第24話 喪失

 



彩楽さら、どうしたんだ? 突然」


 静けさに包まれる病室で、動揺したように柊征しゅうゆさんが口を開いた。 


「彩楽?」


 何度も声をかけてきた柊征さんに、私は肩を震わせながら答えた。


「……彩楽じゃないよ」


 そう、私は明生であって、彩楽じゃない。


 だって彩楽は──


「どうしたんだ、明生?」


 心配そうに見つめてくる柊征さんを、私は涙目で見返す。


「彩楽が……彩楽が……」


「彩楽がどうかしたのか?」


「彩楽が消えちゃった」


 そう告げたと同時に、すぐ側から文の声が聞こえた。


「あれ? 元に戻った……?」


 ベッドから身を起こした文は、驚いた様子で自分の手のひらを見つめていた。


「何が、どうなっているんだ?」


 文が誰となく訊ねると、文の肩に甚人じんとが現れる。


「穢れの元だった彩楽がいなくなったことで、金了が神に戻ったんだ」


「甚人、それはどういうことだ?」


 文が睨むように見つめると、甚人は小さな拳を握りしめて説明した。


「私は彩楽と繋がっていたからわかる。あいつは金了や明生を元に戻すために……自分の魂をつぶしたんだ」


「魂をつぶした? 明生から出ていったわけじゃなくて?」


たもるの封印が解けないから、消えることを選んだんだ」


「そんな……じゃあ、彩楽は異界にもいけないのか?」


 ようやく事態を把握した文が、大きく見開く。


 私は甚人のように事情に詳しいわけじゃないけど、彩楽が自分から消えたことはわかった。


「彩楽、どうして相談してくれなかったの……? こんなお別れ、嫌だよ」


 私が嗚咽を堪えながら言うと、甚人もいつになく悲しげな声で言葉を吐いた。


「そうだ。どうして私に相談しなかったんだ」


「明生……甚人……」

 

 眉間を寄せる柊征さん。


 重い空気が漂う中、窓から桜の花びらが入ってきて──空色の狩衣かりぎぬを着た死神が現れる。


「おや、宿神やどがみは元に戻ったのですか?」


 まるで他人事のように軽い口調で現れた賜さんを、柊征さんが睨みつける。


「賜! お前は……」


「どうして元に戻ったのですか? 穢れを受けた少女と婚姻して、人間になったはずでは? それに明生さんの寿命も元に戻っているようですが……」


「お前の企みもここまでだな。彩楽が助けてくれたんだよ」


 文が怒りをたたえた目で賜さんを見据えると、賜さんが意外そうな顔をする。


「彩楽さん……ソラが?」


「……彩楽を返して」


 やっぱり他人事のように言う賜さんが許せなくて、私の胸に焼けるような怒りが広がった。


 耐えられなかった。


 全部、全部──



「彩楽を返してよ!」



 そして気づくと、頭が真っ白になって。


 渾身の叫びを上げていた。


「な、体が……動かない」


 狼狽える賜さんに対して、私は気が狂いそうになるのを抑えながら口を開いた。


「彩楽は賜さんがこうなったのは、自分のせいだと言ってたけど……でも、こんなの間違ってるよ。大切な人が人間になったから、他の人を同じ目にあわせようとするなんて、そんなの自分勝手すぎるよ! あなたの家族が騙されて命を落としたのは、確かに可哀相だと思うけど……でもそれは、金了さんには関係ないんだよ……」


 私が一気に告げると、賜さんは顔を歪ませてこちらを睨みつけた。


「あなたのような人間の小娘にはわからないでしょうね。……私たち死神は人の死をほふって、かろうじて命を繋いでるんです。それなのに……宿神は何もかも持っているくせに、死神の命を弄ぶんです」


 賜さんの言葉に、私は間髪入れずに言い返す。


「金了さんや柊征さんは、そんなことしない! 死神さんを陥れたりなんかしない」


 けど、賜さんは頑固な人で、ちっとも通じなかった。


「わかりませんよ。宿神は自分たちこそが全てを統べる存在だと思っている節がある。……現に、弟を陥れた宿神は……私たちを見下していた。神でも一皮むければ、何を考えているのかわからないものです」


