第22話 婚姻の儀


「問題は、どうやってお兄ちゃんを呼びだすか、だよね」


 明生あいが考えるそぶりを見せると、かざりはスマホを取り出して見る。


「明生が俺のスマホで柊征しゅうゆを呼び出して失敗してるから、もう俺のスマホは使えないな」


「そうなんだよね……って、文も灯台にいたの?」


「お前が俺のスマホに入力している間、横から見てたんだよ」


かざりってお兄ちゃんより過干渉だよね」


「恋人になったら、他の男とのSNSは禁止だからな」


「なにそれ。私、文以外に男の子の友達なんていないけど。それに、恋人になるなんて言ってない」


「じゃあ、早く言ってくれ」


「そういうこと言われると、NOって言いたくなる」


「なんでだよ。俺と結婚すれば、寿命はなくなるし、多少の我儘だって聞いてやれるぞ」


「そもそも、結婚できる年齢じゃないよ。ていうか、文と結婚って……そうだ! それだよそれ」


「なんだよ。結婚する気になったのか?」


「違うよ! 結婚するふりをするの」


「結婚するふり?」


「私たちが結婚するって連絡すれば、お兄ちゃんもきっと来てくれるよ!」


「なるほど。あいつもさすがに、婚姻の儀は見に来るかもな」


「婚姻の儀って何?」


「神にも結婚式みたいな儀式があるんだよ。じゃあ、とりあえず結婚するか」


「結婚するふりだけどね」


「いや、結婚する」


 そう言って、文は椅子から降りると、ゆっくりと明生に近づく。


 明生がごくりと固唾を飲む中──明生の両肩を掴んだ文は、明生に顔を寄せた。

 

 文が何をしようとしているのか、気づいた明生は、慌てて意識を手放す。


「どうしたんだ? かざり


 視線の先で目を瞬かせる明生を見て、文はため息を吐く。


彩楽さらか……明生あいのやつ、逃げたな」


 文が呆れたように言うと、文の肩で隠れていた甚人じんとが前に出る。


「文の気が早すぎるからだ。黙って見ていたが、余裕のない男だな」


「うるさい。このくらい押さないと、明生は落とせないんだよ」


「押しすぎるから落とせないのだろう。強引な男が好かれる時代はとっくに終わっている……と〝てれび〟が言っていたぞ」


「じゃあ、どうすればいいんだよ」


「あえて引いてみるのはどうだ? ひたすら待て」


「待っていたら、明生はどこにでも飛んでいくぞ」


「そんな明生だから、文は好きなんだろう? 鎖で繋ぐよりも、一緒に飛んでいってやればいいんだ」


「一緒に飛ぶ……わからないな」


 甚人が腕を組んでため息を吐いていると、彩楽が代わりに答える。


「つまり、明生に寄りそうってことか?」


「彩楽の方がよくわかっているな。明生は追われるより追いかけるほうが好きだと言っていた」


 甚人が説明したところで、文は納得できない様子だった。


「……」


「文には難しい話か。なにせ、文も追いかけるのが好きだからな。二人とも本当によく似ている」


 甚人が一人頷くと、彩楽が呟くように告げる。


「柊征さんを追いかける明生を、追いかける金了さんか。そこで柊征さんが金了さんを追いかけたら面白いな」


 彩楽の言葉に、文は体を抱きしめて身震いをする。


「やめてくれ。冗談にしても、寒すぎる」


「ふふふ」


 笑う彩楽を見て、文は頭を掻きながらため息を吐いた。


「彩楽は甚人に似てきたな」


「なにせ、彩楽は私と交信ができるからな!」


 自信たっぷりに言う甚人を置いて、彩楽は文に訊ねる。


「それで、柊征さんは本当にいなくなったのか?」


「……どうだろうな。あの妹バカが、明生を完全放置するなんてありえないだろ。今もどこかで見ているんじゃないか?」


「早く柊征さんが帰ってくるといいな」


「彩楽は柊征に帰ってきてほしいか?」


「明生の悲しむ顔が見たくないんだ」


「だったら……やはり結婚するしかないな」


「結婚?」


「俺と明生が結婚すると言えば、あいつも帰ってくるだろう? だから結婚するふりをするんだ」


「なるほど。結婚……か。まて……結婚?」


「どうかしたのか?」


「私は……何か大切なことを忘れている気がする」


「彩楽も実は結婚しているとか?」


「そうじゃないと思う……結婚は危険だ」


「どういう意味だ?」


「結婚と聞くと、なんだか嫌な気持ちになるんだ」


「明生が結婚すれば、彩楽とも暮らすことになるからな。それで複雑なんじゃないか?」


「いや、そんなことは! そうじゃないんだ……」

 

