第31話 幸福の在り処(最終話)



「今日はお兄ちゃん、何を作るつもりかな? 食べられるものだったらいいけど……カップ麺買っておいたほうがいいかな?」 


 陽が落ちきっていない夕方の住宅街。


 下校中、いつものように公園の脇を通っていた私、明生あいだけど──向かいからやってきたその人を見た瞬間、大きく見開いた。


「……あれって」


 目の前にいたのは、数日前に公園のベンチで見かけた女の子だった。


 白拍子の格好をしたその女の子は、私の横を無表情で通りすぎていった。


「あの!」


 無意識に呼び止めた私の声に反応して、女の子は振り返るけど──またすぐに前を見て歩き始める。


 その歩き方はまるで水上を進むボートのように滑らかで、女の子は地面を滑るようにして遠ざかっていった。


「ねぇ! ちょっと待って!」


 私はなんとなく気になって、その女の子を追いかける。


 女の子は私が声をかけても今度は無視して、住宅街から離れていった。


 そして歩道橋を渡り、繁華街を縫って歩くと、ギリギリ追いつけないスピードで大きな道路の路側帯を進んだ。


「ねぇ! 待ってってば!」


 それから女の子は、遊園地の中に入って──私もそれを追いかけて入園する。


 人気ひとけの少ない遊園地では、スタッフも少なくて。


 制服で入園しているにもかかわらず、誰かに咎められることもなかった。


「あの子、どこ行ったんだろう? ……って、あれ……なに?」


 女の子を追いかけるうち、辿り着いたメリーゴーランド。


 その外柵の上で、私はふと小さな何かを発見する。


「平安装束の……人形?」


 メリーゴーランドの外柵の上で懸命に踊っていたは、私と目が合うなり踊るのをやめた。


「おお、明生あいじゃないか」


「え? 喋った!?」


 当然のように喋りかけてきた人形にびっくりして思わず後ずさる私だけど、人形は嬉しそうな顔でうんうんと頷いていた。

「元気そうで良かった。明生は今も明生なんだな」


「あなた……私のことを知ってるの?」


「ああ、知ってるとも」


「それってどういう────あっ!」


 人形と話す中、追いかけていた女の子の背中を再び見つけて、私は顔を輝かせる。


「ちょっと! 待って!」


「明生?」


 せっかく珍しい人形に出会えたのだけど──それよりも古風な女の子が気になって仕方がない私は、人形を置いて女の子を真っ直ぐ追いかけた。



「待って! あなたは誰なの──」



 ──どうしてこんなに胸がザワザワするの? あなたは一体誰?



 それからどれくらい走ったのだろう。

 

 気づけば、もう夜になっていた。


 女の子を追いかけるうち、海まで来た私は、砂浜を踏みしめながら周囲を見回す。


 もうそこに女の子の姿はなかった。


 それに辺りはすっかり暗くなっていて、明るい月の光が、海面を照らしていた。


「遠くまで来ちゃったな……お兄ちゃんに電話しなきゃ……って、ここどこだろう?」


 私は慌てて持っていた四角いカバンの中を手で探るけど、スマホがないことに気づく。


「どうしよう。スマホ、教室に忘れちゃった」


 その事実に気づいた時、私は青ざめる。


 ……お兄ちゃんって、怒ると怖いんだよね。


 私は仕方なく公衆電話を探すけど、そんなものが海にあるはずもなくて。


 とりあえず誰かにスマホを借りようと思って人を探した。


 すると、緑色の平安装束を着た人を見つける。


 金髪でちょっと近寄りがたい雰囲気だったけど、私は思い切ってその背中に声をかけてみることにした。

 

