第27話 後継者


「おはよう、ニキ」


明生あい!」


 朝から教室に入るなり、髪の長い女の子が私、明生に笑いかける。


 何日も登校しなかったから少し不安だったけど、ニキの顔を見るとなんだか安心した。


「明生、久しぶりの登校だね。大丈夫?」


「うん。ちょっと色々あったけど……もう大丈夫だよ」


「そっか」


「私がいない間、何か変わったこととかあった?」


「そうだね……担任が産休に入ったから、今日から新しい先生が来るくらいかな?」


「ふうん」


「新しい先生、キレイな筋肉だといいな」


「筋肉にキレイとかあるの?」


「当然! ──あ、来たよ」


 始業のチャイムはまだ鳴ってないけど、教室に先生が入ってきたので、周りの人たちはみんな席に着き始める。


 私も慌てて席に着くけど、教壇を見て私は目を丸くする。


 だってそこにいたのは──


「こんにちは、皆さん。担任の先生から聞いているとは思いますが、今日からしばらくこのクラスを受け持つことになりました、加那川南かながわ みなみです。よろしくお願いします」


 こちらを見てかすかに笑う加那川かながわ先生。


 その顔は、どう見ても南閣なんかくさんだった。




「ねぇ、新しい担任、なかなか良い筋肉だったよね」


 一限目が終わって、ニキがうっとりとした顔で言った。


 私は筋肉よりも、加那川先生の正体が気になって仕方がなかったけど──説明しようもないし。言いたいことを飲み込んで、話を合わせることにした。


「そう? 私はやっぱり柊征さんが……」


 けど、言いかけたところで、例の先生が私の机にやってくる。


佐東明生さとう あいさん」


「はい」


「先週提出のプリントがまだ出ていないようですが」


「あ、すみません」


 あの時は甚人を探すのに必死だったから……。


 私が言葉を濁すと、加那川先生は無機質に笑った。


「提出物はきちんと出すクセをつけないと、社会人になった時困ることになりますよ」

「はい……すみませんでした」


 先生はそれだけ言うと教室から出ていった。




 ***




「ほら、今日は手巻き寿司だぞ。いっぱい食べろ」


「ねぇ、お兄ちゃん」


 学校から帰宅して、お兄ちゃんと食卓を囲む私は、大好きな手巻き寿司を手に取る前に口を開く。


「なんだ?」


「今日は新しい担任の先生が来たんだよ」


「ほー」


加那川南かながわ みなみ先生だって」


「ほー……って、カナガワミナミだと!?」


「どうしたの? お兄ちゃん」


「どう考えても、あいつの……いや……まさか、な」


 お兄ちゃんはブツブツと独り言を呟いて、手巻き寿司を口の中に放りこんだ。


 もしかして……やっぱり南閣さんと関係あるのかな?


 賜さんと樹さんみたいに、双子の兄弟とか?


 でも、何かを考え込むお兄ちゃんにはそれ以上聞けなくて、結局その日はモヤモヤしたまま眠りについたのだった。

 



 ***




「お前……いつになったら手を繋げるようになるんだ?」


 朝日が眩しい早朝。

 

