第26話 罪と罰



 満月の光が煌々と降り注がれる夜の海。


たもる、これ以上罪を重ねるな」


 砂浜に立つ賜に声をかけたのは、白の水干に緋袴をまとった彩楽だった。


「あなたに何がわかるというのですか」


 賜はそう告げると彩楽に背中を向けるが、彩楽は食い下がった。


「お前がどれほどたつきを大事にしていたのかは知っている。それに樹は人間として幸せに寿命を迎えたことも」


「何が幸せですか? 死神が人間になることで、樹は……」


「人間になることが、本当に悪いことなのか?」


「あなたにはきっとわからない。純粋な樹が俗世に落とされるなど……」


「だが、お前がしていることは間違っている」


 彩楽はさらに何かを伝えようと口を開くが──そこでの夢は終わった。




 ***




「またあんな夢を……」


 私──明生あいはベッドで起きたばかりのぼんやりとした頭で考える。


 最近やたらと賜さんや樹さんの夢を見るんだよね。


 そして夢の中の私は、いつも彩楽さらだった。


「もしかしてこれって……彩楽の記憶なのかな? じゃあ、彩楽はまだ私の中にいるってこと?」


 私はなんとなくだけど──自分の中にまだ彩楽がいることを確信していた。


「明日こそは彩楽と会話できるといいな」


 けど、私はその日を境にだんだんと夢を見る時間が長くなって……いつしか現実世界で目を覚まさなくなってしまった。




 ***




たもる……また宿神やどがみを陥れたのか?」


 寝殿造の屋敷──その廊下ですれ違った賜に、彩楽は厳しい声を投げかけた。


 すると賜はいつものように背中を向けたまま言葉だけ返す。


「彩楽には関係のない話だろう」


「私はあなたを放っておけない」


「偽善者ですね」


「賜はどうしてそう、他者に白黒をつけようとするんだ? 神にだって良いところも悪いところもある、それでいいじゃないか」


「どうやらあなたとは意見が合わないようですね。もう二度と、話しかけないでください」


「賜!」


 彩楽が賜を追いかけようとした瞬間、誰かに腕を掴まれる。


明生あい


「え?」


 振り返ると、すぐ間近に、どこかで見覚えのある顔があった。


 薄紅梅うすこうばい色の衣装をまとったその男は、波うつ黒髪に大きな目をしていた。


 だが、彩楽はその者を思い出すことはできず──


「あなたはいったい何者ですか?」


「俺は柊征しゅうゆだ。明生、目を覚ませ。これは夢なんだ」


「何を言っているのか、よくわかりません」


「これはお前ではなく、彩楽の夢だというのがわからないのか?」


「私の夢じゃない……? 彩楽……の夢?」


「ああ。早く目を覚ましてくれ。お前を心配している人間がたくさんいるんだ」


 どこかで見たことのあるその男は、彩楽に何度も何度も同じことを告げた。


 すると、そのうちの中で大きな感情があふれ出す。


「……お兄ちゃん?」


「そうだ。思い出したか? 明生」


「うん……これ全部、夢だったんだ?」


「わかったなら、早く目を覚ませ」


「ちょっと待って。私……彩楽を探さなきゃ」


「彩楽を?」


「うん。お兄ちゃん言ったでしょ? この夢は彩楽のものだよ。彩楽はまだ、私の中に残ってるみたい」


「彩楽はもう消えたんじゃないのか?」


「ううん。まだいる……きっとまだ、私の中に存在するんだよ」


「明生がそういうのなら、そうかもしれないな」




 ***




 私、明生あいがお兄ちゃんの存在を認めると、世界は急激に変化して、寝殿造の建物は消えてしまう。


 そして周囲が真昼の砂浜に変わると、他にも私を呼ぶ声が聞こえた。


 金色の髪に翡翠ひすい色の衣装を纏ったその人は、走って私の元にやってくる。


「おーい、明生、柊征」


金了こんりょうさん? 金了さんもここに来たの?」


「俺が来たら悪いか?」


「そんなこと言ってないよ! 金了さんはすぐ拗ねるんだから」


「どうせ柊征と二人きりが良かったんだろ?」


「だから! 拗ねないでよ。私は金了さんが来てくれたことも嬉しいんだから。それより私、彩楽を探してくるよ」


「はあ!?」


 私が自分の決意を告げると、金了さんは大きな目をさらに大きく見開いた。


「お兄ちゃんたちは先に帰ってて。私、彩楽の存在を確かめてくるから」


「お前はどうせ言っても聞かないからな」


 やれやれとため息を吐く柊征さん。


「夢の中は俺たちの管轄じゃないからな……気をつけろよ」