 暗い笑みを浮かべる賜さんに、柊征さんは冷ややかに告げる。


「被害妄想のかたまりだな。俺は死神だろうが、宿神だろうが、どうでもいいが……自分の不幸を他人のせいにする趣味はない」


「それは宿神が幸せだから、他人の不幸などわからないのです」


 賜さんの言い分に、柊征さんは声を荒げる。


「バカにするな! 今のお前のどこが不幸なんだ? それよりも明生や兄さんのために命を投げ出すことしかできなかった彩楽のほうがよっぽど……」


「ソラ──彩楽さんがしたことは、ただの自己満足でしょう」


「なんだと!?」


 賜さんの言葉を聞いて、さらに食ってかかろうとする柊征さんだったけど。


 そんな柊征さんの肩を押さえて、今度は文が前に出る。


「お前……それ、本気で言ってるのか?」


「とにかく……私の計画が知られた以上、あなたたちにはもう用はありません」


 賜さんは少し苛立ったように言って、風のように消えた。


 舞い降りる桜の花びらを掴むようにして手を伸ばした柊征さん。


 けど、もう遅かった。


「賜!」


 病室に響く、文の声。


「お兄ちゃん……」


「明生、大丈夫か?」


 柊征さんが一番好きだけど、この時だけは〝お兄ちゃん〟にすがらずにはいられなくて、私は〝お兄ちゃん〟の胸で泣いた。




 ***




甚人じんと、いいかげん食事をしろ」


「……」


「お前の気持ちはわかるが、少しでも食べないと……」


 彩楽さらがいなくなったことで、すっかり調子を落とした甚人は、木下きのした家のリビングソファで顔を背けて寝転がる。


「いらない」


 大食漢の甚人が何も口にしないのは、宿神になって初めてのことだった。


 肉まんを片手に、かざりはため息を吐く。


「もう、どうしろっていうんだよ」


 すると、甚人は顔を背けたまま、苦々しく告げた。


「彩楽は……文のことが好きだったんだ」


「……知ってる」


 その意外な言葉を聞いて飛び起きた甚人は、文に向かって告げる。


「だったら、最後くらい彩楽に接吻のひとつでもしてやれば良かったのに」


「お前は何を言い出すかと思えば……そんなことして、彩楽が喜ぶと思うか? あいつは、自分の気持ちを告げないことを選んだんだ」


「彩楽はどうしてこんな薄情なやつが好きだったんだろう」


 湿っぽい顔をする甚人をどうすればいいのかわからず。


 文は困ったように顔を伏せる。


「そんなこと、俺にわかるわけがないだろ」


「本当に彩楽は趣味が悪いな」


「うるさい。とにかく、食事をしろ……でないと、彩楽が悲しむぞ」


「……食べたくない。彩楽はもう、悲しむこともできないんだ」


「もう、本当にどうすればいいんだよ」




 ***




「お兄ちゃん……彩楽さらは本当に死んじゃったの?」


 彩楽がいなくなった翌日の夜。


 私──明生あいまことお兄ちゃんに恐る恐る訊ねた。


「正確には、消えたんだ」


「消えたってどういうこと?」


 向かいで夕食の肉じゃがを食べていたお兄ちゃんは、いったん箸を置いて説明してくれた。


「宿神や死神も人と同じように、本体の死を迎えたら異界で再び体をもらいうけるんだが……彩楽は魂をつぶしたから、新しく生まれ変わることすらできないんだ」


「そんなの……ひどいよ」


「……そうだな」


「お兄ちゃん、神様なんだから……彩楽をどうにかできないの?」


「悪いが、魂を復元するなんてことは、神にだってできない」


「……彩楽……まだ喋りたいことはたくさんあったのに、こんな風にいなくなるなんてずるいよ」


 何度泣いても涙は止まらなくて。


 そんな風に嗚咽をもらす私を、お兄ちゃんがそっと抱きしめてくれた。




 ***




 夜も更けた頃。


 柊征しゅうゆは暗いビルの屋上で、フェンスを握りしめながら下界を見下ろした。


 電飾が賑やかな街並みも、柊征の目にはどこか悲しげに映る。


 彩楽さらがいなくなり、胸が痛いのは明生だけではなかった。


「お前から呼び出されるのは、これで二度目だな」


 背中から声をかけられて柊征は振り返る。


 そこには、数週間前にバス停で会った友人の姿があった。


 柊征は感傷的な気持ちを鎮めて、黒いコートに黒のスラックス、それにサングラスをまとった、文字通り黒づくめの男に声をかける。


「ああ。今日は知りたいことがあってな」


「宿神にできないことを、俺ができるはずもない」


 柊征はわらをも掴む気持ちで声をかけたわけだが、男は無情にも話の内容を聞くまでもなくかぶりを振った。


「……知っているのか?」


「ソラという死神が自ら魂をつぶしたことは、もう同胞に知れ渡っている。死神は皆、繋がっているからな」


「……彩楽の本当の名は、ソラというのか」


「お前が望むなら、たもるという死神を裁いてやろうか?」


「……いや、あいつは直接手をくだしたわけじゃないから、罪にはならないだろう?」


「そうだな。間接的に関与したことを裁いても、注意だけでおわりそうだ」


「人間の裁判よりも非情だな」


「神が罪を犯すなんてことは、本来ないことだからな。だから俺たち断罪者の仕事は、ほとんどが見守るだけで終わるんだが……最近は死神も人間じみてきたな……それより、こちらも聞きたいことがあるんだが」


 男がかしこまって言うと、柊征も身構える。


「なんだ?」


「お前の妹が、神の『負の感情』を見破ると聞いた」


「……そんなことまで知っているのか?」


「とある筋で得た情報だ」


「とある筋?」


「いや……情報主は言えんが、お前の妹は……もしかしたら、俺たちと同じ……いや、俺たち以上の化け物かもしれんな」


「おい、人の妹を化け物呼ばわりするな」


「ああ、すまない……だが、くれぐれも注意しろ」


「何を注意するんだ」


「お前の妹はおそらく──」




 ***




「ただいま」


 彩楽がいなくなってから、三日が過ぎた。


 仕事から帰ってきたお兄ちゃんがリビングに入ってきたので、私──明生あいは慌てて駆け寄った。


「お帰り、お兄ちゃん」


 すると私の後ろから金了さんも「おかえり」を告げる。


「なんで金了兄さんがいるんだ?」


 壁にコートを掛けながら目を瞬かせるお兄ちゃんに、私は説明する。


「甚人がご飯を食べないから、連れてきたんだって」


「ご飯を食べない? あの甚人が?」


「うん……甚人は彩楽のことが大好きだったから、ショックを受けてるんだと思う」


「そういう明生も、あまり食べていないだろう? よし、シチューでも作るか」


 気合いを入れて腕まくりをするお兄ちゃんだけど、金了さんの肩にいる甚人はプイッとそっぽを向いた。


「いらない」


「甚人……食べないと、甚人が死んじゃうよ?」


「私の命を彩楽に譲ってやりたい」


 小さな目からポロポロと涙を落とす甚人に、私までもらい泣きしそうになるけど、それをぐっと堪えて声をかける。


「そんなこと言わないで。彩楽が悲しむよ」


「彩楽はもう、悲しむこともできないんだ」


 その言葉に、我慢していた私まで結局泣いてしまった。




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