第15話 恋心
「ぐぬぬ……
夕方の図書室。
ニキから明生が先に帰宅したことを聞いた
そして頭に手の甲を乗せた甚人は、すぐに明生──ではなく彩楽の居場所を特定した。
「そうか。彩楽は今どこにいるんだ?」
「なんだか彩楽の様子がおかしいぞ」
「何かあったのか?」
「不穏な気配がする……ぐぬぬ──」
「え? 甚人?」
気づくと甚人の姿が、文の肩から消えていた。
***
「少しだけじっとしていてくださいね」
空色の
見晴らしの良い灯台の足元で、賜の手が彩楽の頭に向かって伸びる。
「今、あなたに新たな魂を……ん?」
──が、その時。
春も終わり。散り尽くしたはずの桜の花びらが、どこからともなく舞い落ちてきたかと思えば、
「ぐぬぬぬぬぬのぬ!」
薄紫の狩衣を纏った美しい神が舞い降りる。
成人男性の大きさで彩楽の前に現れた
「
「おお、
突然現れた甚人に、彩楽が驚いた顔をする中、死神は静かに訊ねる。
「あなたは
「ああ、そうだ。お前たちは何をしているんだ?」
「仕方ありませんね。今回はこれで退散させていただきます。ですが、正義感で動けるのは今のうちでしょう。死を目前にすれば、あなたも明生さんもなりふり構わず私にすがりついてくるはずです。それまで私も待つことにします」
冷たく放つ死神に、彩楽も甚人の後ろから返す。
「いくら待っても私はこの手を穢すつもりはない」
死神は小さく笑った。
「そう言っていられるのは、今のうちだけですよ……では、私の用件はそれだけですので、これで失礼します」
空色の
「
彩楽が難しい顔でその場に立ち尽くしていると、甚人が彩楽に声をかける。
「あの死神とは、いったいなんの話をしていたんだ?」
「……いや、なんでもないんだ」
「なんでもないという雰囲気ではないぞ……うっ」
「どうした? 甚人さん」
甚人が腹を押さえてうずくまると、周囲が光に包まれて──
「……腹が減った!」
「甚人さん?」
甚人は元の小さな神に戻ったのだった。
「どうやら大きくなれるのは数分だけのようだな」
***
甚人が文のところから彩楽のいる場所へと移動した頃。
スプレーで無数に落書きされたバス停の、かろうじて汚れていない
「珍しいな。お前から呼び出すなんて」
黒い帽子とコートに身を包んだ男は、黒いサングラスを中指で押し上げながら隣に座る男に話しかける。
すると、スタイリッシュな黒いジャケットに赤いシャツ、それに黒いパンツを纏った
「……欲しい情報があるんだ」
「ほう」
「身近な人間に、人格がひとつ増えたんだ。理由がわからない」
「人格か……それは人間の医者にでも相談したほうがいいんじゃないか?」
「それも考えてはいるが……死神に寿命のことで助言されたこともあって、何かが引っかかるんだ」
「死神の助言か……そういえば、こんな話を知っているか?」
「なんだ?」
「最近死神の中に、行方をくらましたやつがいるらしい」
「死神?」
「ああ。そいつがどういう理由で、仕事を放棄したのかは知らんが……死神は仕事をしなければ、生きていられない。だから今頃は塵と化しているに違いないが……」
「〝人間の死に遭遇することで、寿命を延ばす〟というやつか」
「そうだ。死神は死に際の人間からエネルギーを吸収してなんとか寿命を繋いでいる。だから死の回収を怠ればどうなるかは、わかっているはずだが……」
「それでも死にたいと思うくらい、辛いことがあったのか?」
「さあな。俺には行方をくらました死神の気持ちなんてわかるはずもない」
「そういえば助言をくれた死神が……
「タモル、だと?」
「知っているのか?」
「ああ。ちょうど今話した死神の兄が、〝タモル〟という名前だった」
***
「おい
昼食が終わり、午後の授業まで時間を持て余していた
図書室で本を広げていた彩楽は文がやってくるなり、目を丸くする。
「どうして私が明生じゃないとわかった?」
「雰囲気がな……彩楽は明生のようにふわふわしていない」
「そうか。さすが恋する男だな」
「まあな。明生のことならだいたいわかる」
「聞いてもいいか?」
「なんだ?」
「文はどうして明生のことが好きなんだ?」
「どうして、と言われてもな……そういえば、意識するようになったきっかけは覚えている」
「きっかけ?」
