第9話 神様


 夜がいっそう深くなっても、真っ暗な湖のほとりにある、コンテナハウスの中は煌々こうこうとしていた。

 

 そんなコンテナハウスの中で、毒をいて私を殺そうとした女の人の目をかざりはじっと見つめた。


「出頭しろ」

「……出頭、します」

「そうだ。いい子だ」


 多重人格の女の人はかざりの言葉通り素直に頷いていたけど──


 そのうち彼女は、弾けるように顔を上げるなり、文を睨んだ。


「出頭するくらいなら、死んだほうがマシだ」

「なに!?」


 文が驚く中、


「別の人格に入れ替わったのか?」


 柊征しゅうゆさんは苦い顔をして呟いた。


「──あ! コラ待て!」


 その場から逃げ出した女の人を、文は追いかけようと踏み出すけど、


「……うっ」

「柊征さん!?」


 そんな時、柊征さんが胸のあたりを押さえて膝をついた。


「撃たれて間もない体に、毒はまずかったか」

「なら、俺だけで追いかけるから、お前はそこで解毒してろ。明生あいも柊征と一緒に待機してろよ」

「でも、文だけじゃ心配だよ。私も一緒に行く」

「お前がいたら、俺はお前の分まで心配しないといけなくなるんだ。柊征もこんな状態だから、ついていてやってくれ」

「……わかった。何かあったら、迷わず逃げてね」

「ああ」






 ***






「隠し通路か……あいつはどこへ?」


 誘拐犯を追って部屋から出たかざりは、長い廊下に入ると同時に姿を変える。


 彫りの深い端正な顔立ちに、翡翠ひすい色の狩衣かりぎぬで廊下を駆け抜けたかざり──金了こんりょうは、長い髪の後ろ姿を見つけるなり、新しいドアを開いた。


「ん? 誰もいない?」


 ────ガチャッ


 金了が何もない真っ暗な部屋の中を見回す中、背中から施錠の音が聞こえた。


『残念だったね。そこにはいないよ』


 どこからともなく響いてくる声に、金了は眉間を寄せる。


「鍵をかけられたか……?」

『悪いけど、君たちは色々と知りすぎたから……一人ずつ死んでもらうよ』

「なんだこれ……毒の霧? 明生がやられた毒か」


 金了が袖で口元を押さえていると、小さな神が肩に現れる。


「なんだなんだ……とても臭いぞ!」

甚人じんと、なるべく息をするな。毒をかれた」

「なに? 毒だと!?」

「この姿でもきついな。どんな毒を使っているんだ」

『……へぇ、毒が効かないんだ? すごいね』


 金了はドアを蹴破って再び廊下に出ると、大きく息を吐いた。


「ゴホッ、ゴホッ……なんとか脱出したけど、これはきつい。おい、大丈夫か? 甚人」

「ううう……」

「どうした? 甚人!」

「あああああああ! ……バタッ」


 倒れた拍子に金了の肩から落ちた甚人を、金了は慌てて受け止める。


「甚人! しっかりしろ!」

「……腹が減った」

「は?」

「毒のせいで腹が減ったんだ!」

「なんだ……心配させるなよ」

「なんだとはなんだ! 食べることは大事だぞ!」

「今まで食べたこともなかったくせに」

「今すぐご飯が食べたい!」

「待ってろ、すぐに終わらせるから」


 金了は甚人を肩に乗せると、大きな瞳を閉じる。

 

