第7話 名づけ主の行方



 その昔、人々は神に祈りと共に供物を捧げた。


 五穀豊穣、病気平癒に、天災の回避など、ありとあらゆる祈りのために供物を捧げてきた人間たちだが──いつしか時代と共に祈りや供物を捧げなくなったことで神は飢えるようになった。


 そして、神としての矜持を捨てた者たちが、生きる屍に憑依することで飢えをしのぐようになり。


 人のまがいものとして生きるようになった神は、宿神やどがみと呼ばれた。




 ***

 



 多重人格の女にさらわれた明生あいを救ったのち。


 付喪神つくもがみが倒れたことで、かざりは明生や柊征しゅうゆを置いて急いで先に帰った。


 住宅地でひときわ大きな屋敷の門をくぐった文は、家に帰るなり、ちょっとしたカフェのようなリビングに入ると、柔らかなソファに付喪神を寝かせた。


 ──が、ソファで横になって直ぐに、付喪神は起き上がって騒ぎ始めた。


「おーッ! わーッ!」


「目を覚ましたかと思えば、なんなんだよ」


 かざりは苛立ったように言うが、付喪神は至って真面目な顔で報告する。


「他の付喪神つくもがみの声が聞こえなくなった」


「なんだって?」


「だから、付喪神の力を失ってしまったみたいだ」


「どういうことだ?」


「物に乗り移ることも同化することもできない。……それに腹がぎゅうっと鳴るんだ」


 付喪神が小さな腹を叩いて見せると、文は大きく見開いた。

 

「もしかして、腹が減ってるのか?」


「わからん」


「何か食べてみるか?」


「食べる」


 付喪神が頷くと、文は台所に向かった。




「……うまいか?」


「これが食べるということか! 悪くないぞ」


 冷蔵庫にめぼしい食材がなかったため、おやつに買ってあったあんまんを付喪神に与えると、付喪神は小動物のように必死で頬張った。


「お前まさか……明生に名付けられて、宿神になったのか?」


「だが姿は変わっていないぞ。お前たちのように大きくなれない」


 小さな体であんまん一個を平らげた付喪神が皿まで舐めようとするのを見て、文は素早くソファから皿を拾い上げる。


「明生は人間だから力が足りなかったのか?」


「もしもあの娘が名づけ主になったというのなら、繋がりを持てるかもしれん」


「繋がり? 交信ができるってことか?」


「やってみよう」


 言うなり、付喪神は両手を頭に乗せて目を閉じる。

 

 これといった変化は見られなかったもの、付喪神は何かに気づいたように告げる。


「むむむ……娘の姿が見えたぞ。湯浴みをするようだ」


「今はやめろ、付喪神」


「どうしてだ?」


「俺の(未来の)嫁なんだ」


「全く相手にされていないように見えたが、嫁なのか?」


「うるさい、いつかあいつも俺の良さがわかる時がくるんだ」


「自信家だな。そんなお前は嫌いじゃないぞ」


「それより、これからどうするつもりだ?」


「うむ。これも何かの縁だ。お前が私を養え」


「は?」


「まさか、このように小さな神を寒空の下に放り出すわけじゃあるまいな?」


「いや、そろそろ暖かくなってきたからな。段ボール生活でも大丈夫だろう」


「なんと! 神のくせに慈悲がないな」


宿神やどがみに慈悲を求めるな」


「なら、名づけ主のところへ行こうか。〝ろぼっと〟のふりをすれば、そばに置いてくれるかもしれん」


「明生に近づくな」


「あの娘なら、寂しい時は一緒に寝てくれそうだ。なんなら湯浴みも一緒に……」


「やめろ、エロ神」


「〝えろがみ〟とはなんだ? 色紙いろがみの仲間か?」


「……わかった。俺が養ってやるから」


「おお! さすが宿神は太っ腹だな」


「ただし、あいつの前ではロボットのふりをしろよ」


「ずっと気になっていたが、〝ろぼっと〟とはなんだ?」




 ***




「おはよう、ニキ」


 サツキさんに攫われた日から三日が経った。


 立て続けに事件に巻き込まれたことで、私──明生のメンタル面を心配したお兄ちゃんに学校を休むように言われて、二日だけ学校をお休みした私は、サツキさんの件は伏せて登校することにした。


「明生! 今日はもう大丈夫なの?」


「うん。もうすっかり元気だよ」


「よかった。──そうそう、先週の英語の課題はやった?」


「やったよー、まだ習ってない単語とか混ざってたよね」


「あの先生、意地悪だもんね」


「……あれ? あの人」


 ふと、窓の外に目をやると、髪の長い女の人が正門から出て行くのが見えた。


 と言っても、距離があるので顔まではわからなかったけど──


「どうしたの明生?」


「ううん、なんでもない」


(気のせいかな? あの人は逮捕されたはずだし)


