第23話 彩楽
「いったい、何がどうなってるんだ?」
「
私──
けど──
「ダメだ、文に憑依できない」
金了さんは綺麗な顔を悔しそうに歪めて呟く。
そんな中、私の意識が遠ざかった。
***
「憑依……
「彩楽か?」
「思い……出した……」
「どうした、彩楽」
言って、金了は立ち上がり、彩楽を見つめる。
すると、彩楽は恐ろしいものを見るような顔をして告げた。
「穢れを受けた者と結ばれた神は人間になるんだ」
「それは……どういうことだ?」
柊征の問いを無視して、彩楽は近くの大木に言葉を投げる。
「そうだろう、
彩楽が鋭い口調を投げた次の瞬間、大木の陰から賜が現れる。
「バレてしまいましたか」
悪びれもせず現れた賜に、彩楽は悲しげな顔で訊ねた。
「お前はまだ
「封印が甘かったようですね。思い出してしまいましたか」
「他の宿神を傷つけても、樹は戻ってこないんだぞ?」
「それでも私は……宿神が憎いんですよ。樹を殺した宿神が」
「だからって、人や神をそそのかしていいわけがない」
「おっと、断罪者を呼ばれると困るので、このあたりで失礼します」
「賜!」
彩楽が手を伸ばす中、賜は逃げるようにしてその場から消えた。
「
柊征が訊ねると、彩楽は頷く。
「ああ。私は賜の弟の友達だったんだ」
「いったい、何があったんだ?」
「それよりも、
文の名を聞いて、今度は金了が訊ねる。
「どういうことだ?」
怪訝な顔をする金了に、彩楽は慌てて告げる。
「金了さんが人間になった以上、文の体は一週間ともたないはずだ」
「なんだって? 金了が人間に……?」
柊征が瞠目する傍ら、金了は唇を噛み締める。
「どうすればいいんだ……」
短い沈黙が流れる中、柊征が口を開く。
「ひとまず文を病院に運ぶとして、金了兄さんはうちに来い」
柊征の言葉を聞いて、金了は驚いた顔をする。
「うち? 柊征は
「ああ」
***
一見、普通に眠っているようにしか見えない文だが、
そんな状態で家におくわけにもいかず、とりあえず入院させたわけだが──
「それで、俺はどうすればいいんだ?」
明生の家にやってきた金了が、誰となく訊ねると、肩にいる
「人間として生活するしかないんじゃないか?」
甚人を睨みつける金了。
柊征が何かを思い出したように考え込む。
「金了兄さんが人間になったということは……うちの妹──
柊征の言葉に、彩楽はかぶりを振る。
「おそらく、一年以内のまま……」
「なんだと……?」
「落ち着け、金了兄さん。……彩楽、事情を話してくれるか?」
「ああ、わかった」
柊征がいつになく静かに訊ねると、彩楽は覚悟を決めたように頷いた。
「……私が
「死神が人間に?」
驚いた顔をする柊征に、彩楽は頷いて、さらに続ける。
「ああ。どうやら結婚相手は元宿神だったようで、穢れを受けたせいで人間になってしまったんだ」
「穢れを受けたせいで人間に? じゃあ、金了兄さんも?」
「そうだ。私が
「ということは、穢れを受けた明生と結婚したから、俺は人間に?」
金了は青ざめた顔をする。
彩楽は淡々と続けた。
「そうだ。そして樹は人間として寿命をまっとうし、元宿神だった結婚相手は、ペナルティを受けて異界に送られたんだ」
「ペナルティ……」
「だが、樹が人間になってから、賜はおかしくなった……宿神や人間を陥れるようになったんだ」
「……じゃあ、俺が神に戻る方法は……?」
金了が恐る恐る訊ねるもの、彩楽は眉を下げてかぶりを振る。
「ない……私は賜を何度も止めようとしたが、逆に記憶を封印されてしまったんだ。きっと目障りだったんだろうな。だから私を明生の中に閉じ込めたんだ」
