第28話 襲撃


明生あい、どうしたの? 難しい顔して」


 放課後の教室。クラスメイトたちが楽しそうに帰り支度を始める中。


 私がため息を吐きながら教科書を揃えていると、ニキが心配そうに声をかけてきた。


 ……うーん、どうしよう。


 ここ数日で起きたことを説明したい気持ちはあるけど、神様のことを抜きにしてどう説明すればいいんだろう。


 私は少しだけ悩んだ後、ニキにもわかるように説明する。


「……実は、珍しいお仕事にスカウトされたんだけど……どうやって断ろうかなって」

「えっ、スカウト?」


 唐突な話に、ニキは驚いた顔のまま固まった。


 私はうんうんと頷く。


「裁判官……みたいなものかな?」


「なにそれ、すごいじゃん! 何を悩むことがあるの? そもそも裁判官ってスカウトするものなの?」


「そんな大きな仕事、私には無理だよ」


「でも、スカウトされるだけの何かが、明生にはあるんでしょ? 思い切って飛び込めばいいのに」


「未知の世界に飛び込むのは好きだけど……お兄ちゃんから離れるのは嫌だなぁ」


「明生ってブラコンだよね」


「うん、そうだよ」


「あ、認めた」


「だって、お兄ちゃんカッコいいし、優しいし、ご飯も美味しいもん」


「いいなぁ、私もそんなお兄ちゃんほしい」


「ニキは一人っ子だっけ?」


「そうだよ。だから兄弟って憧れるかも」


 ニキが両手を合わせて顔を輝かせる中、いつものようにかざりがやってくる。


「こら明生」


「なに? 文」


 少し怒った顔で現れた文は、私の耳に小さく吹き込む。


「例の件を軽々しく人に喋るなよ」


「別に本当のことは言ってないし」


「それでも……断罪者のことは言うなよ?」


「なにヒソヒソ話してるの? それに〝ダンザイシャ〟ってなに?」


 私と文の内緒話は筒抜けだったようで、ニキが怪しそうに横目でこちらを見る。


 ニキって地獄耳なんだよね……。


「文のほうこそ喋らないでよ」


「俺はただ……」


「明生さん」


 文が言いかけた時、教壇にいた担任の先生が私の元にやってくる。


「? なんですか、先生」


「またプリントが出ていなかったのですが」


「すみません、持ってくるのを忘れました」


 私が慌てて四角いカバンを探る傍ら、先生を無言で見つめる文。


 けど、そんな文の視線も気にすることなく、先生は真面目に告げる。


「またですか? 何度も言うように、プリントは必ず提出するクセをつけてくださいね」


「……すみません」


 私が素直に非を認めていると、ニキが首を傾げながら文に訊ねた。


「どうしたの? 文くん」


「あいつ、どこかで見たことないか?」


「先生をあいつなんて呼んじゃダメだよ、文くん」


「あの雰囲気……本当に人間か?」


 眉間を寄せて言う文に、私は思わず口を尖らせる。


「ちょっと文! 断罪者のスカウトがあったからって、疑心暗鬼になりすぎだよ」


「あんなことがあったからこそ、周りの人間には注意しないと」


 警戒する文を見て、ニキはふっと笑う。


「何を疑ってるのかは知らないけど、加那川かながわ先生は良い先生だよ」


「そうだよ! 加那川先生は良い先生だよ」

 

