病
「お、おい。大丈夫か?」
会話の最中、不意にジョニーが声を出した。皆の視線が、彼の方に向けられる。
そのジョニーの目は、イバンカに向けられていた。薄暗い地下でも、彼が不安そうな表情になっているのがわかる。
少女の方はというと、虚ろな目で天井を見上げている。口は半開きで、ジョニーの言葉にも反応しない。
先ほどまで、目をつぶって眠っているように見えたのだが……どうしたのだろうか。
「おい、どうしたんだ」
ブリンケンが近づき尋ねたが、ジョニーは答えず腕を伸ばした。イバンカの額に、そっと手を触れる。
と、その表情が歪んだ。
「ヤバいぞ。凄い熱だ」
「何だと?」
ブリンケンは、すぐにザフィーの方を向く。
「な、なあ、あんた魔法で何とか出来ないのか? 熱を冷ましたりとか」
「無理だよ。魔法は何でもできるわけじゃないんだ」
渋い顔で答えるザフィーに、ブリンケンは表情を歪める。
「とにかく、このままだとマズいな。薬はないのか?」
「あります。まずは熱冷ましを」
言ったのはカーロフだった。イバンカに近づき、自身の手のひらに乗せた丸薬を見せる。色は黒く、豆粒くらいの大きさだ。
「イバンカさん、これが見えますか?」
問いかけると、イバンカは彼の顔を見た。次に手のひらを見て、こくんと頷く。
カーロフは、穏やかな表情で手のひらの丸薬を指差した。
「いいですか、これはとても苦い薬です。しかし、よく効きます。今から、あなたにこれを飲んでもらいます。さあ、口を開けてください」
すると、イバンカは口を大きく開ける。本当につらそうだ。口を開けることすら、やっとという状態である。
カーロフは、すっと動いた。手のひらで少女の口をおおう。同時に、イバンカの口の中に丸薬が入っていった。
途端に、少女の顔が歪む。その表情を見たカーロフは、すぐに水の入った革袋を差し出した。
「吐き出してはいけません。水で流し込むのです。あなたは、強い子なのでしょう。この程度のことでへこたれてはいけません。あなたなら出来ます。さあ、飲み込むのです」
すると、イバンカの表情が僅かに変化する。少女は、また口を開けた。
その口元に、革袋の口を差し入れる。口の中に、少しずつ水を流し込んでいった。イバンカも、どうにか喉を鳴らし水を飲んでいく。
その様子を見たブリンケンは、思わず天井を睨みつける。
「まいったな、これは。どうやら、何かの伝染病にかかったらしい」
「伝染病? どういうことだ?」
尋ねるジョニーに、ブリンケンはしかめっ面で答える。
「ああ、説明してなかったな。実のところ、天空人は地上人に比べて病気になりやすいんだよ」
「はあ? 何でだよ?」
不快そうな口調で尋ねるジョニー。この事態に、かなり苛立っているらしい。
「それはな、菌やウイルスに対する抵抗力が……いや、すまん。簡単に言うとだ、天空人は地上人に比べてひ弱なんだ。薬はいろいろあるが、そのせいで病気に慣れてない」
ブリンケンの説明は大ざっぱなものだったが、ジョニーは理解したらしい。不快そうな顔で口を開いた。
「何だかわからんが、とにかくイバンカは病気になりやすいんだな」
「ああ、そうだよ」
言いながら、ブリンケンは周りを見回す。
「なあ、ここに綺麗な水はないのか? それと栄養だ。とにかく、柔らかくて胃に優しいものを食べさせてあげたい」
「ここに、そんな上等なものはないよ」
ミレーナが、投げやりな口調で答える。すると、ジョニーが立ち上がった。
「だったら、俺が上に行って水を汲んでくる」
「待ちなって。あんたは、ここの地形を知らないだろ。迷っている間に、捕まるのがオチだ」
言ったのはミレーナだ。直後、彼女はザフィーの方を向く。
「姐御、あたしが行くよ」
「何を言ってるんだい?」
「あたしは、この街の出身だ。隅から隅まで知ってる。あたしが住んでた頃に比べて変わった部分もあるけど、街の基本的な造りは変わっていないはずだからね」
「だから、何だって言うんだい?」