「金了兄さん、大丈夫か?」
「ああ……かろうじて生きてる」
「大丈夫じゃなさそうだ」
甚人が金了の肩で踊りながら言う中、彩楽は胸を押さえて頭を下げる。
「金了さん、すまない……私が穢れを受けたせいだ」
泣きそうな顔をする彩楽に、金了が優しく告げる。
「お前のせいじゃない。賜のせいだろう?」
「ふん、今頃あいつは俺たちのことをあざ笑いながら酒でも飲んでそうだな」
腕を組んで嫌味を落とす柊征に、彩楽は苦笑する。
「いや、それはない。……あいつはいつも、他人を陥れては──泣くんだ」
***
「金了さん、大丈夫?」
早朝の
久しぶりに私──明生とお兄ちゃんの二人でご飯を食べる予定だったけど、事情があって今日は金了さんや甚人も夜の食卓を囲んでいた。
「おお、明生。寿命が戻らないと知っても、俺のことを心配してくれるんだな」
金了さんがキラキラした顔でこちらを見るけど、私は正直に答える。
「まだよくわからないし。どこも痛くないんだもん」
「おい、ご飯ができたぞ」
お兄ちゃんがトレーに味噌汁やご飯を乗せてダイニングテーブルにやってくる。
すると、甚人が金了さんの肩で踊り始める。
「私はご飯十杯で大丈夫だ」
「甚人、おかわりは三杯までだ」
「
「仕方ない、充はそれほど甲斐性がないから……」
金了さんが鼻で笑うと、お兄ちゃんはため息混じりにトレーの食事をテーブルに並べた。
「戸籍もない人間がよく言う」
「俺はすぐに戻ってみせるからな」
「本当に……兄さんといい明生といい、どこまでポジティブなんだ」
「ねぇ、お兄ちゃん。柊征さんになってよ」
「なんでだ?」
「お兄ちゃんの姿だと、お兄ちゃんって感じなんだもん」
「何を言ってるのか、さっぱりわからん」
「おい、柊征! お前に明生は渡さないからな」
突然立ち上がった金了に、充は目を丸くする。
「金了兄さん、酔ってるのか?」
「酔ってない! 明生からもらった缶ジュースを飲んだだけだ」
「それは……俺が風呂上りに飲むためのストロング……」
「金了さんて、お酒に弱いんだね」
「気分がいいな。おやすみ」
言って、ストンと椅子に座った金了は、そのまま眠ってしまう。
「おい、まだ八時だぞ」
充が肩を揺らしても、金了は起きなかった。
「寝ちゃったね」
明生がリビングに置いてあったブランケットを金了のひざに掛ける中、金了の肩にいた甚人がテーブルに移る。
「見た目以上にショックを受けているんだ、今はそっとしておいてやれ」
「甚人は金了さんのこと、よくわかってるんだね」
「金了は寝たから、金了のご飯は私がもらう」
***
「こんばんは、
お兄ちゃんや
私の心の奥底──木々に囲まれたその場所にいる彩楽に、私は今日も会いに行った。
「……
夜になれば、その世界も自然と夜色になる。
月のような光に包まれたその場所でうずくまっていた彩楽は、私を見上げて苦い顔をする。
「そんな顔しないで、彩楽のせいじゃないんだから」
「いや、やはり私のせいだ。
「そうやって自分を責めるより、これからのことを考えようよ」
「これから……でも、明生にも私にも、そんなに時間は……」
「だからこそ、一分一秒が大事なんだよ。くよくよしてる時間なんてないよ」
「……明生」
「こうやって喋ってる間にも時間は過ぎるんだから、どうせなら楽しいことを話そうよ」
「楽しいこと?」
「そうだよ。残り一年を思い出でいっぱいにするんだ」
「明生は本当に、太陽のようだな」
「じゃあ、彩楽は月かな?」
「私は、そんなに良いものではない」
「ううん。優しい月の光だよ」
「優しい月……」
「どうしたの?」