 私がいつになく難しい顔をしていると、文がうちのクラスにやってくる。


「明生、どうして先に登校するんだよ」


「あれ? 言ってなかったっけ? 今日は日直で早いから」


「だったら、俺も早く行くし」


「そんなの悪いよ」


「俺は明生と登校したいからいいんだよ」


「そっか。じゃあ、次からは言うよ」


「ああ、ちゃんと言えよ」


 文はぶっきらぼうにそれだけ言うと、教室から出ていった。


 そんな文の背中を見送っていると、ニキが私の袖をつまんで引いた。


「ちょっと明生! 文くんを振ったんじゃなかったの?」


「振ったよ」


「じゃあ、さっきのやりとりは何? 完全にカップルだよね」


「文は昔からあんな感じだよ」


「……文くん、絶対期待してると思うよ?」


「はあ?」


 ニキの言うことがよくわからなくて訊き返すと、ニキは呆れたようにため息をついた。




 日直の仕事で少しだけ遅くなった私は、待っていた文と一緒に帰った。


 家の方向が違うから、いつもなら途中で別れるはずだけど、心配性の文はマンションの前まで送ってくれた。


 そんな感じで何事もなく帰ってきた私は、なんとなくホッとしながらドアを開ける。


 そしたら、玄関に入るなりキッチンの方からお兄ちゃんの声が聞こえた。


「お帰り、明生」


 キッチンに入った私は、お兄ちゃんの手元を覗き込む。


 お兄ちゃんは大きな鍋でお湯を沸かしていた。


「今日のご飯は何?」


「今日は買い物をする暇がなくてな、ラーメンだ」


「やった! 私ラーメン好きだよ」


「悪い……成長期にラーメンばっか出して」


「お兄ちゃん、忙しかったんでしょ? 今日は私が作るよ」


「お前はなんて出来た妹なんだ!」


 お兄ちゃんが涙ながらに私を抱きしめる。


 けど、もう高校生だし恥ずかしい気持ちになった私は、お兄ちゃんを押し返して離れた。

 

「お兄ちゃん、鬱陶しい」


「しくしく……妹が冷たい」


 ──ピンポーン。


 するとそんな時、インターホンが鳴った。


 ──けど、


 振り返って確認するもの、インターホンのモニターには誰も映っていなかった。


「ん? こんな時間に誰だ」


「外見てこようかな」


「お兄ちゃんが行くから、お前は早く着替えなさい」


「はーい」


 お兄ちゃんはコンロの火を止めると、玄関に向かった。




 ***




「……ん? 誰もいない?」


 明生の代わりに玄関のドアを開けたまことだが、マンションの通路には人の気配がなかった。


 充は首を傾げてドアを閉めようとするが──


「動かないで」


 突然、ドアの後ろから人影が飛び出したかと思えば──ガチャリと金属音が鳴ると同時に、聞き覚えのある女の声が響いた。


「なんだ?」


 気づけば、拳銃を持った長髪の女が、充の前に立っていた。


「これが何かわかるわよね?」


「お前、明生を連れ去った女か? 逮捕されたはずじゃ……」


勾留要件こうりゅうようけんを満たさなかったから、釈放されたのよ。それより、あの女の子を出して」


「なんだと?」


「彼があの女の子とまた遊びたいらしいのよ」


「彼? 誰が大事な妹を渡すか!」


 ──ドンッ


 まことが声を荒げた瞬間、静かな銃声が響き、充は腹部に焼けるような痛みを感じた。


「……う」


 その場にうずくまる充。 


 そこへタイミング悪く明生がやってくる。


「お兄ちゃん、どうし──」


「静かに。じゃないと、この人を今度こそ殺すわよ?」


 充の頭に銃口を突きつける女を見て、明生は一瞬、泣きそうな顔をするが、すぐに怒りを燃やした目で女を睨み据える。


「やめて、お兄ちゃんに何もしないで」


「……あ、い」


「ねぇ、私と一緒に来てくれるわよね?」


 女の言葉に、明生は静かに頷いた。




 ***




 明生が帰宅して小一時間が過ぎた頃。

 

 文の家では、小さな宿神の甚人じんとが、今日も文の肩で踊っていた。


「さあ、今日こそあの娘と交信してみようか」


「風呂の時間はやめろよ」


 文の言葉を聞いているのかいないのか、甚人は頭の上に両手の甲を乗せて唸り始める。


「むむむ……今日はあの娘、なんだか怒っているようだな」


柊征しゅうゆと喧嘩でもしたのか?」


「いや、そんな生易しい怒りじゃないぞ」


「で、交信はできそうか?」


「あと少し、という感じだが……なんだこれは」


「どうした?」


「あの娘、どうやら長い髪の女に捕まっているようだ」


「は?」


「乗り物でどこかに向かっているみたいだ」


「おい、早く明生と交信してくれ」


「……はあ、今日はここまでだ」


「いや、ここまでじゃないだろ!? 捕まったなら、助けに行かないと」


「無理だ。力が足りない。飯をくれ」


「お前……名づけ主の危機に、何を呑気なことを」


「人間は腹が減っては戦ができないのだろう?」


「こんな時に、あいつはどうしてるんだ」


 文は慌ててスマホを手にすると、充の番号にかけるが──


「くそ、出ない……まさかあいつの身に何かあったのか?」


 何か恐ろしい予感がした文は、肩に甚人を乗せたまま玄関でスニーカーに爪先を通す。


 するとそこへ文の母親がやってくる。


「あら文、どうしたの?」


「ごめん母さん、ちょっと出かけてくる!」


「こんな時間にどこ行くの? こら!」


 母親の制止を振り切って外に出た文は、すでに真っ暗な住宅街を抜けて明生のマンションへと足を急がせた。


 そして年季の入ったファミリーマンションのオートロックに番号を打ち込んだ文は、エレベーターで明生のいる部屋に向かうが……。


「おい!」

「……うっ」


 部屋の前で壁にもたれるようにして座るまことの姿を見つけて、文は大きく見開いた。


「何があったんだ?」


「例の女に……撃たれた」


「病院に行くか?」


「いや、この程度なら……自分で治せる。それより明生が連れて行かれた。追いかけないと」


「お前はここで治癒に専念しろ」


「まさかこの俺に、待てと言いたいのか? 待つわけがないだろう」


「おい、大丈夫なのか?」


「ああ。あの女に……宿神の恐ろしさを教えてやる。こんなこともあろうかと、明生の靴にGPSを仕掛けておいた。位置情報を追いかけるぞ」


 充は言うなりゆっくり立ち上がると、小動物のような顔立ちの──柊征しゅうゆへと姿を変えた。




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