 いつものようにかざりと一緒に登校していたら、いきなり文にそう言われた。


「どうして文と手を繋ぐの?」


「恋人同士だろ」


「いつから恋人同士になったの? そんな覚えないんだけど」


「……冗談でも、そこまで強く否定されると傷つくな」


「文の冗談はわかりにくいよ。それより、彩楽さらは今頃どうしてるかな? もう新しい体をもらったのかな?」


「さあな。新しい死神として頑張ってるんじゃないか?」


「いつかたもるさんの寿命が尽きたら、迎えに行くのかな」


「それは……どうだろうな」


「──わっ」


 文が曖昧に返事をする中、私は前から来たお爺さんにぶつかってしまう。


「大丈夫? お爺ちゃん」


 私が屈んで手を差し出すと、お爺さんは、申し訳なさそうに私の手を取って立ち上がった。


「申し訳ない、お嬢さん」


「いいえ、私は大丈夫です」


「あと迷惑ついでに……」


「はい?」


「ちょっと道を訪ねたいのだが」


「どこまでの道ですか」


「耳が遠くてね。もうちょっとこちらに来てくれんか?」


 背中を曲げたお爺ちゃんが困ったように言うので、私は咄嗟に近づこうとするけど──文に腕を引かれた。


「待て、明生」


「どうしたの? 文」


「そいつに近づくな。人間のニオイじゃない」


「え? 人間のニオイじゃないってどういうこと?」


「宿神が、余計なことを」

 

 そう吐き捨てたお爺ちゃんに、私が目を丸くしていると──


「危ない、明生あい!」


かざり?」


 文がかばうようにして、私の前に出る。


 すると、お爺ちゃんが煙に包まれたかと思えば。


 お爺ちゃんは、平安時代みたいな黒い衣装を着た若い男の人に変わって、ニヤリと笑った。


 しかも男の人が笑った次の瞬間、まるで周囲の時間が止まったように、通行人の動きが止まる。


「お前、何者だ」


 文が睨みつけると、男の人は見下すような目で文を見返した。


「私は断罪者の使いで、その少女を迎えに来ただけです」


「明生を迎えに? どういうことだ?」


「ねぇ、何? なんの話?」


「明生様、どうかこの私めと一緒にお越しください」


「え? 何? イヤだよ」


「あなた様のためを思ってのことです。このまま力が強くなれば、人間としての生活はできなくなることでしょう」


「なんのこと?」


「宿神には、私の言葉の意味がおわかりですよね?」


 男の人は当然のように言うけど、私にはわけがわからなくて。


 私はひたすら文と男の人を見比べていた。

 

