第13話 別人

「アイとはなんだ?」


 抑揚のない喋り方。


 少しかざりに似た雰囲気で喋る明生あいに、文は目を丸くする。 


「は? 明生?」


「アイ? それは私の名前なのか?」


「何言ってるんだよ、明生」


 いつもと違う様子の明生に困惑していると、肩にいる甚人じんとが文の頬を叩いた。


「文こそ何を言ってるんだ、こやつは明生じゃないぞ」


「は? どう見たって明生だろ?」


 怪訝な顔をする文。


 明生にしか見えないその少女は文のことをじっと見つめていた。


「……誰だ」


「は?」


「あなたは誰だ?」


「……明生?」


「私はあなたなんて知らない」


「え?」


 知らないと断言する明生に、文が戸惑いを隠せないでいると、少女の方も考えるそぶりを見せる。


「だが初めてじゃない気もする」


「おい、甚人じんと……この明生、どう思う?」


「どう思うとはなんだ?」


「甚人も明生じゃないって言うけど、俺には明生にしか見えない」


「姿は明生だが、中身は違うぞ」


「中身が違う? どういうことだ?」


「知らん」


「甚人、いつもみたいに明生と交信できるか?」


「なぜ今交信するのだ?」


「中身の明生がどこに行ったかを確認するんだよ」


「わかった……ぐぬぬぬ」


 明生と交信を始める甚人を、文は固唾を飲みながら見守る。


 すると──


「明生はこやつの中で隠れておるようだ」


「ということは、やっぱりこいつは明生なのか? 記憶喪失、というよりは……」


 文は独り言のように呟いた後、いつもと違う明生をまっすぐ見据える。


「おい、明生」


「明生じゃない」


「だったらお前は何者だ」


「知らない」


「知らない?」


「私には名前などない」


「……なんだって?」


「私はどうしてここにいるんだ?」


 現状に困惑しているのは相手も同じだと知って、文はやれやれとため息を吐く。


「それは俺が連れてきたからだよ」


「あなたが私をここへ連れてきたのか?」


「そうだ」


「あなたが私を知っているというのは本当なのか?」


「ああ、本当だ。ひとまずまことのところへ連れて行くか。何か思い出すかもしれない」


「まこと?」


「お前の兄貴だ」


「私には兄がいるのか?」


「とにかく、ついて来てくれるか?」


 文が訊ねると、いつもと違う明生はぎこちなく頷いた。




 ***




「今日も楽しい豆腐のハンバーグ……」


 日が暮れた頃。


 明生のために夕食の仕込みをしていたまことは、インターホンの音がするなり慌てて玄関に向かった。


 すると外には、明生だけでなく文の姿もあった。


「おお、どうしたんだ? こんな早くに帰ってくるなんて。もう例の──の話はしたのか?」


 先日、突然現れた死神に明生の寿命について指摘を受けて──その話をするために、明生を文に一日預けたわけだが。


 一日明生と過ごしたはずの文が、なぜか気まずい顔をしていた。


「いや、それが妙な事態が起きて……」


「は?」


 ひどく狼狽える文の傍ら、まことは首を傾げる。


 そんな中、明生が充に訊ねる。


「あなたが私の兄なのか?」


「……明生? お兄ちゃんの顔を忘れたのか?」


「ああ、全く覚えていない」


「おい、これはどういうことだ! 金了こんりょう兄さん」


「だから言っただろ、妙な事態が起きたって」

 

 文が困った顔をする中、文の肩にいる甚人が踊りながら説明した。

 

「明生の器に別人が棲んでいる」


「まるで多重人格だな」


「……多重人格。なあ明生、俺を見ても何か思い出さないか?」


「いや、とくに思い出すことはない……だが」


「だが?」


「ここにいると、なんだか懐かしい匂いがする」


「そうか」


「それになんだか眠くなって……」


「明生!?」

 

 見知らぬ人間と化した明生は、その場で眠りに落ちて──文と充が慌てて支えたのだった。




 ***




「……あれ? どうして私はここに?」


 目を覚ますと、私──明生は、いつの間にか自分のベッドで横になっていた。


「明生、気分はどうだ?」


 いつから寝ていたんだろう。窓の外はもう真っ暗で──


 私服のままベッドから起き上がる私を、お兄ちゃんが腕を組んで見下ろしていた。


「お兄ちゃん? ……私、遊園地にいたはずじゃ」


「お、元に戻ったんだな」


「元に戻ったって何が? かざり甚人じんとは?」


「お前はさっき気を失って……じゃなくて、遊園地で寝てしまったらしい」


「じゃあ、文がここまで運んでくれたの?」


「そういうことだな。それより、気分はどうだ?」


「気分? とくに体調が悪いわけじゃないけど」


「なら良かった。あんまり夜更かしはするんじゃないぞ」


「うん……最近は早くに寝てるんだけどな」


「それと、遊園地で何か変わったことはなかったか?」


「遊園地で? 何もないけど……でも、何か忘れてるような」


「何をだ?」


「うーん……思い出せないけど、大したことじゃないと思う。誰かに会った気がするんだけど、誰だったかな」


「誰かに会った?」


「うん。思い出せないけど」


「……そうか」

 