 ニキに同調して言うと、文はやれやれとため息を吐く。


「……明生はもう少し、人を疑ったほうがいいぞ」


「わかった。これまで以上に文のことは警戒するよ」


「どうして俺なんだよ」


 文にじっと見られて、私は一瞬どもるけど──呟くようにこぼした。


「だって、結婚式のふりとか言ってキスするし」


「まだ根に持ってたのか」


「当たり前だよ。人のファーストキスをなんだと思ってるの?」


「セカンドキスだ」


「わけわかんないこと言って」


「ふりでも、明生には刺激が強すぎたか──ていうか、なにをそんなに怒ることがあるんだ? あれで柊征しゅうゆだって現れただろ」


「だから嫌なの! おにい……柊征さんに見られるなんて最悪だよ」


「柊征のやつは気にもしてなかったけどな」


「ちょっと! 地味に傷つくこと言わないでよ」


「お前だって、ダイレクトに傷つくことを言うだろう」


「私のことが好きなくせに、どうしてもっと優しくなれないの?」


「お前……人のこと振っておいて、優しさだけ要求するのか。そういうのはフェアじゃないだろ」


「そうじゃないでしょ! 人に優しくするのは普通のことで……」


「お前が俺に優しかったことなんてあるのか?」


「ひどい!」


「ちょっと二人とも、その辺にしときなよ。周りの視線集めてるよ」


 ニキに言われてハッとする。


 気づくと周囲のクラスメイトたちがヒソヒソと話しながらこちらを見ていた。


「もういい、今日は一人で帰るから!」


「おい、狙われてるくせに、何を……」


「ついて来ないでよね!」


 私はカバンに教材を無茶苦茶に詰め込んで文に背をむけると、大股で歩き出した。




 ***




かざりはなんであんなにわからずやなんだろう……私だって優しくなりたいけど、文があんなだから……」


 ……ううん、違う。


 最近、文といると恥ずかしい気持ちになるんだよね。なんでだろう……。


「……あの」


 自宅近くの道路橋を歩く中、複雑なため息を落としていると──ふいに、黒い服を着た同じ年くらいの女の子に声をかけられた。


「はい?」


「道をお尋ねしたいのですが……公園はどちらの方角ですか?」


「公園……すぐそこだけど、説明しにくいので案内します」


「ありがとうございます」


 小さく頭を下げる女の子につられて、私も咄嗟に頭を下げる。


 すると今度は、背中から聞き覚えのある声が聞こえた。


「待ちなさい」


「? え? 加那川先生?」


 後ろから現れた加那川先生は、私を隠すようにして前に立つと、黒い服の女の子に厳しい目を向けた。


「佐東さん、逃げてください」


「え?」


「あと少しだったというのに、邪魔者が入りましたか」


 そう呟いた後、女の子は低い声で何か呪文を唱えると──平安装束っぽい服装に変わる。


「ええ!? 変身した!」


 驚いたまま固まる私を見て、加那川先生は私を背中にかばったまま一歩前に出た。


 女の子は忌々しそうに吐き捨てる。


「そこをおどきなさい、断罪者」


 ──え? 断罪者? 加那川先生が?


 私がポカンと口を開けて見守る中、加那川先生は平安装束の女の子をきつく睨んだ。


「明生さんをどうするつもりですか?」


「うちの領地の断罪者として働かせます」


「明生さんの都合なんておかまいなしですか」


「せっかくの素質者です。ご主人様が従順に育ててくれることでしょう」


「断罪者の資質を問われる物言いですね。その様子だと、断罪者としての力も劣っているのではありませんか?」


「なにを? 弱っているのは貴方のほうではありませんか?」


 女の子は歪んだ笑みを浮かべると、手を前にかざした。


 すると、まるで重いものが背中にのしかかったように体が重くなって、私は思わず前屈みになる。


「何? なんなの?」


 しかも体が重いのは私だけじゃないみたいで、加那川先生も腰を折ってその場に膝をついた。


「ぐっ」


「加那川先生!」


「そこをおどきなさい、断罪者よ」


「それはできませんね」


「穏便にすませようと思っていましたが、そうもいかないみたいですね」


「穏便なんて言葉を知っているんですね」


「口の減らない人ですね。私にケンカを売ったこと、後悔させてさしあげましょう」


 女の子は裂けるほど大きく口を開いて笑う。


 その高い笑い声に戦慄する中、先生は四つん這いになって、何かに耐えるように呻いた。

 

「うっ」


「加那川先生!」


「早く……お逃げなさい、佐東さん」


「でも、先生が」


「先生のことはいいですから、早く……」


「逃がしません」


 女の子が高く手を上げると、先生はさらに苦しそうに声を上げた。


「うっ」


「先生!」


「早く……にげ……」


 その苦しそうな先生を見て、なんだか腹が立った私は──女の子を睨みつける。


「ちょっと!」


「ん?」


「加那川先生になんてことするの!?」


「なんですか? 小娘が私に盾つく気ですか? 少々手荒くなりますが、貴方のせいですよ」


「佐東さん……逃げな……さい」


「加那川先生!」


 加那川先生は力を振り絞るようにして立ち上がると、再び私を守るようにして立ち上がった。


 けど、先生はギリギリの状態みたいで、その膝は小刻みに震えていた。


「バカな断罪者ですね。身の程を知らぬなど」


 とうとう見ていられなくなった私は、重い体を引きずって先生の前に出る。


 そしてビシッと女の子に指を差して声を上げる。


「ちょっと!」


「なんだ? 小娘ごときが……うっ」


 女の子は言いながら、微動だにしなくなる。


 すると、急に体が軽くなった気がした。


 本当はその隙に逃げれば良かったんだけど、なんだかむしょうにムカついた私は、さらに言いたいことを言った。


「なんでこんなひどいことするの? その様子だと、あなたも神様なんでしょ?」


「な……体が動かない……?」


「怖い神様なんて……」


「ぐっ……どうしたと言うんだ。こんな小娘ごときに……」


「怖い神様なんて! 消えちゃえ!」


 私が渾身の力を込めて叫ぶと、周囲に桜の花びらが吹き荒れて──


「きゃあああああああ」


 女の子はまるで魔法みたいに忽然と姿を消した。


「──え? 何? 何が起きたの?」


 私は思わず周囲を見回すけど、そこには驚いた顔の先生しかいなかった。


「佐東……さん?」


「……え?」


「本当に……消えちゃった。どうしよう」


「佐東さん」


「先生、どうしよう」


「無意識に、断罪した……?」


 私が狼狽えていると、先生はゆっくりと立ち上がってこちらにやってくる。


「さっきの人、どこに行っちゃったんですか?」


「……大丈夫、です。あの人はおそらくもう、戻ってこられないでしょう」


「戻ってこられない?」


「ええ、あなたは断罪し、あの方を異界に送ったのですから」


「……異界? ──って、もしかして、彩楽さらが行った場所? 先生はいったい、何者なの?」


 恐る恐る訊ねると、先生は無機質な笑みを浮かべる。


「覚えていませんか? 私はたもるさんを断罪した、断罪者の南閣なんかくです」










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