「うん。待っててね、金了さん」


 金了さんに見つめられて、私はそわそわしながら頷いた。




 ***




「彩楽! さーらー! どこにいるの?」


 心の奥底の世界は真っ暗で、人の気配なんてなかったけど──私は懸命に彩楽の存在を探していた。


「どこにもいないなぁ……どこにいるんだろう。やっぱり、お兄ちゃんたちにも一緒に手伝ってもらったほうが良かったかな?」


 私は少しだけ弱気になりながらも、彩楽の存在を探し続けた。


「彩楽、出てきて! お願い!」


 私が大声を上げて木々の間を走り回っていると、そのうち水色の狩衣かりぎぬを纏った──賜さんを見つける。


 賜さんは私の顔を見るなり首を傾げた。


「誰を探しているんだ?」


「賜さん。ちょっと彩楽を探しているんだけど」


「彩楽? 彩楽ならここにいるだろう?」


「え? どういうこと?」


 私が目を瞬かせていると、木陰から制服ブレザーを着た女の子が現れる。


 女の子──明生あいは私を見るなり優しい顔で笑った。


「見つけた、彩楽」


「……明生?」


「そうだよ。あなたは彩楽」


「そうか……そうだった。私が彩楽だ」


「やっと見つけたよ。彩楽」


「私はてっきり、自分を明生だと思っていたんだ」


「そっか」


「……私はきっと、明生が羨ましかったんだ」 




 *** 




 彩楽が自分自身のことを思い出した瞬間、明生の世界は暗闇から明るい森へと変化する。


 そして明生が微笑む中、賜が彩楽に一歩近づいたかと思えば──


「ソラ」


「え? 賜?」


 樹が亡くなって以来、賜にはさんざん無視されていた彩楽だが──突然声をかけられて、彩楽は大きく見開いた。


 賜は静かに告げる。


「今からお前の封印を解いてやる」


「賜?」


「小さな宿神やどがみがうるさいから、仕方なくだ」


「賜……ありがとう」


「どうしてあなたが礼を言うんだ? 封印したのはこの私だというのに」


「それでもだ、私のことを思ってくれてありがとう」


「あなたのためじゃないと言っているではありませんか。あくまで、宿神がうるさいからです」


「そうか。それでも私は、賜に出逢えてよかったと思っている」


「あなたも樹も、どうしてそんなに楽観的なんだ」


 頭を抱える賜に、彩楽は微笑む。


 だが、傍らの明生は不安そうに見ていた。


「でも、私から出ていったら、彩楽はどうなるの?」


「死神には戻れないので異界に行くことになります」


「……え、じゃあ、彩楽は」


「ここでお別れだ、明生」


「彩楽」


「そんな顔をするな。異界にいけば、また新しい死神としてやり直せるんだ」


「そっか……また会えるかな?」


「ああ、きっとまた会える」


 なんの根拠もなかったが、彩楽は明生の言葉を否定したりはしなかった。


「今度こそサヨナラ、明生」


「今までありがとう、彩楽。楽しかったよ?」


「ああ、私も楽しかった」


 こうして彩楽は今度こそ明生の中からいなくなった。




 ***




「おはよう、お兄ちゃん」


 いつものように制服に着替えた私──明生あいは、リビングに入るとまことお兄ちゃんに笑顔で声をかける。


 カウンターキッチンで朝食を作っていたお兄ちゃんは、私の顔を見ないで声をかけてくる。


「彩楽には会えたのか?」


「うん。彩楽……今度こそいなくなっちゃった」


「そうか」


「でもまた、新しい死神になるんだって」


「なら、また会えるかもしれないな」


「お兄ちゃんもそう思う?」


「ああ。可能性はゼロじゃない」


「また、会えるといいな」


 私が祈るような気持ちで呟いていると、ふいにどこからか男の人の声が聞こえてくる。


「あなたたちもソラと同じくらい楽観的ですね」


 気づくと、リビングの隅には賜さんがいた。


「賜さん! どうしてここに? 夢に現れた賜さんは、もしかして本物だったの?」


「本物に決まっているじゃないですか。明生さんの封印が解けるのは私だけですから」


 突然姿を現した賜さんを見て、お兄ちゃんもカウンターから頭を出す。


「お前が自分から封印を解きに来るとは、明日はヒョウでも降るか?」


 お兄ちゃんが不思議そうにそう言うと、玄関に続くドアから文も現れる。


「他にも理由があるんだろう? 賜」


「はい。……その前に断罪者を呼んでいただきたい」


「罪を償う気になったのか」


 文の言葉に、賜さんは静かに頷いた。


「……そういうところです」