 私の話を聞いて、お兄ちゃんは難しい顔をしていた。




 ***




「おはよう、ニキ」


 翌朝、しっかり眠ったはずなのに、なぜか疲れがとれない私は、重い体を引きずって登校した。


 そしてそんな私を見て、ニキは心配そうな顔をする。


「おはよう、明生。……今日はなんだか憂鬱そうに見えるけど」


「わかる? 昨日は文と遊園地に行ったんだけど、途中で寝ちゃって……」


「文と二人で遊園地? デート?」


「違うよ……甚人もいたし」


「じんと?」


 ……あ、そっか……ニキは知らないんだ。甚人のこと。


「甚人は小さいんだ」


「へぇ」


「それはいいんだけど、寝落ちした後の記憶がなくて……」


「どうやって家に帰ったの?」


「たぶん文が連れ帰ってくれたんだと思うけど……どうやって帰ったのかを考えると、なんだか恥ずかしいんだよね」


「おぶってもらったの?」


「……わからないけど、そうかもしれない」


「小さい子もいたのに、文くん大変だったね」


「これはもう人生最大の黒歴史だよ……」


「え? そこまで? 幼馴染だったら、別にかまわなくない?」


「いくら幼馴染でも嫌だよ……文におぶさって帰ると……か……」


 突然、視界がぼやけ始めた私は、眠い目をこするけれど──


 いつの間にか、立ったまま意識を落としていた。


 まるで幽体離脱みたいに、自分の姿が遠くに映る中、がニキを見て警戒していた。


「どうしたの? 明生?」


「……だれだ」


「え?」


「あなたは誰だ?」


「はあ?」


 ニキが驚いた顔をする中、教室に入ってきた文が焦ったように駆けつけるのが見えた。


「ほら明生! 帰るぞ」


「え? 文くん? どうしたの?」


「こいつ、ちょっと調子悪いみたいだから、早退させる」


「遊園地で寝落ちしたって言ってたもんね。調子悪かったんだ?」


「私は調子が悪いわけじゃない」


「はいはい、わかったから……帰るぞ」


「え、おい! 何をするんだ」


「明生、お大事に」


 文に無理やり教室から引っ張って連れて行かれたが教室から出たところで、私の意識は途切れたのだった。




 ***




「あなたは一体なんなんだ」


 明生が再び別人になったのを見て、思わず廊下に連れ出したかざりだったが、明生の方は落ち着かない様子だった。


「俺は明生の幼馴染だよ」


「幼馴染?」


「正確には、お前とは別人格の……」


「別人格? この体には、私の他にも誰かいるってことか?」


「そうだ」


「……そうなのか」


 連れ出されても抵抗をしない明生を見て、文はようやく明生から手を離す。


「えらく素直だな」


「何がだ?」


「別人格なんて存在しない、とか言わないんだな」


「可能性は否定できない」


「明生とは本当に別人なんだな」


「そのアイというのが、幼馴染なのか?」


「そうだ」


「さっきから……私がいる場所ここは学校か?」


「学校はわかるのか?」


「ああ。学ぶところだろう」


「明生のことは知らなくても、知識はあるんだな」


「ということは、私はアイという娘の別人格ということになるのか?」


「そういうことだ。──とにかく、話が長くなりそうだから飲み物でも買ってくる。お前はここから動くなよ」


「……わかった」


「本当にいなくなるなよ」


 食堂まで連れてこられた明生を置いて、文は自販機に向かった。


 朝から静かな食堂で、大人しく文を待っている明生だったが。


 そんな中、空色の狩衣をまとった男が明生の前に現れる。


 大きな槍を持ったその男は、撫然とした顔で明生に声をかけた。


「こんにちは」


「あなたは誰だ?」


「……今は明生さんじゃないようですね」


「アイ? あなたも私の知り合いなのか?」


「さあ、どうでしょう。ですが、これからあなたにとって必要な存在になることでしょう」


「私にとって必要な存在?」


「――おっと、宿神が帰ってきたようですね。ではまた、明生さんが現れた時にでも」


「え? ちょっと」


 空色の狩衣を着た男は、まるで風のように姿を消した。


 そして男と入れかわるように、明生の幼馴染である少年が帰ってくる。


「待たせたな」


「いや……」


「? どうかしたのか?」


「私にもよくわからないんだ」


「まあいい。お前が自分をわかっていないのは今に限ったことじゃない」


「それはそうだが……」


「それにしても、ちゃんとここにいてくれたんだな」


「約束したから……それに私は、あなたのことが嫌いじゃない」


「……え?」


「いや、なんでもない」


 明生の姿をしたその少女は、文から目を逸らした。



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