕入れなければと思い至りました。が、なにを贖えば良いのかわかりません。国を出る前の暮らしのことを思い返し、小さな子の使うものを想像しました。

 国を出る前の、暮らし。

 小さな子。

 ゼノの脚が、往来のなかで止まりました。

 止まって、雑踏の音をしばらく聞いています。

 俯き、息を長く吐いて、また歩き出します。


 と、その背でリィが、ぐぉと声を出しました。いびきと思われました。

 ゼノの表情が緩みます。

 身体をぽんと揺すり上げ、背負い直します。それでもリィは目を覚ましません。

 酔狂、と串屋のトクは言ったのでしたし、ゼノも頷きました。ですが、なにやらいま、こうしているのが至極あたりまえのように、その大柄な武人は感じているのです。


 しばらく店を覗き、迷いながらも子供向けの火縄やら水筒やらを求めました。歩くうち、背から声をかけられます。


 「待たせたな」

 「もう一刻、経ったか」


 トクが商売道具を詰めた袋を肩にかけ、歩いてきたのです。

 ゼノは一度振り返り、肩を並べて歩き出します。


 「いや、売れねえから早めに閉めた。最近どうも良くない」

 「そうか」

 「宿のほうが左前だから、串で稼げって、かかあにけつを叩かれてるんだがな。こうでも狭い集落だから、味付けも飽きられてきたかもしれん。あんたたちがってくれて助かったよ」

 「女房があるのか」

 「後でうよ。化粧、褒めておけよ。飯の盛りが違う」

 「褒めよう」

 「よく寝てるな、背中の」

 「晩は喰わんかもしれん」


 しばらくは大路を歩きましたが、中途から小道に入り、裏手の寂しい通りを進みます。日はほとんど落ちてしまいました。山の際だけが薄く赤く染められています。見上げれば、いつか星も数えられるようになっていました。

 通りの左右の家々は、そのほとんどの抜き窓にともしています。夕餉の支度でしょう、とんとんという音も聞こえます。ひとの姿は見えませんが、ひとの形をした幸福の匂いが、ゼノには感ぜられました。


 やがて、ここだ、とトクが示した家の軒先には、ひいらぎが植えられていました。柊には、鬼除おによけのまじないの意味があります。ゼノはなにも言いませんでしたが、トクの方が気にしたようです。


 「鬼除けじゃねえ。ここらはもともと、多いんだ」

 「そうか」


 入ってくれ、とトクは戸口の板戸を引きました。味噌かなにかの香りが漂います。おかえり、と奥から声が聞こえました。


 「客だ」


 トクが呼ばわると、女が走りでてきました。女房でしょう。前掛けで手をはたきながら、丸い顔に驚きと喜びを浮かべています。

 ゼノの前でぴょんと頭を下げて、背中の方を覗き込みました。


 「まあ。まあ。珍しい。親子連れなんていつぶりだろうね。いらっしゃい」

 「世話になる」

 「はいはい。いまご案内しますからねえ。お食事は」

 「さっき軽く喰ったが、欲しい」

 「あいよ。お部屋に運びますからね」

 「助かる」


 ゼノはゆっくり上がりかまちに腰掛けます。リィを転がさぬように気を遣ったのです。それでもリィはようやく、ううんと声を上げました。頭にはまだ笠を被っています。トクが先に上がってその背を受け止めます。と、顔を顰めました。


 「お。匂うな」

 「だろうな」

 「これ、あんた。すいませんねお客さん、お風呂はもう出来てますから、よかったらお食事の前に入ってくださいな。あんた、粗香油出しておいて。擦り布も」

 「おう」


 女房は頭を下げ、奥に戻っていきました。ゼノはリィの頭の笠をとり、寝ぼけ眼でふらふらしている鬼の子の背を支えながら客室に向かいます。

 小さな家と思えましたが、あんがい奥行きがあり、別棟のような形で平屋が続いていました。

 客室は三つあるようです。そのうち、最も大きな部屋に通されました。十人はまとめて眠れそうな部屋です。どうせ空いているのだから、ということでしょう。質素ではありますが、よく手入れのされた清潔な部屋でした。


 トクはまたあとでと頭を下げ、出てゆきました。

 ゼノはひとわたり部屋を見回し、真ん中にぽんと胡座をかきました。

 が、リィは立ったままです。


 「座らんのか」

 「……あ」


 リィはなにやらもじもじとしていましたが、部屋の隅に歩いて、膝を抱えました。不安げに見回しています。


 「もそっと、大きく座ればよかろう。空いている」

 「……」

 「こちらへ」

 「……」

 「こちら、へ」


 二度言うと、鬼の子は、座ったままの姿勢で、尻でにじりながら、ゆっくりゼノのほうへ移動してきます。


 「なにをしてる」


 ゼノが声をかけると、そこで停止し、膝の間に顎を埋めました。


 「ここ、どこだ」

 「なんだ。ようよう目が覚めたのか。宿だ。宿をとった」

 「やど」

 「眠る場所だ。布団もある。飯も。風呂も」

 「……木、ない。葉も」

 「木?」

 「木がないと、濡れる。朝、寒い。葉、もぐる」

 

 ゼノは、リィが森では木のそばで眠っていたことを知りました。それは上等の判断でした。夜露も雨も凌ぎやすいのです。獣から逃げるにも、やりやすい。夜具の代わりの落ち葉も豊富でしょう。

 が、ゼノは褒める気にならないのです。

 自分から近寄り、抱えている膝ごと、ぐいと抱き寄せました。


 「木は、要らんのだ。布団で眠る」

 「……ふとん」

 「ああ。露も凌がなくて良い。屋根があるゆえな」

 「……寒くない、か」

 「寒くない。寒ければ」


 鬼の子の、紅い頭に顔を押し付けます。

 

 「俺の懐で眠れ。温いぞ」

 

 リィは、ふわんとした表情をしています。

 と、ゼノは笑いながら声を出しました。


 「たしかに、匂うな」

 

 


 



 


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