「あの! すみません!」


 私が声をかけると、その古風な緑の衣装をまとった男の人はゆっくりと振り返る。


 そして私と目が合うなり、驚いた様子で固まった。


 その綺麗な顔に、気後れしそうになったけど、私は構わずその人に近づいてゆく。


「あの、ここに古風な服を着た女の子が──じゃなくて、スマホ貸してもらえませんか?」


「……明生?」


「え? 私の名前を知って──」


 そう、言いかけた時。


 突然、頭痛に襲われて──まるで嵐のように色んな記憶が舞い降りてきて、私は頭を押さえる。


「……なに、この記憶……頭が痛いっ」


「明生!」


 決壊した川のように、頭の中で溢れた記憶。


 その追憶の痛みで、私は胸がいっぱいになる。


 ──知らない顔がたくさん。


 でも、大切な大切な思い出もたくさんあって。



 ……どうして忘れていたんだろう。



「……かざ……り?」


 私がその名前を口にした時、金了こんりょうさんは驚いた顔のまま私に歩み寄った。


「思い……出したのか?」


「金了……さん……」


「大丈夫か?」


彩楽さらが、彩楽が……」


「彩楽?」


「彩楽がここに導いてくれたんだよ」


 私がポロポロと涙を落とすと、金了さんは困った顔をする。


 ──そうだ。


 私には、大切な人たちがいたんだ。


 思い出すことができて良かった。

 

 彩楽が導いてくれなかったら、きっと忘れたままだった。


「明生、全部思い出したんだな?」


「うん……お兄ちゃんも、甚人じんとも、彩楽も……金了さんのことも」


「明生」


「ずっと、ずっと寂しかった理由がわかったよ。だって、皆いなくなるんだもん」


「俺も……俺もずっと会いたかった」


「うん」


 私が泣きながら頷くと、金了さんがそんな私をぎゅっと抱きしめる。


「この先はずっと一緒にいよう。永遠に俺の側にいてくれ」


 金了さんは私を強く強く抱きしめながら言った。


 けど──


「ごめんなさい」


「……やっぱり、あいつがいいのか?」


 ますます強く抱きしめようとする金了さんの腕から、私はするりと抜け出した。


「うん、ごめん」


「俺は諦めないぞ」


 その強い眼差しに負けそうになるけど、私の心はすでに決まっていた。


「私だって、諦めないんだから」


「今回だけだからな」


「ごめんね」


「泣くなよ。泣きたいのはこっちなんだ」


「ねぇ、柊征しゅうゆさんはどこ?」


「知るかよ」


「わかった。自分で探す」


 今、探すべき人を思い出した私は──その場を去ろうとするけど。


 するとその時、金了さんの肩に甚人が現れる。


 甚人は座って足をぶらぶらさせながら私に訊ねた。


「柊征に会いたいか?」


「甚人……?」


「会いたい人に会いたいなら、私についてくればいい」


「ちょっと! 待って!」


 金了さんの肩から転がるように落ちて、地面に着地した甚人は、まるでリスのようにすばしっこく走り始めた。


 再び始まった追いかけっこにうんざりしながらも、私は疲弊した足に鞭打って路側帯を走る甚人を追いかけた。


 けど、ちっとも追いつけなくて、私の息ばかり上がってゆく中、甚人がこちらを振り返る。


「こっちだこっち」


 ──小さいのになんであんなに素早いの!?


「待ってってば」


「遅いぞ、明生」


 海沿いの道路を過ぎ去って道路橋を走り抜けると、さっきよりも人の多い繁華街に突っ込む。


 人混みのせいで甚人の姿が見えたり見えなかったりする中、私は甚人を見失わないように懸命に追いかけた。


「いったいなんなのよ、もう」


 ──でもなんだろう、このワクワク感。


 胸の痛みが取れた代わりに、やってきたのは嬉しい高揚感だった。


 会いたい人に会いに行くってこんな気持ちなんだね。


「明生! ほら行くぞ!」


「待って」


 そして幾つものビルの階段を登っては降りてを繰り返して、足がどうにかなりそうになりながらも、甚人にいざなわれて、辿り着いた場所は──


「見つけた! まことだ!」


「え?」


 そこは、私の住むマンションが見えるビルの屋上で。


 甚人の声に反応して振り返ったのは、紛れもないお兄ちゃんだった。


「はあ……こんな近くにいたなんて……」


 ……お兄ちゃん……こんなところから、私を見守ってくれていたんだね。


「明生?」


「……お兄ちゃん……?」 


 大きく見開くお兄ちゃんの目には、動揺と複雑な思いが見てとれた。


「明生、どうして……!?」


 けどその時、再び記憶の嵐が襲ってきたかと思えば、身体中が燃えるように熱くなって──動けなくなる。


「全身が、痛い……」


 そうだ。


 私には要らない力があったんだ。


 いつも決まって神様がいると発動する力は──私の意志を無視して、暴走し始める。


「お兄ちゃん! ダメ! 逃げて!」


「明生!」


 私の周りに竜巻が起きる中、お兄ちゃんの姿が柊征さんに変わる。


 柊征さんは飛ばされてしまわないように、腕で顔をかばいながら暴風に耐えていた。


「記憶を取り戻して、力が暴走したのか」


 近くのネットフェンスにしがみつく甚人が声を上げる。


 すると柊征さんも声を荒げた。

 

