第21話 正体


「これは私が、柊征しゅうゆさんに贈った万年筆だよね。名前の刻印と一緒に星のマークを入れてあるから、間違いないよ。ねぇ……どうしてお兄ちゃんがこれを持ってるの?」


 私が万年筆を持ち上げて見せると、お兄ちゃんが動揺したように視線を揺らした。


「しゅっ……柊征しゅうゆから借りてるんだ」


「嘘だよね? どうして嘘なんかつくの? それに、お兄ちゃんはいつから柊征さんの知り合いなの?」


「それは……俺の知ってる柊征が、お前の知る柊征だとは思わなかったんだ」


「嘘ばっかりついて、お兄ちゃん……何か隠してる?」


「そんなことはない。俺はただ……」


「ただ……?」


「ただ、柊征のことをあまり知ってほしくなかったんだ」


「……お兄ちゃんは私が柊征さんと会うことに反対なの?」 


「ああ、反対だ」


「どうして?」


「どうしてもだ。その万年筆を返してくれ」


「……」


 本当はもっと聞きたかったけど、差し出したお兄ちゃんの手が震えているのがわかって、なんだか聞くに聞けなくて──私はお兄ちゃんに万年筆を返した。


 すると、私が万年筆を返した直後、お兄ちゃんは何も言わずにリビングを出て行ってしまった。




 ────そしてその翌日、お兄ちゃんはいなくなった。




「神様の『悪い部分』が見破れるようになってから、お兄ちゃんの嘘もわかるようになったってことは……もしかしてお兄ちゃんも神様だったりして。だったら、私も神様? そんなことはないよね……それに柊征さんとお兄ちゃんってどういう知り合いなんだろう。ねぇ、彩楽さらは何か知ってる?」


 私が自分自身の心の奥底にある森の中で呟くと、黙って聞いていた彩楽が「ノーコメント」とだけ返した。


「え? やっぱり、お兄ちゃんには何かあるの? 私の知らない何かが」


「それは、自分で確認すべきだ。私が言うことではない」


「自分で確認するって……」


「だが、どんな真実を知っても、明生あいなら大丈夫だと私は思う」


「そっか。だったら、ちょっと試してみようかな?」


「どうするつもりだ?」


かざりのスマホから呼び出してみるよ。きっとお兄ちゃんなら、来てくれるよね」




 ***




「ねぇ、かざり。スマホ貸して」


「いきなりなんだよ」


 学校の廊下で私──明生がお願いすると、かざりはぶっきらぼうに言った。


 文の態度は、とても好きな相手に対する態度だとは思わないけど……でもまあ、今はそういうのは置いといて。私は咳払いをして説明する。


「今日、スマホを家に置いて来ちゃったんだ。でもお兄ちゃんにどうしても伝えたいことがあって」


「仕方ないな……ほら」


「ありがとう」


 文からスマホを借りた私は、SNSアプリにメッセージを打ち込むと──既読がついたのを見計らってメッセージを削除した。


 これでよし。お兄ちゃんが見てくれたなら、きっと来てくれるよね?