「そういえば、樹にも同じことを言われたことがあるんだ」
「……女の宿神に騙されても、責めないあいつのほうが、よほど優しい光だ」
「そっか」
「せめて私が明生以外の人間に封印されていたら……あ」
「どうしたの、彩楽?」
「そういえば、私と明生は別の者だった」
「彩楽?」
「明生の寿命が一年しかないのは、きっと死神の私がいるからだ。だったら……」
「何か解決策を見つけた?」
「ああ……全てを丸く収める方法を見つけたかもしれない」
彩楽はそう言うと、表情のない顔で星のない空を見上げた。
***
「遊園地かぁ……文──じゃなくて、金了さんと遊ぶなんて、変な感じ」
翌朝。
文がピンチなのに、なぜか私と金了さんは遊園地に来ていた。
お兄ちゃんの指示だけど、何か考えがあってのことだよね? きっと。
私は、近くにあるメリーゴーランドを見つめる。
そういえば、ここから色んなことが始まった気がする……。
「この姿が本当の俺の姿だからな。結婚する以上、今から慣れておけ」
「…………まあ、いいや。何から乗る?」
「そうだな……マジカルトルネード以外がいい」
「あ、電話だ」
振動で着信に気づいた私は、ポケットからスマホを取り出すと、金了さんに構わずすぐに受ける。
「はい、もしもし……お兄ちゃん? どうしたの?」
「デートの時くらい電源切っておけよ」
ぼやく金了さんの声は聞こえていたけど、無視してお兄ちゃんの話に集中する。
そんな中、甚人も金了さんの肩に現れる。
「相変わらず、心が狭いな金了」
金了さんが何かを言いかけて、甚人に向かって口を開いた瞬間、私は思わず大きな声をあげる。
「え? 文が?」
すると、金了さんがこちらを凝視した。
「文がどうした?」
「うん、わかった。金了さんと一緒に、病院に向かうね」
そこまで言って通話を切ると、慌てて金了さんに告げる。
「あのね、文の容態が急変して……ヤバいんだって」
「文の体が?」
「このままだと、一日もたないって」
「なんだと!?」
***
「文の家族はどうしたんだ?」
駆けつけた病院で、金了は文の周りを見るなり柊征に訊ねた。
「術を使ったから、控室にいる」
「……なんとかして、文に憑依しないと」
「無理だろ。今の金了兄さんは人間なんだから」
「じゃあ、このまま黙って見てろと?」
金了が柊征に食ってかかる中、それを止めるように彩楽が間に入った。
「大丈夫」
「彩楽?」
どこかいつもと違う雰囲気を感じ取った柊征は、怪訝な顔をする。
だが、彩楽はつとめて笑顔で柊征や金了に声をかけた。
「大丈夫、私がなんとかしてみせる」
彩楽はそう言うと、胸のあたりを握りしめて、心の中にいる明生にも声をかける。
「明生、優しくしてくれてありがとう」
『彩楽?』
明生が心の奥底の世界で空を見上げる中──彩楽は柊征に向かって頭を下げる。
「柊征さん、明生をよろしくお願いします」
「彩楽?」
大きく見開く柊征を置いて、今度は金了と向かい合う彩楽。
彩楽は誰に対するよりもずっと熱い視線を金了に向ける。
「そして金了さん、私はあなたを──……ううん。明生をよろしくお願いします」
「彩楽……?」
彩楽の言葉に違和感を覚えながらも、何を考えているのかわからず、瞠目する金了に、彩楽は明るい口調で告げた。
「……大丈夫、私がいなくなれば、明生から穢れはなくなるから……どうか幸せになってください」
『彩楽!』
明生の声が彩楽の耳に響く中、彩楽は深く瞳を閉じた。
「……とても、楽しかった」
そして彩楽は────消えた。
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