第29話 神様にお願い
突然襲ってきた平安装束の女の子が、消えてしまうという事件の後。
自宅に帰る頃にはすっかり遅くなっていた。
しかも玄関に入るなり、なぜか
「
「文」
「おい、あんた……明生になんのようだ」
私が曖昧に笑う中、私の後ろについてきた
私は慌てて説明する。
「文、先生は悪い人……じゃなくて、悪い神様じゃないよ。私のことを助けてくれたの」
「神様? ……何があったんだ?」
「実は……」
「……なに? 明生が神を消した?」
リビングに移動して説明すると、文は驚きの声を上げた。
……まあ、そうだよね。私にだって信じられないんだから。
「そんなことが可能なのか?」
「明生さんは、少し普通ではないようです」
「少しどころじゃないだろ。神ですらないというのに、断罪するなんて」
お兄ちゃんの言葉に、私は首を傾げる。
「断罪って何?」
「だから……前にも言っただろ。神を裁くことだ」
私がきょとんと目を丸くしながら文の言葉を聞いていると、文の肩に
「明生は悪いことをした神を異界送りにしたんだ」
「悪いこと?」
私が訊ねると、甚人は踊りながら教えてくれた。
「女の断罪者に攻撃されただろう? 断罪者が同胞や人間に攻撃するなど、本来はあってはならないことだ」
「甚人はいなかったのに、どうしてさっきのこと知ってるの?」
「名づけ主のことだからわかる」
「異界送りって……あの人、死んじゃったの?」
「いや、新しい神に生まれ変わったんだ」
「それっていいことなの?」
「悪事を働いた神を異界へ送ることは、悪いことではないはずだが……明生は人間だからよくわからない」
難しい顔をする甚人を、文が睨みつける。
「こら、甚人」
「本当のことだろう?」
「明生、気にするな。攻撃を仕掛けてきたのは相手だろう?」
文は慰めてくれるけど、私はなんとなくモヤっとしてなんとも言えない気持ちになった。
「……そうだけど」
私が俯いて考え込んでいると、ソファに座る南閣さんも納得できないとばかりに言った。
「断罪者は本来、気が遠くなるほど長い時間修行することで、断罪する資格を与えられるものだが」
「なら、明生にはすでに神を断罪する資格があるというのか?」
お兄ちゃんが訊ねると、南閣さんはお兄ちゃんをまっすぐ見返した。
「もしかしたら……」
「なんだ?」
「明生さんは断罪者の生まれ変わりなのかもしれない」
「断罪者の?」
訝しげな顔をするお兄ちゃん。
文もおかしいと思ったようで、眉間を寄せて口を開いた。
「だが、明生は人間なんだぞ?」
「そもそも、明生さんは本当に人間なのか?」
南閣さんの言葉に、お兄ちゃんは大きく見開く。
「……え?」
お兄ちゃんが視線をうろうろさせながら押し黙る中、文が代わりに訊ねる。
「人間の腹に、神が宿ったとでも?」
「前例がないわけじゃない」
その言葉で、文は考え込む。
けど、私には南閣さんの言う意味がよくわからなくて、皆の顔色を伺う。
「どういうこと……?」
すると、文が簡単に説明してくれた。
「つまり、明生は生まれながらの神……かもしれないってことだ」
「は? 何言ってるの? 私のお父さんもお母さんも人間だよ? たぶん」
「そうだな。だが稀に、人の間から神が生まれることもあるんだ」
文はそう言うけど、お兄ちゃんは納得いかない様子で呟く。
「だが、神ならば俺たちにだってわかるはずだが」
そのお兄ちゃんの言葉を、甚人が拾う。
「そもそも神の『負の感情』を見抜く人間なんていないだろう」
「……そうだが」
狼狽えるお兄ちゃんだけど、南閣さんはさらに何かを告げようとする。
「問題は……」
「なんだ?」
その南閣さんの意味深な様子に、お兄ちゃんは先を急かすけど──
「いや、……
「……ああ」
南閣さんはそれ以上何も言わなかった。
***
そしてリビングに残された私は、一緒にいた
「私が神様なんて、信じられないよ」
そう告げると、文はむしろ謎が解けたように口を開いた。
「けど、断罪者なんて普通の人間がなれるものじゃない。むしろ明生が神だったなら、これまでのことが納得できる」
「私が神様だったら、何かいいことあるの?」
「お前……損得で考えるなよ。神のくせして」
「だって、神様になるメリットがわからないよ」
「そんなんで、よく断罪者になれたもんだな」
「私は断罪者なんかじゃないもん」
「俺もお前が断罪者になれるとは思わないけどな」
「なによ! 文だって変な神様だし」
「変な神様ってなんだよ」
「私みたいな人間を好きになるなんておかしいよ」
「そこかよ」
「この世の中には、私より綺麗な人だって面白い人だっているのに、どうして私なの?」
「好きになることに特別な条件が必要か? そうじゃないだろ。俺が好きになったのが、たまたま明生なんだよ」