「ありがとう、じゃあ、ちょっと用事があるから私行くね」


「ああ」




 メッセージでお兄ちゃんを呼びだした私は、先回りした灯台の足元で隠れて待った。


 メッセージといっても、ただのメッセージじゃなくて。


 『明生がまたさらわれた。あいつはたもるさんと一緒に灯台に向かっている』というものだった。


 文が書いたと見せかけて、消したのである。


「これでお兄ちゃんと柊征さんが来るかな? だって、いつも何かあるたびに来るのは柊征さんだし」


 しばらく身を潜めて待っていると、灯台の足元にお兄ちゃんがやってくる。


 お兄ちゃんは誰もいないベンチ周辺を見回していた。


「あれ? お兄ちゃん一人で来たのかな?」


 私がどうやって出ていこうか悩んでいたその時だった。


「明生! どこにいるんだ!」


 突然、目を閉じたお兄ちゃんの周辺に桜が吹き荒れて──お兄ちゃんが、まるで色が変わるように姿を変えた。


 そう、文字通り姿が変わったのだ。


 しかもそれは、柊征さんの姿だった。


「え……? うそ……これは……どういうこと?」


 私が思わず隠れていた灯台の陰から前に出ると、お兄ちゃんだった人──柊征さんがこちらを振り返る。


「明生……?」


「ねぇ、お兄ちゃんは……柊征さんなの?」


「明生? お前、さらわれたはずじゃ……」


かざりのメッセージは嘘なの。私がスマホを借りて、お兄ちゃんを呼び出したんだ」


「どうしてそんなことを」


「お兄ちゃんが来たら、柊征さんとの繋がりを問い詰めようと思ってたの」


「だからって、あんな心配させるようなメッセージを送るなんて!」


「そうじゃないと、お兄ちゃん来てくれないでしょ? ずっと放置されて……悲しかったんだよ」


「……明生」


「柊征さんがお兄ちゃんなら、どうして言ってくれなかったの?」


「それは……」


「いつからお兄ちゃんは柊征さんなの? それにどうして普段は姿が違うの?」


 いくら問い詰めても、お兄ちゃんはいっこうに口を開かなかった。


「言えば、きっと明生は俺のことを……」


「お兄ちゃん」


「ごめん、明生」


 そうして柊征さんの姿になったお兄ちゃんは、今度こそ帰って来なくなった。




 ***



 

「今日もコンビニのお弁当かぁ……」


 お兄ちゃんが柊征さんに変身するところを見てからというもの、お兄ちゃんは帰って来ないどころか、連絡さえくれなくなった。


 大好きなお兄ちゃんにこんなに放置されたことがなかったから、気持ちは落ちる一方で──お弁当のオニギリを食べると、余計に気が滅入った。


 私って本当に、今まで恵まれてたんだね。コンビニのオニギリも嫌いじゃないけど、お兄ちゃんが作った出来立てのご飯が食べたいよ。


 ……と、そんな時。


 インターホンが鳴って玄関に出ると、文が来ていた。


「明生、大丈夫か?」 


「……文」


「その様子だと、まともなもの食ってないだろ?」


「コンビニのお弁当も美味しいよ」


 私が精一杯の強がりを見せると、文の肩に甚人じんとも現れる。


「こういう時は元気の出るものを食べないといけないぞ」


「甚人」


「とりあえず俺が飯を作るから、甚人は明生のそばにいてやってくれ」


「私だって、カレーくらい作れるもん」


「そんな風に軽口が叩けるなら、大丈夫そうだな」


 それから文が、チャーハンとスープを作ってくれた。


「どうだ。うまいか?」


 私がテーブルの向かいでチャーハンを必死になってかきこんでいると、文が微笑ましそうにこちらを見る。


 その余裕たっぷりな顔が、なんか嫌なんだよね。


「なんでもできるのがムカつく」


「いつになく口が悪いな」


「お兄ちゃんのご飯が食べたい」


「これで我慢しろよ。お前の我儘を聞けるのは俺くらいだぞ」


「お兄ちゃん……もう帰ってこないのかな」


「それはないだろ。あいつにとっては、目に入れても痛くない妹だろ」


「文はお兄ちゃんの正体を知っていたの?」


「まあ、お前と出会う前からの知り合いだからな」


「お兄ちゃんは……どうして普段は違う姿をしているの? 柊征さんが本当の姿なの?」


「知りたいか?」


「うん」


「知ってもお前は自分の兄貴を信じられるか?」


「うん」


「じゃあ、特別に俺たちのことを教えてやるよ」


「俺たちのこと?」


「ああ、〝宿神やどがみ〟のことだ」


宿神やどがみ?」


 私が訊ねると、文は自嘲気味に頷いた。


「俺と柊征は宿神──正真正銘の神様だ。だが、決して万能ではない存在なんだ。なぜなら……俺たちは人間のように腹は減るし、生活だってしないといけないからだ。だから人間に憑依することで、その人間に成り代わって生活するんだ」


「成り代わるって、どういうこと?」


「俺は普段、文の姿をしているだろう?」


「うん」


「実は本物の文は三歳の時に亡くなっているんだ」


「え……じゃあ、私の知ってる文は……文じゃないの?」


「そうだ。亡くなって間もない、まだ体組織が生きている人間に乗り移って、その人間の生活をもらって、俺たちは生きているんだ」


「じゃあ、お兄ちゃんは……」


「お前の本当の兄貴は十年前に亡くなっている」


「え……それじゃあ、今まで一緒にいたのは」


「柊征がお前の兄貴の体を借りて生活していたんだ」


「……お兄ちゃんが、柊征さん」


「大昔は数えきれないお供え物があって、俺たちも食いっぱぐれることなんてなかったけど……今となっては信者も少ないし、神様も自力で生活する必要があるんだよ」


「うん……言いたいことはなんとなくわかる」


「だから、柊征のことを責めないでやってくれ……他人の人生に勝手に入り込むのは、倫理的にどうとか思うかもしれないが」


「でもお兄ちゃんがいなかったら、今の私はいないよね」


「そういうことだな」


「私、もう一度お兄ちゃんに会いたい。会って、お兄ちゃんの居場所はここにあるって伝えたいよ」


「そうか。だったら、俺も手伝うよ」



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