三、恩義と因縁
品川の表通りで呉服を商う『
依頼主は為屋の店主を表稼業としており、店にふさわしく為吉と名のっていた。
店にはいるとすぐ、顔見知りの若い手代から穏やかな笑顔で挨拶と
上機嫌な体を装って手代に礼を述べたものの、左膳の危機意識は火事さながらに鐘を鳴らした。『いつもの二階』とは為屋からもさんぜんやからも九町(約一キロ)はなれた茶店……りょくこうの二階である。一階は茶だの団子だのを口にするふつうの店だが、二階にある特別な一室は怪しげな連中が出入りする。むろん、一階しか使わない客にはわからない。
左膳は為屋をでて、りょくこうに進んだ。裏稼業のつてでりょくこうの店主ともまたつながりがあり、簡単な
「やあ左膳さん。お待ちしていましたよ」
四畳半の、飾り気といえば高くもない掛軸があるくらいな室内で為吉が挨拶した。白昼だが、窓のない部屋なので行灯がつけられている。
紙ごしに寄せられたろうそくの灯りで、為吉の白髪と顔のしわにはゆらゆらと影がまとわりついていた。還暦は回っていそうな顔形ながら、背筋はまだぴんとしている。
「失礼します」
手招きされるまま、左膳は敷居をまたいだ。
為吉は当然に上座を占めており、左膳は下座についた。二人を隔てる品はなにもない。
「この度の仕事、いいたいことがおありでしょう」
為屋の手代と同様の柔らかな物腰ながら、左膳はいよいよ肩肘張らねばならなかった。
「なぜ嘘をついたのです」
どうせ用件はそれしかない。
「私としても、ぎりぎりの判断でした。理由をお伝えするのにやぶさかではありませんが、あなたは三つの選択肢から一つをとることになります」
「三つとは」
「私を殺すか、みみずを殺すか、あなたが殺されるかです」
依頼主の嘘をとがめるつもりが、いきなり深刻極まりない話になった。
「なにもしらないことにしてここをでるという方向もあります。でもお勧めしません」
為吉はにこにこしながらつけ加えた。
左膳は、黙りこむほかない。そもそも非は為吉にあるはずだ。なのに、自分が追い詰められている。
「承知しました。伺いましょう」
どうにかそれだけ口にした。
「お話が早くて助かります。私は抜け忍です。これまであなたが私の依頼で殺してきたのは、すべて私への追い忍です」
忍者は厳しい掟と冷酷な階級社会に縛りつけられている。それに耐えられなくなって抜けた者は、たいていが報復としての死を迎える。
「みみずは、かつて私の部下でした。二人とも伯耆藩の江戸藩邸に雇われていたのですよ。我らの出身は伊賀者ですが、伊賀者は幕府にだけ雇われているのではありません」
「それが、どうして……」
「
「……」
江戸留守居役。諸藩の江戸藩邸で、幕府に対する外交使節めいた役割を果たす。幕府の意向はどの藩にとっても死活問題であり、留守居役は予算に糸目をつけず行動した。つまり、接待と称して大いに役得を楽しむ地位にあった。添役はその副官である。
「あなたの父は、道舟の命令で贋金を造っていました。その金は、道舟のぜいたくに使われました。我らはあなたの父を監視し、作った贋金を道舟の隠し蔵まで運ぶのが役目でした」
そこまで細かいことは知らなかった。父など遠い昔の存在くらいにしか思っていなかったのに。
「あなたの父が打首となり、嫌気のさした私はみみずと図って忍者を抜けました。しかし、みみずは私をだましていました。抜けたふりをして、私を狙っていたのです」
「わかりません。やることが遠回りすぎるでしょう」
「そこであなたがかかわるのです。あなたの父は、ただ贋金造りをしていたのではありません。鉛や鉄から金や銀を造ることができたのです」
「ええっ」
そんな馬鹿なことができたら世話はない。幕府の改革などまったく無意味であろう。
「はるかオランダよりもたらされた秘術、すなわち錬金術とやら申しますそうで……私もこの目でたしかめるまで信じられませんでした」
いまや、左膳は為吉の話に全身を引きこまれていた。
「かつては、本人を除いて私とみみずだけが知っていました。おそらく、すでにみみずは道舟にも委細を報告しているでしょう。みみずは、あなたを私に預けることで錬金術の要領がはっきりすると考えているようです。そして、私の一挙手一投足を追い忍に見張らせていました」
「だが、俺は誰からもなにも聞かされていません」
「私もみみずも承知のうえです。村正や狐面も隅々まで調べましたが空振りでした」
なるほど。かくなるうえは、為吉を殺して江戸から逃げるか。みみずを殺してどこまでも為吉と運命をともにするか。どちらにしろ口封じに殺されるのを待つか。
「俺が父の錬金術を解き明かしたらどうなります」
「仮にそうだとして、誰に渡しますか。あるいはあなたが独占しますか」
「俺が独占するのは無理にきまっています。ただ、少なくともあなたに渡すつもりもありません」
「ならば、この場かぎりで我らは敵ですな」
風もないまま、行灯の光が大きくゆらめいた。
「致し方なしです。話はそれで終わりですか」
「一つだけ。私になにかあれば、幸助をお頼みしたいです」
たったいま敵同士と宣言したくせに、身勝手な言い種だ。にもかかわらず、左膳は肌で理解した。この場だけはお互いに中立を保つことも。
「俺が無事な限りはどうにかしましょう」
みみずも為吉も自分を利用していただけかと思うと、腹がたってしかたない。同時に、なにもしらない身内を大事にする気持ちも察しえた。
「ありがたし」
「では」
この場で為吉を殺すのは愚の骨頂だ。それより、錬金術なるものをどうにかしないといけない。
なんにせよ、長居は無用だった。
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