「ああ。小学校の時、遠足で訪れた山で俺も明生も小さな崖から転落したことがあったんだが……」
「崖から? それは大変だな」
「ああ、俺も明生も骨折したが、明生は泣くこともなく俺を励まそうと必死で声をかけてきた。その時、生まれて初めて人間というものを尊敬したんだ」
「明生は強いんだな」
「そうだ。俺も宿神として長い時間を生きてきたが、あんな強い女は見たことがない」
「文は芯の強い女が好きなのか」
「そうだな。そうなんだと思う……明生は見ていて飽きない」
「……文は明生の話をするとき、本当に嬉しそうな顔をするんだな」
「そうか?」
「なんだか少し、明生が羨ましいな」
「何だ?」
「なんでもない」
***
「ねぇ、お兄ちゃん」
帰宅して間もない時間。
夕食を作っていたお兄ちゃんに、私──
カウンターキッチンで洗い物をしていたお兄ちゃんは、視線を上げてこちらを向いた。
「どうした、明生?」
「もしもの話だけど……もしお兄ちゃんの余命が一年しかないって言われたらどうする?」
「余命が一年……?」
「もしもの話だよ? 余命が一年しかなかったら、最後にどんな生活したい?」
「……そうだな。俺だったら、大切な人から一分一秒も離れたくはないな」
「大切な人……?」
「お前のことだよ。俺にとっては誰よりも大切な妹だからな」
「……お兄ちゃんには好きな人はいないの?」
「なんだ、突然」
「だって、お兄ちゃん私のことばっかり気にして、自分のことは二の次だし」
「好きな人か……大昔に一度だけ、恋をしたことはあったが……過去の話だ」
「私は、お兄ちゃんに幸せになってほしいんだ」
「嬉しいことを言ってくれるな」
「当然だよ。私もお兄ちゃんが大切だし」
「明生は本当にいい子に育ったな」
「でもお兄ちゃんと同じくらい、一緒にいたい人がいるよ」
「おい、どこのどいつだ。今すぐ誰のことか言いなさい」
「内緒」
「なんだと!?」
「余命一年だったら、会いたい人とたくさん会っておいたほうがいいよね」
「明生?」
「もしもの話だよ?」
「お前の会いたい人っていうのは、文か?」
「まさか。文じゃないよ」
「だが、お前には文が……似合うと思うが」
「お兄ちゃん、どうしたの? 今までは文のことを認めないって言ってたのに」
「ああ……今になってあいつの良さがわかったんだ……たぶん」
「お兄ちゃんには、文じゃなくて私の恋を応援してほしいよ」
「恋だと? お前は、いったい誰のことを……」
「だからまだ内緒だよ。本当にこれが恋なのかもわからないし、今は放っておいてほしいの」
「変な男に引っかかったら、お兄ちゃん泣くからな」
「お兄ちゃんは本当に過保護なんだから……お願いだから、邪魔はしないでね」
「……可愛い妹がひどいことを言う」
「お兄ちゃんはシスコンを卒業して、恋愛したほうがいいよ」
「可愛い妹よ、大きなお世話だ」
「お兄ちゃんのことが大好きだから、言ってるんだよ」
「え? 大好き?」
「私、ご飯の前にお風呂入るね」
いつになく穏やかな気持ちの私は、そう言って自室に向かった。
***
「ねぇ、文」
放課後の歩行者道路。
繁華街で車が行き交う音が騒がしい中、私は聞こえるように文に声をかける。
「なんだよ」
「
柊征さんの名前を口にする時は、ちょっとだけ緊張するんだよね。
そんな私を見て、文はため息をついた。
「お前は、よほど柊征が気にいったんだな」
「うん」
「俺は応援しないぞ」
「わかってる」
「どうしても……俺じゃ、ダメなのか?」
「文のことは好きだけど、兄弟みたいな感覚だから……ごめんね。でもきっと、私よりいい人が現れると思うよ?」
「お前はいつも残酷だな」
「……残酷?」
「
「ああ。明生と何を話していたんだ?」
「恒例の振られタイムだよ」
「明生は本当に……どうして文を選ばないんだ?」
「ずっと一緒にいて、恋をする隙を与えなかったはずなのに……とうとうあいつにも好きな奴ができたようだ」
「そうか」
「しかも厄介な相手が」
「厄介な相手?」
「真実を知った時、あいつはどうするだろうな」
「どういうことだ?」
「こっちの話だ。すまない」
「……」
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