第8話 人格操作


「私を……どうするつもりですか?」


 多重人格の女の人に拳銃で脅されて連れ去られた私──佐東明生さとう あいは、車で二時間ほど運ばれてコンテナハウスに閉じ込められた。


 車中では何度も人格が変わっていたようだけど、今の彼女は男の人格だと言っていた。


「君はとても面白いから、また新しいゲームがしたいんだ」


 からはドロドロとした負の感情が溢れ出していて、吐き気がするほど気持ち悪かったけど──私はそれを必死に堪えて口を開く。


「ゲーム……?」


「脱出ゲームだよ。時間内にこの部屋から一人で脱出できたら君の勝ち。けど、もし時間内に脱出できなかったら……霧状の毒が部屋に散布されるようになっているんだ」


「この部屋を出られたら、終わりってこと?」


「ああ。僕が部屋の様子をスマホで見ていてあげるから、頑張ってね。不思議ちゃん」


「不思議ちゃんって……」


「君には不思議な力があるようだから、不思議ちゃんだよ」


「……」


「じゃ、始めようか」


 それだけ告げると、彼は部屋から出て行った。


 私は部屋の中を何度も確認する。


 あるのはベッドと机くらいの、簡素な部屋だった。


 ドアには鍵がかかっているから、普通には出られないよね。


 けど、脱出ゲームをするくらいだから、きっとドア以外にも出口があるに違いない。


 私はどうすればいいかわからず、壁を叩いて歩いてみる。

 

 最初からお手上げだった。


「スマホは取り上げられちゃったし、どうすればいいんだろ……」


 壁に背中をピッタリとくっつけた私は、天井に向かってため息を吐いた。




 ***




「そこまでだ!」


 明生がさらわれて三時間近く経った頃。


 かざりはGPSの位置を頼りに、海近くのコンテナハウスのドアを開いた。


 すると、コンテナハウスの中は子供部屋のような空間が広がっており、髪の長い女の姿があった。


「なんなの」


 部屋の中心にいた〝サツキ〟という女は、顔をしかめて後ずさる。

 

「明生を返せ!」


 かざりの鋭い視線に、女は一瞬ひるんだが、すぐに言い返した。


「またあなたたち? 今度こそ不法侵入で訴えるわよ」


「隠しても無駄だ! 明生のGPSがここを示しているんだ」


「なら、どこにいるというの? この部屋にはあの子はいないわよ」


 今は〝サツキ〟ではないのだろう。

 

 女が別人のように高笑いをする中、文の後ろから柊征しゅうゆが現れる。


「明生はどこだ?」


「だからいないと言ってるでしょう。言いがかりはやめなさいよ」


「お前が連れ去ったのはわかっているんだ。なにせ、この俺が見ていたんだからな」


 言って、柊征しゅうゆまことの姿に変わって見せると、女は大きく見開いた。


「あなた……生きてたの? それに、変身するなんて……」


「ふん、あんな銃弾ごときに俺がやられるか」


「さすが不思議ちゃんの血縁者ね。あなたも不思議な人」


「不思議ちゃん?」


「不思議な力を持っているから、不思議ちゃんよ。ここにはいないけれど」


「悪いが、この部屋を探らせてもらうぞ」


「……柊征しゅうゆ、この部屋に明生はいないようだ。明生のニオイがしない」


「なら、明生はどこへ? ……お前、明生をどうするつもりだ?」


「知らないわよ。私は不思議ちゃんのことなんて知らないわ」


「なんだと」

 

 女の言葉に、充の形相がきつくなる。


 しかし、それからいくら探しても明生の姿は見つからなかった。




 ***




「……お兄ちゃん、大丈夫かな? たくさん血が出てたし」


 私は女の人に撃たれたお兄ちゃんを思い出してゾッとしていた。


「きっと近所の人が通報してくれてるよね。誰かが救急車を呼んでくれたかな」


 手当たり次第、コンテナハウスの壁を押してみるけど。


 何も起きなくて途方にくれていると、壁の向こう側から人の声が聞こえた。


 小さくて声の主まではわからないけど、女の人以外に誰かいるみたい。


「まさかまた文たちが来たわけじゃないよね……?」


 前回、さらわれた時、なぜかすぐに駆け付けてくれた文と柊征さん。


 あの時はどうやって私の居場所を知ったのか、いまだによくわからなかった。


「なんだかこの部屋暗いな……怖い」


 薄暗い部屋で天井を見上げる。


 目をこらしてみると、電球がひとつ消えているようだった。


「部屋のメンテナンスくらい、ちゃんとしてほしいな」


「そうですね。これでは人の顔も判別できない」


「だよね。人の顔がわからな……って! あなた誰?」


 気づくと、すぐ隣に神主さんみたいな服を着た男の人が、長い槍を持って立っていた。




 ***




「明生、どこだ!」


 明生の兄、まことは〝サツキ〟という女の部屋をくまなく探すもの、明生の姿はどこにもなかった。


「あいつは本当にここにいるのか?」


 かざりが訊ねると、充はスマートフォンを確認する。

 