 彩楽はもどかしさを誤魔化すように唇を噛んだ。




 ***




 その日、明生ではなく、彩楽は夢を見た。


 死神の本拠地──寝殿造の屋敷を警護していた彩楽さらは、鮮やかな緋袴ひばかまに白の水干すいかんまとい、まるで白拍子しらびょうし(男装)のようだった。


 そんな彩楽は、屋敷の東中門をくぐり、渡殿わたどの(廊下)を真っ直ぐ進むと、釣殿つりどので池をぼんやりと見つめる青年に声をかける。


たつき、どうしたんだ? 真っ青な顔をして」


 空色の狩衣を纏った青年は、困ったように微笑んで言った。


「実は俺、人間になったんだ」


「どういうことだ? お前みたいな善良な死神が……」


「俺はどうやら夢を見ていたみたいだ。目が覚めたら、こうなっていたんだ」


「お前の言っている意味がよくわからない、樹」


「ごめんね、ずっと一緒にいられなくて。君の一番の友達はもうどこにもいないんだ」


「樹……どうしてそんな悲しいことを言うんだ。どんな姿になっても、樹は私の友達だ」


「ありがとう、ソラ」




「樹!」


 明生のベッドで飛び起きた彩楽は、何かを掴もうとして手を伸ばすが──先ほどまでの出来事が夢だと知って落胆する。 


「……はあ、なんだ夢か」


「起きたか、彩楽」


「文」


 いつの間にか、明生の寝室の隅にいる文を、彩楽は驚いたように見つめる。


 他人の寝室に入るなど、明生なら怒るところだが、彩楽は夢の余韻のせいか、ただ息を整えることで必死だった。


 すると文は、淡々と告げる。


「とりあえず柊征に婚姻の儀の招待状を送っておいたから、儀式をするぞ」


「婚姻の儀? 本当に大丈夫なのか?」


「ああ。ふりだからな。本当に結婚するわけじゃない」


「そうか」




 ***




「結婚の儀式って何するの?」


 かざりに手を引かれて、近隣の山の中を歩いていた私──明生あいに、文は余裕たっぷりな笑みを見せた。


「それは始まってからのお楽しみだ」


「なんだか嫌な予感しかしないけど」


彩楽さらみたいなこと言うなよ」


「彩楽?」


「どうやら、俺と明生が結婚するのは複雑みたいだ」


「そうなの?」


「じゃ、始めるぞ」


「うん」


 金了さんの姿になった文は、山中にある川辺で、何か呪文のようなものを唱え始めた。


 結婚するふりだと言われたけど、文のことが信用できない私は、気持ちがそわそわして落ち着かなかった。


 ……結婚するところを柊征しゅうゆさんに見られるの嫌だな。


 なんて、言ってる場合じゃないんだけど、なんとなく胸中は複雑だった。


 そんな中、一通り呪文を唱え終えた神様――金了さんが、顔を寄せてくる。

 


 え、これってもしかして……キスするつもり?



 冗談じゃないと思って逃げようとしたら背中をがっちり掴まれて動けなくなった。

 

 ……どうしよう、こんなの聞いてないよ!


「ほら、目を瞑れ」


「そんなこと言われたって」


「彩楽に変わるのはナシだからな」


「ええ!? なんで!?」


「俺はお前と結婚するからだ」


「結婚するふりでしょ?」


「予行演習だ」


「何よそれ!」


「いいから、俺に委ねろ」


 言って、金了さんは私にいきなり口付けた。


 初めてのキスだった。


 ショックで頭が真っ白になる中、金了さんは深く深く口付けてきて……。


 ――けど、


「おい!」


 私が泣きそうになっていると、叫び声が聞こえた。


 柊征さんの姿をしたお兄ちゃんだった。


「柊征さん!」


「明生」


「わーん!」


 予定通りに現れた柊征さんを見て、思わず泣き出してしまった私は、柊征さんの胸に飛び込んだ。


「おい、これはどういうことだ? 金了兄さん」


「どうもこうも、こうでもしないとお前が現れないだろ?」


「だからって、明生は嫌がっているだろ」


「初めては柊征に取られたからな。二度目は俺がいただいた」


「取られた? どういうことだ」


「明生が毒を吸い込んだ時は、お前が毒を吸い出しただろう?」


「あれは、急を要したから……」


「それでもこっちはむかついたんだよ」


 金了さんの苛立ちを聞いて、私は二人の顔を見比べる。


「ちょっと待って、毒を吸い出したって何?」


 私が目を丸くしていると、柊征さんは照れたように顔を伏せた。


「お前は知らなくていい」


「何よそれ!」


「それより明生、本当に金了兄さんと結婚するつもりなのか?」


「……しないよ。だって私は柊征さんが好きだもん」


 私が自分の気持ちをハッキリ告げると、金了さんが呆れたように頭を抱えた。


「はあ? お前ってやつは……」


 けど、柊征さんは私の顔を真っ直ぐ見て訊ねてくる。


「明生……今まで騙していたのに、許してくれるのか?」


「うん。私は柊征さんとまた一緒に暮らしたい」


「お前はなんて優しい子だ。俺と一緒に暮らしたいだなんて」


「だから柊征さん、一緒に帰ろう?」


「正体がわかったなら、その柊征さんというのはやめてくれないか? いつものようにお兄ちゃんと呼んでくれ」


「ううん。柊征さんがいい」


 私の話を聞いて、金了さんが口を挟む。


「明生は柊征のことをまだ諦めてないのか?」


 金了さんの言葉に、柊征さんは驚いて後ずさる。


「そうなのか!?」


「私、結婚するなら、やっぱり柊征さんがいい!」


 私が改めてをすると、金了さんがズカズカとこちらにやってきて、私の頭に手を置いた。


「お前は……もういっそ、柊征のことを忘れてしまえ!」


「おい兄さん、何をするつもりだ」


「明生の記憶から、柊征のことを消……せない」


「は?」


「おかしい。力が使えない」


「どういうことだ?」


 目を瞬かせる柊征さんの傍ら、私はあることに気づいて息を飲む。


「ねぇ、ちょっと二人とも!」


「どうした明生」


 訊ねる柊征さんに、私は焦りながら告げる。


「こ、金了さんの足元で、かかかかざりが寝てる!」


「は!?」


 下を見るなり、声を上げる柊征さん。


 金了さんの足元には、確かに文が横たわっていた。




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