 周辺にいる者たちの気配を感じ取った金了は、異質な存在を二つほど見つけた。


 そのうちの一つが誘拐犯の女だと察した金了は、三つ先のドアを開いた。


「いた! あの女だ」


 甚人の言葉に、金了は微かな笑みを浮かべる。


「もう逃げられないぞ」

「君たちは何者なんだ? その姿……さっきとは別人になった。もう一人のやつもそうだ」

「それは獄中で考えろ」

「ふふふ、僕はまだ捕まる気はないよ」

「なんだって?」

「いいことを教えてあげる。この家は各部屋にカメラを設置しているんだ」

「だからどうした?」

「君が変身した様子も映ってるってことだよ」

「……」

「これが世の中に知れ渡ったら、面白いことになりそうだね」

「……はあ」

「カメラの記録をメディアに売られたくなかったら、僕の言うことを聞いてもらおうか」

「売りたければ売れよ」

「……本当にいいのかい? 君の姿が世界に発信されるんだよ?」

「いいって言ってるんだよ。その記録とやらを、売ってみろよ。ただし、困るのはお前のほうだけどな」

「なに?」

「残念ながらこの姿は記録にとどめることは出来ないんだよ」

「……は?」


 女はスマホを操作すると、何かに気づいてハッとした顔をする。


「人間の命は有限だからこそ記録にとどめることができる。だが俺たち神は無限で実体のない存在なんだ。悪いが、この姿は写真にもビデオにも記録できないんだよ」

「……そんな……君たちは、何者なんだ?」

「いや、今言っただろ? 俺たちは神だ」

「神だと? バカバカしい。どんな手品を使ったのかはわからないが、苦しい言い訳だな」

「まあ、信じてほしいとは思わないから。それより、さっさと終わらせてもらう」


 金了は女の目をじっと見据える。

 

 その目は青くゆらめく炎のように光を放つ。


「今度こそお前は、自首するんだ──」


 金了の言葉は女を支配し、女は静かに頷いたのだった。


「やれやれ、これでようやく平和になるな──ん?」


 金了は部屋の外に人の気配を感じたような気がしてドアに視線を送るが、気づいた頃には誰もおらず、首を傾げた。






***






 誘拐犯の元から帰る頃には、もうほとんど朝だった。


 助けに来てくれた柊征しゅうゆさんはどこかに行ってしまったから、お礼を言うこともできなかったけど──また会った時にでも言えばいいよね。

 

 明け方の光に目をしょぼしょぼさせながら歩く中、私の隣にいる文の肩で小さなロボットが騒いでいた。


「飯はまだか!」

「いや、どう見ても飯が食える状況じゃないだろ」

「飯だ! 飯!」

「うるさい! ああ、電源を切ってやりたい」

「じゃあ、切ればいいんじゃない? 電源」


 私が指摘すると、文はため息を落とす。  


「それが切れないんだよ」

「なんで?」

「こいつは電池を使いきるまで動き続けるんだ」

「電池とはなんだ? 飯のことか?」

「ああ、そうだよ。ロボットの飯だ」

「〝ろぼっと〟とはなんだ?」

「だからお前は……事件の話をさせてくれよ」

「事件の話だと?」

「多重人格の女に、俺たちは殺されかけただろ?」

「なんと!? 神のくせして人間に殺されかけたのか? 情けないやつだ」

「神……」

「どうした? 明生」

「ううん、なんでもない」






 ***







「おはよう、ニキ」


 目の下にクマがくっきりだけど、テストを休むわけにもいかなくて、ほとんど寝ないで登校した私を見て、ニキは目を丸くしていた。


「おはよう、明生あい。どうしたの? 朝からなんだか疲れてるみたいだけど」

「うん……昨日ちょっと変な事件に巻き込まれて、全然寝てないんだ」

「また!?」

「実は立てこもり犯の女の人に……」

「うん」

「やっぱりなんでもない」

「そういえば、立てこもり犯の女の人、実は連続殺人事件の犯人だったみたいだね」

「え?」

「再逮捕したらしいよ」

「そうなんだ? 良かった」

 

 私はカバンの教科書を机に放り込みながら、テキトーに相槌を打つ。

 

「立てこもり事件の時は、そんなに怖い感じでもなかったのに」

「そうだね。あの人、多重人格なんだって」


 言った後、私はに毒で殺されかけた時のことを思い出しながら身震いをする。


「多重人格かぁ……不思議な感じ」

「不思議と言えば」

「ん?」

「ニキって神様信じる?」

「いきなり何? 宗教勧誘?」

「違うよ、もし神様が現れたら……どうする?」

「神様が? だったら、願いごとを聞いてもらうかな」

「願いごと?」

「うん。せっかく神様が現れたんだから、願い事を言わなきゃ損でしょ?」

「そっか……そうだよね」

 