「どうして明生を連れてきた! なんてことをしてくれたんだ! 甚人」


「痛い! 痛いよ! お兄ちゃん」


「今、助けてやるから、待ってろ」


 柊征さんは飛ばされそうになりながらも、懸命に足を進めて私のところにやってくる。


 けど、私に触れることはできなくて、自分を守ることで精一杯の様子だった。


「仕方ない、俺が代わりにその力を──」


「やめろ、柊征。粉々になるぞ」


 警告する甚人を柊征さんが睨みつける。


「仕方ないだろ!」


 けど、甚人は誰よりも余裕たっぷりの顔で言った。


「私に任せておけ」


「甚人? どうするつもりだ」


 大きく見開く柊征さん。


 そんな柊征さんと私の間に立った甚人は、頭に手を置いて踏ん張り始める。


「ぐぬぬぬぬ」


「甚人!」


 柊征さんは止めようと手を伸ばすけど、その時さらに竜巻が強くなって、柊征さんは飛ばされてしまう。


 吹っ飛んでネットフェンスにぶつかる柊征さん。


 それでも甚人は、飛ばされずに踏ん張り続けた。


「明生と繋がっているのなら、その力、私が貰い受ける」


「甚人、やめろ──」


「柊征さん!」


 叫ぶ柊征さんの傍ら、竜巻が空まで渦を巻く中、甚人の体が輝き始める。


 そして私の胸にも光が宿って、光は甚人の体に真っ直ぐ繋がる。


「よし、繋がった!」


 直後、辺りが甚人の光に飲まれて真っ白に染まると──まるで何事もなかったかのように、一瞬で全てが鎮まった。




「柊征さん……? 甚人……?」


 当たり前のように日常が動き出す中。


 気づくと目の前には成人男性の姿になった甚人がいて、遠くでは柊征さんが驚いた顔をして座り込んでいた。 


「柊征さん……良かった……」


「明生!」


 周囲が元に戻った途端、気が抜けた私はその場に崩れる。


 すると、柊征さんが駆け寄ってきて、私を抱きかかえる。


「……柊征さん?」


「大丈夫か?」


「うん……それより、本当に、本物の柊征さん?」


 私が柊征さんの頬に手を置くと、柊征さんはその手を掴んだ。


「ああ、本物だ」


「どうして私の前からいなくなったの?」


「それは……」


 言葉を濁す柊征さんの代わりに、大きくなった甚人が悪い笑みで告げる。


「明生を守るためだと、はっきり言えばいい」


「え? もしかして甚人?」


「そうだぞ」


「でも体が……」


「明生の力を貰い受けたおかげで、体も大きくなったようだ。それより、せっかく再会したのだから、もっと愛し合えばよかろう二人とも」


 甚人に茶化されて、柊征さんが咳き込む。 


「ゴホッ……なっ、何を」


「だよね? せっかく再会したんだから、もっとぎゅっと抱きしめてくれたっていいのに」


「お前は……どこでそんなことを覚えてくるんだ」


 柊征さんはそう言って、抱えていた私を放り出した。


 ……柊征さん、冷たい。


 でも、私だって負けないんだから。


「柊征さん、ぎゅうってして」


「お前は……」


「煮え切らないやつだな。ほら、行ってやれ」


「な!」

 

 甚人に思い切り背中を叩かれた柊征さんは、勢い余ってつんのめったかと思えば──私の頬に唇をぶつけた。


 不意打ちのキス。


 柊征さんは慌てて離れようとするけど、私はすかさず柊征さんをがっちり掴んで離さなかった。


 それからは柊征さんが動揺して固まっている隙に、私が柊征さんの唇を奪って、キスを繰り返した。


 けど、ようやく意識を取り戻した柊征さんが、私を押し返して、甚人を睨みつける。


「甚人!」


「柊征さん、大好き!」


「若人はいいな」


 その後、柊征さんと私は、色んな困難にぶつかることもあったけど、なんだかんだ幸せに暮らしたのでした。



                             終わり



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