 地図上では確かに充たちのいる場所にGPSのポイントがあった。


「GPSはここを指しているのに……」


「あの女の余裕ぶりも気になるな。絶対見つからない自信があるようだ」


「車のボンネットでも見るか? 明生は生きているんだよな?」


「生きてるに決まってるだろ。あいつを一人で死なせるなんて……そんなことあってたまるか!」


「なら、いったい明生はどこに……」


 明生がいっこうに見つからないことに、苛立ちを隠せない充と文だったが。


 そんな折、文の肩に手のひらほどの人形ひとがたが現れる。


「なんだ? 女の子が見つからないのか? 私が交信してやろうか?」


「付喪神!」


 文の言葉に、小さな神は眉間を寄せる。


「今は甚人じんとだ」


「甚人、交信できるか?」


「わからないが……試してやろう。ぐぬぬのぬ……」


 頭に両手の甲を置いて踏ん張る甚人じんとに、気ばかり焦る充が呼びかける。


「どうだ? 交信できそうか?」


「この部屋にそっくりな部屋が見える。近いな」


「明生はどうしてる?」


「女の子は誰かと話しているようだが……相手の顔が見えん」


「明生と話せるか?」


 充が訊ねると、小さな宿神やどがみは腹を押さえて文の肩に座り込んだ。


「……はあ、ダメだ。腹が減った」


 その自由な甚人の姿に、文は白い目を向ける。


「お前、何回飯を食うつもりだよ」


「さっきの量じゃ足りない」


「くそっ、使えない奴だな……」




 ***




「あの、あなたは誰ですか?」


 明生わたし一人きりだと思っていた部屋で、平安時代みたいな空色の衣装を着た男の人を見つけて目を丸くしていると──その人も驚いた顔をしていた。


「あなたは……私のことが見えるのですね?」


「はい。見えます」


「それは可哀想に」


「どういうことですか?」


「早くこの部屋を出たほうがいい。でなければあなたは死んでしまいますよ?」


「わかってます。でもどうすれば出られるのかわからなくて……あなたも閉じ込められたんですか?」


「いいえ。私は仕事でここにいます」


「仕事?」


「どうやらこの分だとあなたは……」


「暗くてあなたの顔がはっきり見えない……って、あの電球……もしかして?」


 さっきから一箇所だけ暗いことに違和感を覚えた私は、点いていない電球の下にまで移動する。


「何かあるのかな? あの電球……でも、届かない」


 ジャンプして手を伸ばしても届きそうにない電球を、焦れったく思う中、水色の服を着た人が私の元にやってくる。


「電球、ですか?」


「そうだ。あなたのそれ、貸してください!」


「あなたにはこの槍も見えるのですか?」


「見えるに決まってるじゃないですか。いいから、貸してください」


「あっ」


 男の人から槍を奪った私は、電球のない場所を槍の先で突いた。


「えいっ」

 

 すると、プラスチックが破裂した手応えがあったと同時に、近くの壁に明かりが灯った。


 ――けど。


「なにこれ……霧が?」


 足元から霧状の何かが漂ってくるのを見て、息をのんだ。


 そういえば、時間内に出られなければ毒をくと言ってたから、それなのかもしれない。


 私は悔しい気持ちでその場で崩れた。


「残念でしたね」


「苦しい……何これ……」


「どうやら毒が散布されているようです」


「あなたは……苦しくないの……?」


「そうですね。私は苦しみとは無縁ですから」


「誰か……お兄ちゃん……たす……けて」


「あと十分ほどでしょうか」


「お兄ちゃん……かざり……!」




 ***




「おい、誰か俺を呼んだか?」


 いまだ妹の姿を探し回っていたまことだが、明生の声がかすかに聞こえた気がした。


 だが文は充の言っている意味がわからず、怪訝な顔をする。


「は? 呼んでないけど」


「誰かが俺を呼んでる」


「何を言ってるんだ? 俺には何も聞こえないぞ。幻聴じゃないか?」


 文が言うと、甚人も頷いた。


「私にも何も聞こえないぞ」


「いや、誰かが……これは……」



 ────お兄ちゃん!