 けど、文は私のことなんてお構いなしに、眉間を寄せて男の人に訊ねる。


「明生が……普通の人間じゃないってことか? それでお前の主人の──断罪者は明生をどうするつもりだ?」


「断罪者になるべく、しかるべき教育をするまでです」


「明生を断罪者に……だと?」


「ねぇ! だから、なんの話をしているの?」


「どうやら、お前が普通の人間じゃないことが、他の神々にも知れ渡っているらしい」


 最初は文の言う意味がわからなかったけど、すぐにピンときて私は文に訊ねる。


「私が他人の『負の感情』を見抜くって話?」


「ああ。それも含めてだ。お前にはおそらく、断罪者の素質があるんだ」


「断罪者? なにそれ?」


南閣なんかくと同じだ。神を裁く神のことだよ」


「神様を裁く……?」


「こいつはどうやら明生を迎えに来たようだ」


「え? そんなこと言われても……」


 私が狼狽えていると、男の人は私や文の前に跪いて告げた。


「明生様、どうか私めと一緒にお越しください。明生様でしたら、きっと良い断罪者となることでしょう」


「え? 私、行かないよ。どこに行くのかは知らないけど、お兄ちゃんと暮らせて満足してるし」


 そう正直に告げると、男の人は怒りの形相で立ち上がった。


「なんと……宿神やどがみにたぶらかされたのですか」


「ちょっと! お兄ちゃんを悪く言わないでよ!」


「明生様には、やはり教育が必要でございますね」


 じわじわと近づいてくる男の人に対して、文は私を背中でかばいながら下がった。


「ちょっと待て、行くかどうかは明生が決めることだろう?」


「宿神と話をするつもりはございません」


 文は私を守ろうと口を挟むけど、男の人は耳を貸そうとはしなかった。


「なんだと!」


「そこをおどきください、宿神」


「明生は連れて行かせない」


「文!」


「なら、宿神あなたを倒して連れて行くまでです」




 ***




「今日は楽しい餃子パーティ♪ ……やれやれ、やっと二百個包んだぞ。これで甚人じんとも文句は言わないだろう」


「お兄ちゃん!」


 文を連れて帰宅した私だけど──満身創痍の文に肩を貸してリビングを入ると、お兄ちゃんが機嫌良く歌いながら餃子を作っていた。


「おう、おかえり──って、早かったな。それにどうしたんだ? 傷だらけじゃないか」


 お兄ちゃんは私から文を引き剥がすと、文をソファに座らせる。


「文が変な人から助けてくれたんだよ……」


「変質者か?」


「違う、断罪者の使いと名乗っていた」


「断罪者だと?」


「実は……」


 そして文は、ついさっき起きた出来事をお兄ちゃんに説明した。




「なんだと? 明生を断罪者に?」


「ああ。今日はなんとか追い返したが、そのうちまた来るだろうな」


「ねぇ、断罪者ってなんなの?」


「さっきも言っただろう? 神を裁く神のことだ。お前にはその素質があるんだよ」


 文は呆れたように言うけど、私にはやっぱりよくわからなかった。


「でも、私……人の『負の感情』を見ることしかできないよ」


「神の『負の感情』も見破るだろ」


「うん」


「そこが問題なんだよ」


「でも私、そんなわけのわからない職業に就くのはイヤなんだけど」


「断罪者は、本当に稀有けうな存在だからな。こっちの都合なんておかまいなしだろうな」


「じゃあ、どうすればいいの?」


 私が不安な気持ちで訊ねると、お兄ちゃんが私の肩をポンと叩く。


「まあ、俺たちがいるから、なんとでもなるだろう」


「……」




 ***




 欠けた月が空に上がった頃。

 

 明生の住むマンションからほど近いビルの屋上に南閣なんかくはいた。


 シャツにスラックスという軽装の彼は、ポケットの振動に気づくとスマートフォンに耳を寄せる。


『──おい、南閣なんかく


「ああ、柊征。お前か」


 電話をかけてきたのは、南閣の古い友人だった。


『ちょっと相談があるんだが、また会えないか?』


「すまない。今は仕事がたてこんでいてな……だが、そのうち必ずお前のところに行くから、待っていてくれ」


『わかった』


「それと……」


『なんだ?』


 南閣は何かを言いかけるが──背中で見ている部下の手前、それ以上言葉を発することはできなかった。


「いや、なんでもない」


『そうか。じゃあな──』




「明生様を呼び出すチャンスだったのではないですか?」


 ずっと南閣の動向を見守っていた部下の──黒い狩衣かりぎぬの男は、南閣に意見する。


 彼は、老人のふりをして明生に接触した若い男だった。


「悪いが、友人の大切なものを横取りするような趣味はないんだ」


 南閣はタバコを咥えながら部下に告げる。


 すると、狩衣の男は焦れったそうにまくしたてる。


「そうはおっしゃいますが、あなた様のお力もそろそろ薄れてきたのでしょう? 後継者がいなければ、この土地は別の断罪者に奪われてしまいますよ」


「俺はそれでもかまわないと思っている」


「南閣様……なら、どうして明生様に近づいたのですか?」


「……この目で確認するためだ。断罪者の素質があるかどうかを。余計な火種になるだろう」


「明生様をどうするおつもりですか?」


「封印する」


「宿神が納得するでしょうか」


「あいつなら、きっと納得するだろう」


「ですが……」


「悪いが、1人にしてくれ」


「……南閣様」




 ***




 南閣とその部下の会話が終わった時、離れたビルから南閣たちを見守っていた若い女が不気味な笑みを浮かべた。


 黒のパンツスーツをまとったその女は、白拍子しらびょうし姿の少女に声をかける。




「おい、聞いたか?」


「はい、東閣とうかく様」


「新しい素質者か……だが、南閣は要らないと見える」


「でしたら、私たちの領地に迎えますか?」


「そうだな。南閣の領地を奪うことができそうだ」


 都会の喧騒を見守っていた女は、そう言って煙のように消えた。





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