訝しげな表情のザフィーに、ミレーナは答える。
「さっき、姐御も言ってたろ。いざとなったら、街の中枢部を魔法で吹っ飛ばすって。けど、魔法を使わなくても爆破する方法はあるんだよ。この街のあちこちを、吹っ飛ばしてやるのさ。そうすれば、衛兵はあたしらに構ってられない。後始末で、てんやわんやさ。その隙に、みんなで逃げればいい」
「吹っ飛ばすって、どういうことだ?」
横から口を挟んだのはブリンケンだ。
「バーレンの地下には、火花をちらすだけで爆発を起こす場所があるんだよ。なんでも土の中に、高熱に反応する鉱物があるらしい。街のお偉方と、地下に住んでる連中しか知らない話だけどね。そこんとこに火をつければ、大爆発を起こせる」
自信満々に語るミレーナに、ザフィーは顔をしかめ尋ねる。
「ちょっと待ちなよ。あんたは、ちゃんと戻って来れるんだろうね?」
「大丈夫だよ。あたしは、あんな衛兵に捕まるほどノロマじゃないし、爆発させるコツも知ってる」
「待てよ。ひとりじゃヤバいだろ。俺も行くぜ」
言ったのはジョニーだが、ミレーナは首を横に振る。
「ダメダメ。あんたの図体じゃ、通り抜けられない場所もある。あたしひとりで行くよ」
・・・
バーレンの治安を守る衛兵たちの頂点にいるのは、ガイモン・バクレ長官である。身分の高い貴族の家に生まれ、成長してからは卓越した武芸の腕を活かし数々の戦功を立てた。中年になると、ここバーレンにて衛兵たちを統べる長官の任に就いている。
そんなガイモンであるが、今はひどく苛立っていた。
昨日、上層部より秘密裏に回ってきた封書……中には、六人の人間の人相書きと、エルフ語で記された手紙が入っていた。
内容は、この者たちを皆殺しにしろ……と書かれている。ガイモンは、さっそく宿に衛兵を派遣した。半日もあれば、終わるはずだった。
ところが、まんまと逃げられてしまう──
「手がかりは見つかったか?」
尋ねるが、副官であるイーゲンは顔を引き攣らせ答える。
「いえ、見つかっていません」
「どういうことだ? これだけ探して、手がかりすら見つからんとは……」
思案するガイモンに、衛兵隊長のルードが恐る恐る口を開いた。
「長官、街の封鎖はまだ続けるのですか?」
「当たり前だ。奴らは、国家の転覆を企んでおるのだぞ。このままにはしておけん」
むろん嘘である。国家反逆罪は、ガイモンのでっちあげた嘘だ。
「そうなると、街の経済が……」
「経済など知ったことか。金儲けなど、商人どもに任せておけばいい」
ルードの訴えを、あっさりと切り捨てたガイモン。すると、ひとりの衛兵が慌ただしい様子で部屋に入ってくる。
「長官、街の者たちから苦情が出ています。旅行客が怒り出しているそうです」
「知るか。旅行客の怒りを上手く言いくるめるのが貴様らの仕事だと言っておけ。文句があるなら、適当な罪名でしょっぴくのだ。この街の支配者が誰か、わからせてやれ」
その言葉を聞き、衛兵は入ってきた時と同様の勢いで出ていく。その時、イーゲンが口を開いた。
「もしかすると、奴らは地下に潜んでいるのかもしれませんね」
「地下だと?」
「はい。今のバーレンは、出ることはもちろん、入ることも出来ない状態です。しかも、現在は手の空いている者を総動員し奴らの捜索に当たらせています。昼夜を問わない捜索態勢にもかかわらず発見できない、これは地下に逃げ込んだからとしか思えません」
答えるイーゲンに、ガイモンはウンウンと頷く。
「なるほど。地下か」
言ったかと思うと、ガイモンはルードの方を向いた。
「この際だ。地下を徹底的に捜索しろ。住人たちが邪魔するなら、皆殺しにしても構わん」
「殺すのですか?」
「ああ。どうせ、いてもいなくても街の経済には何ら影響を及ぼさん連中だ」
「わかりました。明日、兵を地下に向かわせます。では、失礼します」
そう言うと、ルードは部屋を出て行った。
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