明生あいが俺を呼んでる──明生!」


 充の顔が、絵の具が溶けて混ざり合うようにして柊征の顔に変わる。

 

 そして狩衣を纏った姿に変化した柊征は、声が聞こえる壁へと手を伸ばす。


 すると次の瞬間、柊征の手の先にある壁がドロドロと溶け出して、大きな穴が空くと──その向こう側に、地に伏した少女の姿が現れる。


「隠し部屋か! なんだこれ……ただの霧じゃないな──明生!」


「……柊征さん?」


 霧に囲まれて、力なく倒れている明生に駆け寄る柊征だが、うっすら開いた明生の目は、柊征の名を呼ぶと閉じてしまった。


「まずいな。弱っているのか? 待ってろ明生──」


「あ! ちょっと待て柊征、お前!」


 文が怒声を放つ中、柊征は青くなった明生の唇に自分の唇を重ねた。




 ***




「……あれ? 私は……」


 私──明生あいは気づくと柊征さんの膝を枕にして横になっていた。


「目を覚ましたか」


 優しく笑う柊征さんに、ドキドキする中、そばにいた文が珍しく怒った顔をしていた。


「お前……」


「文、何を怒ってるの?」


 私が身を起こすと、柊征さんや文も立ち上がる。


「こいつがお前の毒を吸い出したんだよ!」


「毒? そういえば! 私、部屋に閉じ込められて、毒を……」


「ああ、それはもう大丈夫だから、心配するな」


 柊征さんに大丈夫と言われてホッとする私だけど、マンションに置いてきたお兄ちゃんのことを思い出して青ざめる。


「それより、お兄ちゃんが!」


「お前の兄貴がどうした?」


「女の人に撃たれて、いっぱい血が出てた……」


 私が泣きそうになりながら説明にならない説明をすると、柊征さんが咳払いをする。


「あ、ああ……それも、大丈夫だったみたいだ」


「あんなにいっぱい血が出てたのに、大丈夫なわけないじゃない!」


 私が声を荒げると、文が目を泳がせながらぽつりと呟く。


「あー……お前の兄貴は、しばらく入院するかもな」


「できるわけがないだろ!? 俺はピンピンしているんだぞ?」


「とにかく、お前の兄貴に電話してみろよ。スマホ貸してやるから」


「……うん」


 文は私にスマホをくれると、柊征さんに目配せする。


 そしたら柊征さんは慌ててコンテナの外へと出ていった。


「あ、もしもし、お兄ちゃん、大丈夫?」


『……あ、明生、無事だったのか?』


「うん。また文と柊征さんが助けてくれたから」


『そうか。怪我はないか?』


「私は大丈夫。それよりお兄ちゃんは、撃たれたから……」


『俺なら大丈夫だ。びょ、病院にいるし……それに幸い、撃たれた場所が良かったみたいで、すぐに帰れるそうだ』


「……良かった。本当に良かった」


『じゃあ、早く帰って来いよ』


「うん」


 私は心底安堵して電話を切る──けど。

 

 今度はすぐ側から、女の人の声が聞こえた。 


「私は何も知らないわよ」


「なんだと!?」


「どうしたの? 文」


「こいつ、明生を攫っておいて知らないって言うんだよ」


 文に続いて、外から帰ってきた柊征さんが眉間を寄せながら女の人を責めるように告げる。


「お前は……そうやって罪を重ねるつもりか?」


「何を言ってるのか、わからないわ」


「出頭しろ」


「出頭しても、主人格が戻れば逃げられるわ」


「主人格?」


 私が首を傾げると、柊征さんが「一番長く表に出ている人格のことだ」と教えてくれた。


 きっと、〝サツキ〟さんのことだろう。


 女の人が罪を認めない中、文は女の人に近づくと、その目を覗き込む。


「主人格には戻るな。出頭するんだ」


「文?」


「なるほど、〝サツキ〟という主人格が現れる前に暗示をかけるつもりか」


「暗示?」


「出頭なんて……いや」


 なんだかよくわからないけど、縫い止められたように文の目をじっと見つめる女の人の目が揺れたような気がした。


 口をぱくぱくさせながらじっとしていた女の人は、段々と表情のない顔になってゆく。


「出頭するんだ」


 文は繰り返す。


 すると、


「私は……」


「出頭しろ」


「……出頭、します」


「そうだ。いい子だ」


 女の人は文の言葉通り素直に頷いていたけど──


 そのうち彼女は、弾けるように顔を上げるなり、文を睨んだ。


「出頭するくらいなら、死んだほうがマシだ」


「なに!?」


 文が驚く中、


「別の人格に入れ替わったのか?」


 柊征さんは苦い顔をして呟いた。



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