「どういう風の吹き回しだ」


 しおらしい賜さんに、お兄ちゃんが信じられないといった顔をする中、賜さんは心の内を話した。


「明生さんの夢を見て、覚悟を決めました。私に必要な罰がようやくわかったのです」


「お前に必要な罰だと?」


 怪訝な顔をするお兄ちゃんに、賜さんは頭を下げた。


「ですから、断罪者をお呼びください」


 静まり返るリビングで、私は思わずお兄ちゃんに訊いた。


「お兄ちゃん、断罪者って何?」


「断罪者とは、神を裁く神のことだ」


「へぇ……神様でも裁かれるんだ?」


「まあな……断罪者の知り合いがいるから、すぐに呼んでやろう」


「ようやく、私を呼ぶ気になりましたか」


 お兄ちゃんがカウンターから出てきたと同時に、知らない男の人がリビングに現れる。


 黒いコートに黒いパンツ。それにサングラスをつけたその人は、お兄ちゃんの知り合いみたいで──名刺を出して挨拶をしてくれた。


「断罪者の南閣なんかくです。どうぞお見知り置きを」


「いつから見ていたんだ?」


「賜さんが罪を犯しているのは明白でしたから、見張らせていただきました」


「あ、お前! あの時の!」


 文の肩で甚人が声をあげると、南閣さんは軽く笑みを浮かべる。


「その節はどうも」


「なんだ、甚人じんと。知り合いなのか?」


 文がこそっと訊ねると、甚人は腕を組んでかぶりを振った。


「私じゃなくて、柊征しゅうゆの知り合いだ」


「では賜さん──あなたの罪の重さを計らせていただきますが……何か、申し開きしたいことはありますか?」


 南閣さんがスマホのような端末を操作しながら訊ねると、賜さんはかしこまって告げる。


「お願いがあります」


「お願い? 断罪の対象からお願いされるのは初めてですが、聞いてみましょう」


「……私を人間にしてください」


 その賜さんの言葉に驚いたのは私やお兄ちゃんだけじゃなくて。


 南閣さんは動揺した様子で確認した。


「人間に? 本気ですか? 二度と死神には戻れなくなりますよ?」


「私は、樹と同じ景色が見てみたいんです。ですからどうか、私を人間にしてください」


「死神が人間になるのは、重罪を犯した者に限りますが……これまでの功績を考えれば……」


「私が人間になりたいんです。たとえ二度と死神に戻れないとしても……」


「そうですか、では……あなたを人間へと変化させましょう」


「賜さん……」


 私は思わず胸のあたりを握りしめる。

 

 こうして賜さんは人間になったのだけど──その後、賜さんとは二度と会うことはなかった。




 ***




「賜さんは今頃何してるかな?」


 灯台の足元で、私は湖を見渡しながら呟く。


 すると柊征さんも私の隣で湖を見ながら告げた。


「そうだな。今日も懸命に働いてるんじゃないのか?」


「甚人は良かったの? 賜さんのことを見張るって言ってたのに」


 訊ねると、柵の上にいた甚人が踊り始める。


「いいんだ。あいつが人間になるなんて、これ以上の罰はないからな」


 穏やかな空気が流れる中、ふいにかざりが口を開く。


「そういえば、俺たち結婚したのに、籍はいれないのか?」


「はあ? 私がいつ文と結婚したの?」


「しただろう? 柊征を呼ぶために」


「それはふりでしょ? 本当に結婚したわけじゃないし」


「ふりでも、俺は一度人間になったんだぞ」


「そんなの知らないよ! 私の気持ちを無視するような人と結婚なんてしないんだから」


「なんだと!?」


「こらこら、二人とも仲がいいのは良いことだが、往来で喧嘩するのはみっともないぞ」


 踊りながら注意する甚人に、私はぷうっと口を膨らませる。


「私は別に文と仲いいわけじゃ……」


「なるほど、明生はツンデレなのか」


 一人納得する文に、私は白い目を向ける。


「文はどうしてそんなにポジティブなの?」


「明生も似たようなものだろ」


「私は文に似てないもん」


「俺は似てても、似てなくてもどっちでもいい。明生と一緒になりたいんだ」


「ちょっと! こんなところで恥ずかしいこと言わないで」


「何度でも言ってやる。俺は明生がいいんだ」


 私と文が言い合う傍ら、柊征さんがぽつりと呟く。


「明生がいい、……か」


「どうした? 柊征」


 訊ねる甚人に、柊征さんは考えの読めない顔で苦笑した。





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