第17話 連れ去り
夜闇に包まれた森の中。
「……明生と婚姻を結ぶことができれば、きっと
それが最善だと思っても、明生は承知しないと言う。
ならば、自分が明生の代わりに契約してしまえば……そう考える途中で、彩楽は
「私は、何を考えているんだ。明生の代わりに私が婚姻を──なんて」
明生の心の奥深くで呟いた彩楽の声は、誰にも届かなかった。
***
「……おい」
湖に囲まれた灯台の足元にやってきた
空色の
「なんでしょう?」
「人の死に立ち会う話を……もっと詳しく教えてほしい」
「ええ、お教えしますとも」
彩楽が
「やれやれ……ようやくここまで来ることができましたか」
「ひとつ聞いてもいいか?」
「なんでしょう」
「どうして私の魂を明生の体に移したんだ?」
「それは……あなたのためです」
「私のため?」
「ええ……あなたを死なせないために、応急処置として明生さんの器に流し込みました」
「私は……死神の知り合いなのか?」
「……そうです」
「だったら、私の体は別にあるのか?」
「いいえ」
「どういうことだ?」
「あなたの体は……すでに朽ちているため、存在しません」
「じゃあ、私は一生、明生と一緒にいなければならないのか?」
「……そうなりますね」
「そうか」
彩楽は落胆するように息を吐くと、それ以上、賜の顔を見なかった。
***
「どうした、
図書室で彩楽が
ずっと上の空だった彩楽は、現実に引き戻されて目を瞬かせる。
「え?」
「今日の彩楽はとても痛そうな顔をしている」
「そうか? ……ちょっと困ったことがあってな」
「もしや、死神が関係しているわけじゃなかろうな?」
「……違う。個人的な事情だ」
「あ、そうか……もしや、彩楽はおなごの日……」
「甚人。それ以上言ったら、ふるい落とすぞ」
「何がいけないのだ!?」
「女の子に、それを言うのはダメだ。デリカシーに欠けるだろ」
「デリカシーとはなんだ? 大正デモクラシーの仲間か?」
「大正デモクラシーを知ってるなら、デリカシーも知ってるだろ。ていうか、『シー』しか合ってないだろ」
「ははは」
「お、彩楽の顔が明るくなったぞ」
彩楽は優しく笑うと、呟くように告げる。
「彩楽……か。いい名前だな」
「今更だな。私がつけた名前なのだから、良い名前に決まっている」
「だからなんで甚人はいちいち上からなんだよ」
「ふむ。腹が減った」
「本当にお前は……」
「ははは……この時間がずっと続けばいいのに……」
「彩楽?」
いつもと違う彩楽を気にしていたのは、甚人だけじゃないことに彩楽は気づいていなかった。
***
「ねぇ
──深夜。
湖のほとりにあるコンテナハウス。
一度、
その異空間と化した場所で、死神はサツキに告げる。
「そうですね。追手からあなたの記憶を消すことはできても、それ以上のことはできませんから……ほとぼりが冷めるまで隠れていただくしかありません」
「ずっと逃げながら生活するの? そんなの、耐えられるわけがないわ……」
「でしたら、別人になればよいでしょう」
「え?」
「あなたの中で眠る五人のように、別の人間に乗り移れば良いのです」
「この体を捨てるってこと?」
「そうですね」
「でも、移動できる器は限られていると、言っていたじゃない? 普通の人間だったら、壊れてしまうんじゃ……?」
「いるのですよ。あなたたちの魂を抱えられるだけの器が」
「本当に?」
「ええ。ですから、そろそろ体をお引っ越ししましょう」
「でも、その人は私たちを受け入れてくれるかしら?」
「受け入れられないでしょうね」
「じゃあ、どうすれば」
「ですからあなたは、いつものようにその人を陥れるしかありません」
***
「ねぇニキ、聞いてもいい?」
放課後の教室で、私──
「どうしたの明生」
「私……もしかして、今日は一度も居眠りしてない?」
「今日? そうだね……居眠りしてるようには思えなかったけど」
私、何度か眠ってるんだよね。しかも爆睡だったし。
でも周りから見たら起きてるってことは、やっぱり私には他にも……。
ずっと思っていたことをニキに訊ねようとしたその時、いつものように
「明生、帰るぞ」
すると、ニキは当然のように私に手を振った。
「またね! 明生」
「うん。じゃあね、ニキ」
「明生は文くんと付き合ってなくても、ナチュラルに一緒に帰るよね」
「え?」
「ううん、なんでもない」
「ねぇ、文」
「なんだ?」
「もしかして私……一人じゃないかもしれない」
帰り道。
結局、ニキに言えなかったことを、文に向かって呟いてみる。
いつも一緒にいるのは文も同じだから、きっと文も気づいてるよね?