「やっぱり文はよくわかんない」
「……まあ、俺の話より……明生はこの先どうしたいんだ」
「この先?」
「お前が本当に神だったら、今のような生活はできなくなるぞ」
「……え?」
***
「明生から聞いた時はまさかと思ったが、お前が担任だったとは……明生に近づいたのは、どうしてだ?」
南閣はふっと息を吐いて自嘲する。
「秘密にしていたことを、責めたりしないんだな。お前は相変わらず、模範的な神だな」
「何か事情があったんだろ?」
「それについてだが……」
「明生を監視していたのか?」
「監視というより、観察だな」
「明生のことを知って、どうするつもりなんだ?」
「俺はただ、彼女に断罪者の素質があるかどうかを確認していただけだ」
「確認してどうする?」
「世の秩序を乱すものなら、封印するつもりだ」
「封印? 明生の力をか?」
「ああ」
「封印か……明生は神になることを望んではいないだろうからな。それも悪くはないだろう」
「だが、封印すれば、力や神にまつわる記憶も封じ込めることになる」
「神にまつわる記憶……俺たちのことも忘れるのか?」
「そういうことだ」
柊征にとっては、予想通りの答えだった。
諦めたようにため息を吐く柊征を見て、南閣は少しだけ驚いた顔をする。
「意外だな」
「何がだ?」
「今の話を聞いて動揺すらしないなんて」
「明生を一人にするのは心苦しいが、いつかこういう日が来ることを予想はしていた」
「お前……それほどまでに彼女を」
「俺は明生に依存しすぎていたようだ」
「兄妹とは、そういうものだろう?」
「違う……俺は……」
「それ以上は言わなくていい。言ったところで、俺に何か出来るわけでもない」
「……」
「だが封印を望むなら、いつでも言ってくれ。彼女の平和を守るためにも」
「……ああ」
柊征は南閣に背を向けて、ネットフェンスを掴む。
その悔しさが滲んだ顔は──誰にも見られることはなかった。
***
「今日は楽しいかき揚げ~♪」
「ただいま、お兄ちゃん」
私──
その顔を見たら、思わず泣きそうになって──私は目に溜まった涙を見られないように顔を背けた。
でもさすがお兄ちゃん。
ずっと一緒にいるだけあって、私の異変に気づかないはずがなかった。
「おう、お帰り……どうしたんだ? 顔色が悪いようだが」
私は覚悟を決めて、その日の学校帰りに起きたことを正直に話した。
「あのね……今日……また断罪者って名乗る人を異界に送っちゃったんだ」
「……そうか」
私の話を聞いてもお兄ちゃんは動揺したりしなくて、私の頭を優しく撫でてくれた。
そしたら、胸の奥でくすぶっていた塊が決壊して、自然と涙がポロポロと落ちてくる。
「どうしよう。今日でもう五回目だよ? 私……こんなの嫌だよ」
「
「文は何も言わないんだ。もしかしたら、文は私が怖いのかもしれない」
いつも強気だった文が、今日は強張った顔でこちらを見ていた。
そのまるで化け物を見るような目が頭から離れなくて──私は制服の胸元をぎゅっと掴む。
けど、お兄ちゃんはやっぱり優しい声で私の頭を撫でてくれた。
「そんなことはないだろう」
「だって、あれだけ好きって言ってたのに……もう何も言わないんだよ?」
「それは……文にも何か考えがあって……」
「ううん、違うよ。きっと文は私のことを嫌いになったんだ」
「明生」
「私だって、私が怖いもん!」
「明生!」
泣き叫ぶ私を、お兄ちゃんはぎゅっと力強く抱きしめてくれた。
その温かさに、私はさらに涙が止まらなくなる。
「大丈夫だ……お前は普通の人間だ」
「どうしよう、そのうちお兄ちゃんや文まで異界に送っちゃったら……そんなの絶対に嫌だよ」
「そうだな……だったら、南閣に力の使い方を教えてもらおう」
「私……こんな力いらない!」
「……明生。大丈夫だ、大丈夫だから……」
「……お兄ちゃん」
お兄ちゃんは私を腕から離すと、微笑みながら訊ねる。
「なあ、明生。明生はこれからどうしたい?」
私は思わず大きく見開く。
「……え?」
「もしも、明生が普通の人間でいたいなら、お兄ちゃんがお前を人間にしてやる」
「普通になれるの?」
「ああ……お兄ちゃんは神様だからな、お前の願いくらい叶えるのは簡単だ」
「本当に……?」
「ああ、お兄ちゃんを信じろ」
「……うん」
「じゃあ、改めて聞くが、明生はどうしたい?」
「……私、普通の人間になりたい。だからお兄ちゃん、お願い……!」
「ああ、その願い、俺が確かに受け取った」
お兄ちゃんはそう言って、私の額に唇を寄せた。
「お兄ちゃん!?」
「ごめんな、明生。今までありがとう」
その時の私は、お兄ちゃんの言葉の意味を──理解していなかった。
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