 ニキの言葉に、私は窓の外を見ながら不敵に笑った。






 ***






「明生、帰るぞ」

「うん。じゃあね、ニキ」

「また明日!」


 うちのクラスまで迎えにきたかざりと一緒に校舎を出ると、広い歩行者道路を並んで歩く。


 文は私を見ながら、いつになく優しい声で口を開いた。

 

「明生、あれから体のほうは大丈夫か?」

「何が?」

「毒を吸い込んだだろ?」

「そういえば、そうだった……でも、どこも悪くないけど?」

「一応、血液検査とかしてもらったほうがいいんじゃないか?」

「えー、大丈夫だよ。ピンピンしてるし」

「それならいいが……何かあったら、すぐに病院行けよ」

「そういえば、毒は柊征しゅうゆさんに吸い出してもらったって聞いたけど、具体的にどうやったの?」

「そ、それは……」

「?」

「言いたくない」

「なんで?」

「知ったら、お前があいつのことを意識しそうで」

「意識って?」

「お前にはそのままでいてほしいんだよ」

「わかんないけど、何かよくないことをしたの?」

「ああ、俺にとっては最悪だった」

「ふうん。よくわからないけど……まあ、いっか。それよりさ、聞いていい?」

「ああ、なんだ?」

「文って、神様なの?」

「……ああ、それは────って、は?」


 大きく見開いて立ち止まる文を見て、私の言葉は確信に変わる。


「やっぱりそうなんだ?」

「やっぱりって……いったいどうして?」

「私、見ちゃったの。文が変身して、多重人格の女の人と喋ってるところ」

「……最悪だ……」

「文は本当に神様なの?」


 私がまっすぐ訊ねると、文は観念したようにため息をついた。


「……ああ。まさか見られていたとはな」

「じゃあさ、私の願い事を叶えてくれる?」

「願い事?」

「だって、神様なんでしょ? お賽銭とかいるのかな?」

「いや、俺は宿神やどがみだから、それほど万能な存在じゃないぞ」

「……そうなんだ」

「お前は……俺が神様だと知っても、あんまり驚かないんだな」

「だって文は文でしょ? 神様だったら、何か変わるの?」

「願いを叶えてくれと言ったり、変わらないと言ったり……お前は本当に面白いやつだな」

「で、願いは叶えてもらえないの?」

「どんな願いだ?」

「お父さんとお母さんに会いたい」

「ムリ」

「……そっかぁ」

「でも、お前が俺の言うことを聞いてくれるなら、ムリを通して会わせてやってもいい」

「え? できるの?」

「ああ。死神と交渉すれば……なんとかなるかもしれない」

「それで、お父さんとお母さんに会うために、私は何をすればいいの?」

「俺と結婚してほしい」

「え」

「大学卒業くらいまでは待つから、そのあとにでも結婚してほしい」

「それは……」

「やっぱりダメか? 俺は一回、振られてるもんな」

「……どうしよう」


(お父さんとお母さんには会いたいけど……)


 私が迷っていると、文の肩に小さなロボットが現れる。


「お前は卑怯なやつだな」

「なんだと? いきなり出てきてなんだよ」

「文が自分の魅力で好きにさせれば良い話だろう」

「ロボットさん」

「ロボットじゃない。私も宿神だ」

「おい、余計なこと言うなよ」

「お前たちばっかり仲良くしてズルい。それにこのお嬢さんは私の名づけ主だぞ」

「名づけ主?」

「お嬢さん、あなたのおかげで私は宿神になることができたんだ。礼を言うぞ」

「私のおかげ?」

「名前をくれただろう」

「〝甚人じんと〟のこと?」

「そうだ。これから、よろしく頼む」

「こちらこそよろしくね、じん──じゃなくて、神様」

「おお! 可愛い女の子に神と呼ばれるのはなかなか良いものだ」

「このエロ神」


 いつもあまり表情を出さない文が、片眉をあげて甚人を威嚇する。

 

 私は少しだけ考えを巡らせたあと、文に訊ねる。 


「じゃあ、文のことも神様って呼んだほうがいいの?」

「いや、今まで通りで構わない」

「そっか」


 文と穏やかに談笑する帰り道。


 私は下校途中の道で何か嫌なものを感じたような気がしたけど、気づかないふりをして足早に帰ったのだった。


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