「何の話だ?」
「私の他にも、別の人格があるかもしれないってこと」
「……」
「否定しないんだね……実は文、気づいてたんじゃない?」
「それは……」
文が言葉を濁す中、文の肩に甚人が現れるなり──踊った。
「ああ、そうだ。明生の器にはもう一人いるぞ」
「甚人。おい、なんでお前が言うんだよ」
「文が言わないから、私が言ったまでだ」
「こういうことは、言うタイミングとか色々あるだろ?」
「タイミングとはなんだ? たい焼きの仲間か?」
「お前それ、本気で言ってるのか?」
「ねぇ、じゃあ文は知ってて、知らないふりしてたの?」
「……ごめん。明生には言えなかった」
「まあ、文はそういうやつだよね。あ、神様にやつだなんて言ったらバチがあたるかな?」
「大丈夫だ。文はそのくらいでへそを曲げるような宿神じゃない」
「だからなんで甚人が……」
甚人は文を無視して話し続けた。
「明生は
「動じないって言うか……納得がいった感じ。だって、そこらじゅうで寝落ちするなんて、どう考えてもおかしいし。もしかして、もう一つの人格は〝サラ〟っていうの?」
私が言うと、文が大きく見開く。
「どうして知ってるんだ?」
「文やお兄ちゃんがたまに私のことをそう呼んでたし」
「……」
「でも、そっか……私は一人じゃないんだね」
ようやく納得した私に、甚人は踊りながら告げる。
「明生は楽しそうだな」
「ねぇ、その〝サラ〟って言う人はいい人?」
「ああ、彩楽はいつも明生のことを考えて行動しているぞ」
「そうなんだ。残念だな……私はその人と喋れないなんて」
「いや、不可能ではないと思うぞ」
「え? そうなの?」
「一度心の中で話しかけてみるといい」
「うん、わかった」
甚人の言葉に素直に頷くと、文がかしこまって咳払いをする。
「それと、お前に話があるんだけど……」
「どうしたの?」
「実はお前の寿命のことなんだが……聞いてくれるか?」
まさか文まで、人の死に立ち会いなさいって言うのかな?
「どんな話?」
「お前の寿命を延ばす方法があるとしたら、どうする?」
「それってもしかして、人の死に立ち会うとか、そういうこと?」
「はあ? なんの話だ?」
「え? 違うの?」
「そうじゃない。俺が言いたいのは……俺みたいな生き神と結婚すれば、寿命なんてものはなくなるってことだ」
「寿命がなくなる? ずっと生きられるってこと?」
「そうだ」
「ただ」
「ただ?」
「俺と一緒に、永遠の時間を手に入れることになるんだ」
「永遠って……不死身になるってこと?」
「不死身じゃなくて、不老長寿だ」
「ふうん……永遠の命かぁ……それって楽しい?」
私が訊ねると、文の代わりに甚人が答える。
「楽しいことも、嫌なこともあるぞ」
「ふうん」
「俺が言ってること、わかるのか?」
「うん、まあ」
「反応が微妙だな」
「だって……それだったら、文と結婚するしかないじゃん」
「……嫌なのか?」
「そういうわけでもないけど」
「……そんなに柊征がいいのか?」
「え? 柊征さん? もしかして、柊征さんも神様なの?」
「……それは」
文が言いかけた時、突然周りにつむじ風が吹き荒れたと思えば──
「──見つけた」
目の前に〝サツキ〟さんが現れた。
「!!」
「お前はあの時の!」
「あなたと争うつもりはないわ。神様に勝てるわけがないもの」
「どういうことだ?」
しかもサツキさんの後ろから死神の
「その女と賜が知り合いだと……?」
文と私が大きく見開く中、賜さんは私の方に向かって持っていた槍を向けた。
「申し訳ありませんが、明生さんをお借りします」
「どういう事情かは知らないが、俺はお前たちに明生を貸すつもりはない」
「そうはおっしゃらずに」
そう言った直後、賜さんの目が赤く光ったように見えた。
すると、文が青ざめた顔で告げる。
「な……足が動かない」
「こら文、何をじっとしているんだ! 明生が連れていかれるぞ!」
文の肩で暴れる甚人に、文は悔しそうに告げる。
「そんなこと言われても……足が動かないんだ」
「明生!」
「文! 甚人!」
私は文の方に手を伸ばすけど、近くにいるのになぜか届かなくて──気づくと世界が真っ白になっていた。
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